
現在公開中の映画「クラウドアトラス」を再び(二回目)観ました。
それはなぜかというと、つい先日、自分もまたクラウドアトラス的状況にいることにはたと気づいたからです。
映画を見て、ブログ記事にも書いていたのにまったくそれに気づいてませんでした。
日が経ってから「あらっ!」と気づいて、もう一度観たくなりました。
2回目を観たらもっと理解できるだろうと思いましたが、ますますこんがらがってしまいました^^;
なぜなら1回目で見えてなかったものが見え出したからです。
新たな気づきも起こり、「思ったより深いぞ、この映画」と思って新しい視点ももちながら観るとまた新たに気づくことあり、ますます映画の中で起こっていることが把握しきれなくなって、これは〜〜もう一回観なくてはならんか

過去記事「クラウドアトラスの視点」に『ありとあらゆることが編み目のごとく関連し合っていて私の頭では追跡不可能』と書きましたが、まさにそれでした。
それを把握しようと思うと相当エンドレスな作業になっていくと思うし、だからどうなのさ?というところもあります。
映画を見ながらも、これは誰だろう?と思いながら、他の時系列と結びつけてましたが、そのうち、今現れている世界で何かが起こると、他のところではなにがどのようにおきているのか?というところも気になり出し、さっきまで見えていた世界と次に現れる世界のリンクづけなどいろいろと気になり出しました。
いくつかの違う時系列の人生が展開していくのですが、同じ俳優が同じタイムラインの過去と未来で違う役をしていたりというのもあったようですので、輪廻転生だけではなかったようです。
また同じ俳優が違う役をしていると、その役同士が同じ魂の生まれ変わりと思いがちですが、必ずしもそういえないかもしれないし、、、。
一つの世界でいい決断をした/しなかったことが、他世界にどう展開していくか?とか。
ある人があるところで言ったことばが他の世界でそのまま実現していたり,影響を及ぼしていたり。
もしこの人がその言葉を発しなかったら、その世界が起こったのか?起こらないのか? それらが関係あるのかないのか?
過去世でしたこと,気になったことが、他の世ではどのようになっているのか?
もちろん同じタイムラインの世界でも同様のことが言えます。
またそういう話だけでなく、現在社会の風刺、支配層とそうでないものとの関係や,同じ状況を親子関係にも関係させたり、現在の私たちへのメッセージも含め。
相当考えられて作られた作品、というより右脳的直感によって作られた作品なんだろうなーと思います。
それこそ高次元存在が働きかけてできあがった映画かもしれません。
また、見る側が関連づけていくことで新たな関連性が生まれていくのかもしれません。
輪廻転生も含め、時系列関係なしに、どこかで何かが変わったら宇宙全体に影響するといってしまえば簡単ですが、それがどこでどのように影響しているかは現実には把握不可能です。
バタフライ効果みたいなものだけど。
例えば、列車の人身事故。
事故自体は誰かが列車にひかれた。事故?自殺?何人の人に影響が出たというニュースで終わりですが、その事故による影響ははかりしれません。
例えば、それで大事な約束に行けなくて仕事がおじゃんになるとか、飛行機に乗り損ねたおかげで墜落事故を逃れたとか、足止め食ったおかげで思わぬ人に出会ったとか、とくに変わった出来事はなかったけどいらいらしたとか、関係した人たちすべてに対していくらでもストーリーが始まっていくわけです。
、、、列車が止まってイライラしたので降りた時、落ちてた缶を蹴った、、、それが前にいた人にあたり、、、その人が今、奥さんになってる、、、その子どもが時代を変える大発明をした、などそれに関わる人たちのストーリーもかわっていくわけで、これはきりがないです。
すべてのものはつながっていて、ひとつが変わると全体に影響するというのは頭では「なるほどそうだね」でわかるのですが、実体験でと思うと、なかなか私のくしゃみがアフリカの飢餓を引き起こしているとか思えないわけです。
仕組まれたように絶妙なタイミングで物事が起こることは今まででもよくあったことです。
が、だんだんと、以前誰かがした体験と似た状況を自分が体験していて、ああ、あの時この人はこのように感じていたんだろうなーと感じることや、誰かが誰かにしたこと/されたことを第三者が行なっていたりされていたり、またそれが違うところから戻ってきたり、、、集合意識/無意識的なところでのことを追体験しているとか、、、。
「あなたとわたし」という関係ではなく、いくつかの視点や立場を体験するために物事が起きているような状況がすごく増えてきているなーと感じていて、はたと「これってまるでクラウドアトラス、、、!」と思い至ったわけです。
なにかヒントが得られるかも?と再び見に行きましたが、ヒントになるより、もっと深いものがあると感じてしまいました。
前回は思わなかったですが、今回思ったことのひとつ。
あの「お告げ」はどこから来たのか?
映画を見た人は何のことを言っているかわかると思いますが、このお告げだけは現れていたどの世界のものでもないように思うのです。
私にはまだまだ気づけていないところがたくさんあるように思いますが、それぞれのタイムラインの世界があり、それらがつながりあって世界を構成していて、その世界は過去世も未来も地球外も含まれていて、どこかで誰かが体験することがすべてに影響して全体が変わっていきます。
けれどもそのようにこの物語を追っていっても本質には到達しないように思います。
なぜならそれは見えるところに表現されていないから。
結局また「うしろの世界」なんだけど、私たちを本当につなげているものが私たちの本質であり、現象や見えていることや経験していることはその部分でしかないんだろうなと思います。
「人間」は「人」と「間」。
人と人の「間」に本質がある。
「間」は門構えがあって、その真ん中に「日」がある。
「日」は○に点。いのちの始まり。
○だけだと「口」。となると「問」。
空、ゼロフィールドに問いを放つと、いのちが始まる。
私たちは体験するその部分を現実と思い、そこに真実があると思って探します。
が、本当の目覚めは個人レベルの話ではないんだろうな、、、。
今日ツイートで、「龍」という表現をしましたが、個人を超えたすごいものが目覚めつつあるのを感じます。
それは本当は龍ではなく、うしろの世界そのもの、うしろの世界は私たちの本質。裏返ったところの本質。
私が以前言っていた「しらたまさま」はそのところのものです。
私はその鱗片を感じているだけで、まだそのものを把握していないけれども、これからこれが大きく動き出していくと思います。
形も概念も名前もないものなので、いろんな呼び方がされていると思います。
それはまるで津波のごとく、すべてを飲み込んでいきます。
そこにいったん淘汰されることで、また新しい世界に生まれ直します。
(実際に津波が起こるという話ではなく、エネルギーの話です)
まさにこれはさなぎがさなぎの中でドロドロになって蝶になっていく過程と同じです。
なんとなく感じとっておくと、その時がきても大丈夫〜と思えると思います。
個人の目覚めがその大きな意識の目覚めを促すんだろうと思います。
この大きな意識は「新しい自我」が生まれるということかもしれない。
その自我は個々人ではなく、それ以外「間」で形成されるもの、宇宙自我といっていいかも?
それとも地球の精神圏(ヌースフィア)ができあがってきたということだろうか、、、?
でも地球というより宇宙全体のような気も、、、うーん、もうちょっと探ってみます。
なんだか「クラウドアトラス」からわけのわからない話になってしまいました。
すごいことになってきたなあ、、、。

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