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「原罪と性的交わり1」 の続きです。


この世界はなぜ二元性の世界か?

男女、昼夜、陰陽、左右、天地、二つのものは同じ種でも性質は全く違います。
神がこの世を創りたもうたものなら、わかりあえるように近い性質で創ればよいのに、 と思ったことはないでしょうか?

二つを全く違う性質にしたのは、お互いの違いを受け入れるため、 全く違っているのに、凹凸がピタリと合うような快感、悦びを感じるため、 完全に受け入れる、受け入れられるということがどういうことかを知るため、 二つの違うものがひとつに合わさることで大きなパワーを放つ、その悦びを知るため。

エデンの園はその悦びに満ちているところです。
二つの相反する存在がつながり合うことで起こる歓喜、悦び、 それが満ちているところがエデンの園でした。

神聖なる性エネルギーとは、創造の瞬間の悦びを表します。
そのひとつになる感覚は、宇宙との、神との合一の瞬間でもあり、 神の創造の瞬間を理解することになります。

その合一のエネルギーは生の活気に満ちたもので、 地球上の存在にすべて活気と生気を与えています。

人間の交わりだけでなく、動物、植物、すべてそうです。
が、動物は自意識というものが人間ほどないので、合一感などはあまり感じません。
種の継続のためにやっている可能性の方が高いです。
もちろん波動的に外部にも影響を与えます。

性の交わりで大きなエネルギーを放てるのは人間です。
イルカなどの高等な生物もそうです。

エデンの園では、人間は裸でした。
あれは羞恥心がない様子を表しているのではなく、 性の自由さというか、性行為による自我からの解放と自然との調和を表しています。

また、性が恥ずかしいものでなく、おおっぴらにできるものであり、 神聖なものであるということも表しています。

蛇がイブをそそのかしてリンゴを食べさせ、イブがアダムをそそのかしたおかげで、 人間は園を追われるとありますが、これも解釈の仕方でずいぶん変わります。

今までの支配者にとっては、女が悪い存在で、男をそそのかすものとしておく方が都合がよかったのです。
女の本来のパワーが目覚めては困るのですから。

本当は、蛇は男根、あるいは、支配しようとする者を表し、リンゴは女性を表します。
蛇(男、支配者)にそそのかれ、おのれに傷をつける(食べる)ことで(女性卑下)、 女性は劣っている、悪である、そのせいで、男もエデンを追われた、 性は恥ずかしいもの、よくないもの、と塗り替えてしまいました。

そのおかげで、人間は本来の調和のパワーを失ってしまいました。
調和の方法を否定された人間は、その存在を否定されたように感じ、 自分のことを恥じて、罪深いと思うようになりました。

性行為がよくないものとなり、そこから生まれる人間は罪深い存在となりました。
そこからたくさんの問題が生まれることになるのです。

実は、セックスとは、最高の「神とつながる方法」であり、 誰もが悟ることができる道なのです。

その行為の中から生まれてくるエネルギーは、 自然に活気を与え、地球全体を輝かせ、元気にすることができます。

イザナミのエネルギーが解放されたことにより、 性のあり方、考え方も少しずつ変わっていくでしょう。

「和音」2009.9.10


注)
神話や逸話は象徴言語ですから、幾通りの解釈ができるものと私は思っています。ここでのアダムとイブの話はそのうちのひとつと思ってください。

また、男性/女性がいい/悪いという二元論的話ではありませんので、そのように受け取らないでくださいね。

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