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みなさん,台風の影響は大丈夫でしたでしょうか?

台風被害を受けることがあまりない京都市内で、観光客が多い連休に観光名所の嵐山の渡月橋で洪水ですから、観光に来ていた人はめったに見れない嵐山観光となってしまいましたね。

被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

嵐山からそう遠くないところに住んでいるので、避難指示出ているし、川が決壊したらここらまで水が来るのか来ないのか?よくわからなかったのですが、こちらのほうは全然大丈夫でした。


台風が過ぎ去った時、昨夜から続いていた風雨がフッと止んで,その後小降りになっては止み、ああ、台風は行ってしまったなーととてもわかりやすかったです。

しばらくしたら晴れ間が見え、台風一過、すっかり清々しい気となり、気持ちよく過ごせました。

台風が邪気を一掃して大気を浄化してくれるといいますが、本当にそうだなあと思います。
スカッとさわやかなエネルギーになりました。


今回は、避難が必要なのかな?浸水するのかな?と多少心配したせいもあると思いますが、台風後の清々しさを感じながら、ああ、日本はこういう国なんだよなーと思いました。

この国は台風や地震や洪水など天災の多い国で、つぶされてはそのつど起き上がって立て直してきました。

このくり返しは日本人のDNAにけっこう入っていると思います。

今回は台風が去ったあとの清々しいエネルギーに、つくりあげてきた祭が終わったあとの「あ〜、終わった〜」という充実感みたいなものを感じました。

そのときふっと「カミ」のようなものを感じました。

荒ぶれて、でもそうすることによりエネルギーを一掃して浄化してくれる。

恐ろしくもあり、ありがたくもあり、人間の手ではどうすることもできない畏れおおいもの。

でも言い換えれば、ただの自然現象。


私たちはそのような人間にはどうすることもできないようなものを畏敬の念を持って「カミ」と呼んだのだと思います。

その存在を認識してそれとともに生きてきたんだなーと感じました。

それは私たちの生活を脅かすものというよりは、一つのサイクルのけじめだったり、新しい息吹をもたらすものだったり、ハレとケの境界であったり。

生と死が切り離せないのと同じように、汚濁と清浄さもひとつなんだなと。

カミサマも実はそれを知っていて、私たちもそれを知っていて、そのサイクルの中で生きてきたんだなーと思いました。


この「カミサマ」には「オニ」も含まれています。
昔はカミサマがオニにもなることを知っているから、恐れおののき、崇めもします。
でもこのオニは邪悪なものではなく、バランスを保つために必要だったもの。

「オニ」を排除し、「神」だけを神聖視したことは、プラスマイナスのプラスだけを取り入れているのと同じで、そうすることで「鬼」を生みだしてしまったんだろうなと思います。


私たちは台風一過の清々しいエネルギーを忘れてしまってたんじゃないかな?と思いました。

祭は、非日常という祭に向けて何日も準備をしながら気持ちを盛り上げていき、当日の盛り上がりでクライマックスに向かい、自分のエネルギーを爆発昇華して使い果たします。

その時の開放感や充実感がエネルギーの浄化&急速充電となり、古きを捨て新しきを取り込み、その余韻を感じながらまた日常に戻っていきます。

そのサイクルが、平常心や調和やバランス、連帯感や思いやり、適応性などを保つのだと思います。

台風にはお祭りっぽいところがあり、だんだんと近づいてくる非日常の出来事にワクワクを感じます。

子どもの頃に、大雨で学校が休みになったり、集団下校したり、あふれる水に興奮したりした経験があるので、エキサイティングに感じるのかもしれません。

土砂災害や浸水にあったことのある人にはそうは思えないでしょうし、このように書くのも不謹慎かもしれませんが、台風はカミサマの来訪だなあと思った今日でした。

とくに今回は嵐山の渡月橋決壊ですから、その象徴的意味は私にとっては新しい時代を向かえるいいサインとしてうつりました。
(災害があってよかったという話ではないので、誤解のないように)


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