
東京都内での対面セッションのお知らせです。
9月24日(火)午前中、25日(水)です。
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さて、今日は新月ですね。
そのせいか、朝から変な気分というか、ネガティブな思いがフツフツと浮かんできて、なんだろうなー、ヘンな感じと思ってました。
それとは関係ないですが、フッと思ったのですが、スピリチュアルや精神的な世界で言われているようなことが全部ウソだったら?と。
ウソというと言葉がきついですが、人間が長年かけて造り上げてきた思考の世界でしかないのに、それを信じてしまっている私たちがいるというだけの話かもしれないと。
私たちが信じたからそれは存在してる(た)のだと思います。
すべては在るけどない。
空の世界。
この「空」の認識が人それぞれいろいろな気がしますが、今日はそれは横に置いておいて。
ずいぶん昔、私が死んでも世界は存在するのか、それとも無に帰すのかと考えたことがありました。
多分、世界は存在するんだろうな〜と何となく思いましたが、またわからなくなっています。
実際、どうでもいい話ではあるんですが〜〜。
今、私たちが見ている世界は意識が作り出している世界だとしたら(ってかそうだと思いますけど)、その意識が自我を認識できなくなると、自我を認識できないんだから自分が存在しなくなります。
それを無になるというのかもしれないですが、実際はなくなっているわけでなく、自分の存在を認知できないだけで在る状態なわけです。
熟睡している時がそうですね。
自分の存在は感じていないけど、肉体は存在しているといえるんですが、何をもって存在というのかと思うとこの答えもあやふやになります。
熟睡している自分は少なくともこの世界では自分の存在に気づいてません。
そのまま熟睡し続けていくと自分の存在を知らないままになります。
が、こちらの世界の外部から見ると、横たわっているからだがあるわけですから存在していることになります。
熟睡している自分は深い意識の夢の世界で自分の存在の自覚があるかもしれません。
こういう話は、ここにいる肉体を持っている自分を基準としてますので、そもそもその設定がどうなのよ?と突っ込みたくなりますが。
が、自分がなくなってしまうのでは話が続かないので、自我を保ちながらひとつになることを私たちは求めるわけです。
悟りや目覚めについてもいろんな言われ方がありますが、それも正解などないと思います。
こんな神秘体験があったという報告に惑わされて、神秘体験がないと覚醒していないと思う人が増えたと思います。
輪廻転生もアセンションも悟りもワンネスも解脱も神様の世界も宗教も全部思考の産物。
どれほど私たちは作られてきた思考の世界の幻想の中に過ごしているんだろう?と思います。
これからそれがどんどんとはがれていくんでしょうね。
気づく人だけ気づくことができる世界。
でもそれが真実かどうかは誰もわからないですね。
私たちは自分が意識的にせよ無意識的にせよ、自分が信じた世界を生きるわけですから、信じることで創造しているともいえるでしょう。
それに気づけば,自分が何を創造(想像)しているか?をみるようになるんでしょうね。
でもそれもまた真実かどうかは誰もわからないですね〜。
なんとなくまんじりとしない新月の夜につらつらと書いた独り言でした〜。

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