昨日、「究極のお茶会」でお世話になっているお茶屋さんに行ってました。
おそばが新しいメニューに加わり、それをいただくことに。

このお茶屋さんの品は本当にすばらしい物ばかりですが、今回は一杯のおそばですばらしい気づきをいただきました。

本当の食べ物とはどんなものか?
私たちがなぜ他の命あるものを食するのか?
なぜ地球がそのような仕組みになっているのか?

自分なりに理解しました。


さて、おそばを待っていると最初に出てきたのは薬味。
見ただけでなにやら気持ちよく、わさびさんと大根さんが薬味として出されるのを喜んでて、ウキウキと話しかけてきました。

これはただの物ではないとこの時すでに感じたのですが。
おそばが出てきて一口食べて、アッチョンブリケーーーー!!


私たちの感性がもっと研ぎすまされてきたら、食べ物を食べるだけで、そこに使われている食物の歴史がわかるんだろうなと思いました。

どこのどんなところでどのように育ち、どのような人たちの手を渡ってどのように扱われ、今の料理になったのか、、、食べているものの一生とその背景がわかるんだろうなと。

ここの紅茶をいただいたときもそれは思いましたが、今回のほうが強烈でした。


食べ物がもっている情報を感じとりながら自分の身体に取り込んでいく。

その食物が感じたこともさることながら、それに関わった物や人々、場所などの物理的情報のみならず、すべてが何を感じたかの情報がそこに盛り込まれているわけです。

究極は一口食べるだけで全宇宙を知ることになりますが、なかなかそこまで意識が届かないので、自分の意識や感覚が把握できる範囲内となります。


もともと食べ物はそういうものなんだろうけど、今はそのようなコミュニケーションをする人はあまりなく、食べ物は「食物」として扱われ、私たちは腹の足しにするだけです。栄養やエネルギー量などについては考えるかもしれないけど。


食べるということはその食物のいのちをいただくことであり、そのいのちとはどくどくと心臓が動いていたり息をしていたりということではなく、その一生で取り込んだ情報すべてを自分の中にありがたく取り入れさせていただくということ。

心を込めて作られた食物にはそのエネルギーがこもっていますから、それを食べればその思いが伝わってきます。


それを食べた(取り込んだ)ということはその思いを今度は自分が伝える側になったということだと思います。

そのいのちをいただいたのだから、そのいのちを伝えていくのは当然なことで、その連綿と続いていく「なにか」を「いのち」というのだと思いました。

「いのち」というのは一個の個体の命ではなく、たくさんの生き物がつながりあって生きていることであり、情報交換の場であり、全体の生命システムの生業すべての関わり合いなんだなあと実感しました。


で、食することはどういうことか?というと、「対話」。

食べることにより、その食物に秘められたそういう情報をいただきながら、その食べ物とコミュニケーションをとること。

ここでいう情報とは、例えば、どこでだれがどのようにというような情報だけではなく、どういう思いに関わってきたかというような情緒面での情報も含みます。

それを体内に取り込むことにより、自分もまたその食べ物に秘められた無数のいのちのことを知り、そのメッセージを聞き取り、それを生きている自分がいかに活かすか、伝えていくか、、、本当はそのために私たちは食するのだなと思いました。

自分が生きるために食するのではなく、この星とこの星の生き物がより豊かに生きていけるにはどうしたらいいかという情報を得るために食するのだと。

それを知ればそのように行動することになるでしょう。

いのちをつないでいく仕組みや、自分が分離した個ではなく、つながりあっている生命体の一部分であり、全体であることを知ると、個の認識が変わります。

そこまで大げさにならなくても、今自分が食べているものと対話しながら食べることが本当に食べることなのだと思います。
「おいしい〜」と味わうのとは違い、明らかに「対話」でした。


本当に大切に育てられてきたもの、あるいは本当にいい環境の自然の中で育ったものを食すれば、ありがたいたくさんの情報を得て心豊かになれますが、如何せん、今の時代、なかなかそういう物を得るのが難しい時代です。

もし食事が食物との対話となると、今一般的に食べられている食物の数々は対話するに耐えうるものではないかもしれません。

そう思うと、そのような感性にならないほうを選ぶ人もいるかもしれませんね。それもまた個人の選択にお任せしますが。


また食べ物に限らず、身の回りの物についても同じことが言えると思います。
物質だけでなく、そのものが含んでいる情報を読み取っていくようにすると、自分がどんな物に囲まれていたいか、またどういう扱いをしたいのかなどみえてくると思います。


食に関する概念が一気に変わってしまいました。
かといって、すぐにこのレベルの食生活ができるかというと、正直ムリ。。。
もっといい食材とスローライフにしていかないと難しいなと思います。
これを継続するのはかなり高い精神性が要求されると思います。

それでもこれからの価値観は少しずつそういう風に変わっていき、それが豊かさの本質となる時代となっていくと思います。
それが文化として浸透するのはまだ先のことだとは思いますが。


私はまだまだはるか後方にいるので、まず身近な身の回りから変え始めないといけません。

でも今回の気づきは本当にありがたかったです。
価値観ががらりと変わりました。

お金の豊かさよりがぜんこちらの豊かさを好みます。
どちらにしろこちらの豊かさに移行したらお金の問題はなくならざるを得ないことになるでしょうが。

いやはやすばらしい気づきをありがとうございました。感謝です


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m