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最近、こちらからの配信メールが届きにくくなっているようです。
昨日まで着いていたのに翌日から来ない〜なんてこともあるようです。
特に「自分に捧げる言葉365日」や「えなふことば」を登録されている方は、@kokorobi.com を受信許可設定をお願いします。
では本題です。
今日配信のメルマガ「プチ奇跡 第325号」からです。
前半後半に分けて載せます。
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私たちが成功を恐れるのには、もっと大きな理由がある。
自分の力を恐れているのだ。私たちは、自分で思っているよりも
ずっと大きな力を持っている。自分の力を自覚してしまうことは、
決して快適なものではない。
それに、もっとずっと信じやすい文化的状況がある。
夢は実現しない、人生において与えられるものはそう多くはない。
私たちはあまりにもこうした考え方に慣れ親しんでいる。
「心を静かに燃やせー人生というゲームを心ゆくまで楽しむ方法」
ピーター・マクウィリアムズ
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先日、ある人が、「今は以前より思ったことが実現する速度が速くなっているから、どういうことを望むのか?どういう社会にしたいのか?ということをどんどんと話し合っていくと実現速度も速まる」といわれました。
私もまさにその通りだと思います。
現実的に行動を起こしていたらもっといいですが、実際的な行動を起こしていなくても話題にするだけでもそこに新しい息吹を生み出すエネルギー場ができていきます。
より多くの人が話題にすればするほど、その世界が実現しやすくなる、、、という時代だと思います。
今、原発や放射線についていろんな話があり、論議がされています。
それぞれの人の立場や状況が違うので正しい答えはないように思いますが、何を話題にしているか?というところは注意すべきところだと思います。
1年ぐらい前までは、自分の闇やエゴを手放そうとがんばっていた人は多かったと思います。
今は社会構造にそれが表面化しているように思います。
見えないエネルギー的な世界から始まった変革が今やっと、私たちが暮らす現実社会での出来事として現れていると思います。
例えば、原発は人間のエゴの象徴と言えます。
それは原発推進派のことを言っているわけではなく、原発や放射線の影響に関して反応している私たちみなに言えることです。
つまり自分のエゴを原発や放射線、電力会社、政府、陰謀説などに投影していないか?ということです。
これはひとつの視点からでしかないのですが、
個人個人の心の問題が社会現象に投影され、自分のそれを見る代わりに、社会事象や誰かのせいだと責任転嫁をして煮詰まっているように感じます。
もちろん大衆を虫けらのように扱い、私欲を肥やす人たちが悪くないといっているわけではないですが、誰が悪い、ああだこうだとと非難していても、自分の波動は上がらないよね? ということです。
ただ、本気で社会変革を起こしたいと思ってそうしている人たちはめざしたいところがありますから、きたるべき未来像を見ずに文句言ったり、不安がっている人たちとは違います。
いろんな状況の人たちがいらっしゃるので、一言でこうですとは言えませんし、中には本当に過酷な状況の方もいらっしゃいます。
そういう方々にはとても言えないことですが、心に多少の余裕のある人は考えてみてください。
なぜならそのところを見ない限りは、この先ずっとそれはついて回るからです。
少々、私のことを申し上げれば、私は原発反対ですし、大飯原発再稼働はシナリオ的に良くない方向に進む可能性ありとみました。
つまり、大飯原発再稼働によって、人々の意識の中に「これではいけない」という思いを呼び起こしやすくなり、それが新たな災害や混乱を生み出す可能性を秘めていると感じたわけです。
これは私がそう感じるという話で、そうなると言っているわけではありません。
もちろん、そうなる前に自分なりに内観をして、そうならないようなビジョンをもとうと思いますが。
自分の中にそういう可能性を見ているから危険を感じるわけで、それをなくせば何事も起こらない可能性の方が増します。
その可能性を減らすためにはどうしたらいいか?
私の場合、ただ内観するよりは、ブログに書くとか、ツイートするとかの行動が起こしたくなりました。その時に自分の心の動きを見つつ、動いていたのですが、自分の中の反骨精神が首をもたげたのに気がつきました。
私はアウトサイダー的なところがあり、体制や大勢に従いたくない傾向があります。
再稼働反対!と言うことで、自分のその欲求を満たそうとしていたわけです。
なるほどなーと思いました。
言い方を変えれば、「体制に反対したい欲求を満たすために、今の現象を創り出している自分がいる」とみてとれるわけです。
これはひとつの例ですが。
こういうことを書くとひんしゅくを買うかもしれませんが、
今の諸々の社会情勢に反対したり批判している人たちは、それをすることで、自分の心の中の満たされない何かを満たそうとしているのではないでしょうか?
人間の、現状に満足しない心の状態があるおかげで、文明は発達してきたので、それが悪いことだとは思いません。
が、自分自身のことを棚にあげたままでいいの? ということです。
後半は次回載せますが、先に読みたい人は、メルマガ「プチ奇跡」第325号を見てください。
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m
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ピーター・マクウィリアムズ
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先日、ある人が、「今は以前より思ったことが実現する速度が速くなっているから、どういうことを望むのか?どういう社会にしたいのか?ということをどんどんと話し合っていくと実現速度も速まる」といわれました。
私もまさにその通りだと思います。
現実的に行動を起こしていたらもっといいですが、実際的な行動を起こしていなくても話題にするだけでもそこに新しい息吹を生み出すエネルギー場ができていきます。
より多くの人が話題にすればするほど、その世界が実現しやすくなる、、、という時代だと思います。
今、原発や放射線についていろんな話があり、論議がされています。
それぞれの人の立場や状況が違うので正しい答えはないように思いますが、何を話題にしているか?というところは注意すべきところだと思います。
1年ぐらい前までは、自分の闇やエゴを手放そうとがんばっていた人は多かったと思います。
今は社会構造にそれが表面化しているように思います。
見えないエネルギー的な世界から始まった変革が今やっと、私たちが暮らす現実社会での出来事として現れていると思います。
例えば、原発は人間のエゴの象徴と言えます。
それは原発推進派のことを言っているわけではなく、原発や放射線の影響に関して反応している私たちみなに言えることです。
つまり自分のエゴを原発や放射線、電力会社、政府、陰謀説などに投影していないか?ということです。
これはひとつの視点からでしかないのですが、
個人個人の心の問題が社会現象に投影され、自分のそれを見る代わりに、社会事象や誰かのせいだと責任転嫁をして煮詰まっているように感じます。
もちろん大衆を虫けらのように扱い、私欲を肥やす人たちが悪くないといっているわけではないですが、誰が悪い、ああだこうだとと非難していても、自分の波動は上がらないよね? ということです。
ただ、本気で社会変革を起こしたいと思ってそうしている人たちはめざしたいところがありますから、きたるべき未来像を見ずに文句言ったり、不安がっている人たちとは違います。
いろんな状況の人たちがいらっしゃるので、一言でこうですとは言えませんし、中には本当に過酷な状況の方もいらっしゃいます。
そういう方々にはとても言えないことですが、心に多少の余裕のある人は考えてみてください。
なぜならそのところを見ない限りは、この先ずっとそれはついて回るからです。
少々、私のことを申し上げれば、私は原発反対ですし、大飯原発再稼働はシナリオ的に良くない方向に進む可能性ありとみました。
つまり、大飯原発再稼働によって、人々の意識の中に「これではいけない」という思いを呼び起こしやすくなり、それが新たな災害や混乱を生み出す可能性を秘めていると感じたわけです。
これは私がそう感じるという話で、そうなると言っているわけではありません。
もちろん、そうなる前に自分なりに内観をして、そうならないようなビジョンをもとうと思いますが。
自分の中にそういう可能性を見ているから危険を感じるわけで、それをなくせば何事も起こらない可能性の方が増します。
その可能性を減らすためにはどうしたらいいか?
私の場合、ただ内観するよりは、ブログに書くとか、ツイートするとかの行動が起こしたくなりました。その時に自分の心の動きを見つつ、動いていたのですが、自分の中の反骨精神が首をもたげたのに気がつきました。
私はアウトサイダー的なところがあり、体制や大勢に従いたくない傾向があります。
再稼働反対!と言うことで、自分のその欲求を満たそうとしていたわけです。
なるほどなーと思いました。
言い方を変えれば、「体制に反対したい欲求を満たすために、今の現象を創り出している自分がいる」とみてとれるわけです。
これはひとつの例ですが。
こういうことを書くとひんしゅくを買うかもしれませんが、
今の諸々の社会情勢に反対したり批判している人たちは、それをすることで、自分の心の中の満たされない何かを満たそうとしているのではないでしょうか?
人間の、現状に満足しない心の状態があるおかげで、文明は発達してきたので、それが悪いことだとは思いません。
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