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前回の続きです。

ところで、浅間山で感じた女性性のエネルギーについてです。

浅間神社といえば、木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)。
一般的に言われている木花咲耶姫のイメージは、華やかで美しく男性にモテそうな女性のタイプです。

今回の浅間山はそれとは全然違った印象でしたので、もしかして木花咲耶姫命のそのイメージはあとづけされたもので、もともとは女性のトータルなイメージを兼ね備えていたのかもしれない、、と思ったのでした。

が、後でネットで見ていたら、磐長姫命が浅間山の神とされていたという記事がありました。
それを読んで納得。
浅間山のエネルギーは磐長姫だとするととてもよくわかります。

神話では、木花咲耶姫と磐長姫は姉妹です。

木花咲耶姫と磐長姫は本来ひとつなのでしょうが、見た目の良さだけを選んでしまったニニギノミコト。
この社会も寿命が短いのも、みにくい(観にくい)ところを軽視した結果です。
内面より物質界を重視した世界。金と権力。

磐長姫に象徴されるのはその対極の精神性などの内的世界。

浅間山は、自然の本質的な豊かさのエネルギー、大きな循環構造のもと、すべてが見えない慈愛に育まれ、個体でありながらひとつのエネルギー体に含まれているのを個々の存在が感じ取って全体のために存在している、、、というすばらしい楽園でした。

ここには「つながり」「一体感」の本当の意味が隠されているように思いました。


人間の肉体は、皮膚や各臓器、手足、目鼻口、髪の毛、約60兆の細胞、微生物、細菌、意識などさまざまなものが存在してひとつの身体を構成しています。

ひとつひとつの存在が、全体形としての肉体と個々の存在を理解していて、個として生きながらも全体として機能することで、鳥の連隊のようにベストなかたちで調和が保たれています。

そういう風なあり方が浅間山の自然界ではおこっているなあと感じました。
山自体のエネルギーがそんな風なのですね。

すばらしい慈愛(昔の人なら浅間山の女神と認識するようなエネルギー)に育まれていることをそこに存在しているものたちは知っているように思いました。

それが一方的ではなくて相互作用なんですね。
山の女神とも呼べるような慈愛に満ちたエネルギーが溢れていて、自然界はそれを受け取り、また同じようにそれを返しています。


今日,庭で菜の花の種がとれたんですが(今頃!まだ小さい花が咲いています)、この一粒の種が来年花咲いたら何百という種を生み出すんですね。

「自然は豊かになるようにできている」と聞いたことがあります。
人間がいらぬ手を加えなければそうなのでしょう。

人間の欲がすべてを変えてしまった、、、というのは、木花咲耶姫と磐長姫にまつわる神話に象徴されています。

私はまた近々浅間山に登ってこようと思います。
次回はなんなのかわかりませんが、今年、あと2回は行かねばならないらしいです。

高峰温泉はお気に入りの温泉となりました。
近くに行くことがあれば、ぜひ行ってみてくださいね!


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