だいぶん前に、ブログ記事にしようと思って書き出してそのまま放置していたメモがありました。

「私たちが現実だと思っているものはなにか?」ということの参考にしてください。


投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待」(マイケル・タルボット著)より抜粋

「神経症にかかると、あるメモリーが蓄積されて、それが同じところでひっかかってしまったかのように、自分の生活の中で同じパターンを繰り返したり同じ行動をとったりする傾向が出てくる」と彼は語る。「私は椅子やテーブルといったようなものもこれと同じなのでは、と思うことが多い。それはちょうど物質の神経症、とでも言えるもので、要するに繰り返しの産物なのである。しかし、現実の中にはそれよりもずっと深い神秘的な何か、途切れることのない包み込みと開示が存在しているのだ。この意味で、椅子やテーブルは、絶え間ない流れの中にできた『習性』でしかなく、たとえ私たちの目には習性だけしか見えなくとも、流れの方こそが真の現実なのである。」


「誰もが当たり前の事実として知っていることとは裏腹に、脳が意識を生み出しているのではなく、意識のほうが表面上は脳と見えるものを創造しているのかもしれない。脳、物質、空間、時間、そのほか私たちが物理宇宙と解釈したがるものすべてについても同じことが言える。」


 ティラーはこの宇宙自体も精妙なエネルギーとして始まったものであり、身体の場合と同様の効果によって徐々に密度を増し、物質化していったとさえ主張している。彼の見方によると、たとえば神は、この宇宙を神聖なパターンないし思考として創造したとも考えられる。超能力者は人間の気場にイメージが漂っているのを見るが、そのイメージと同様にこの神聖なパターンも型板として機能し、「一連のホログラムを通じてひとつひとつ次の段階に降りていきながら」、下位に属する宇宙気場のレベルに影響を与え、それらを型どっていき、最終的にはそれが物質的宇宙のホログラムへと融合して固まっていくのである。
 もしこれが真実だとしたら、人間の身体はもう一つの面でホログラフィックである。なぜなら、私たちの一人ひとりが真にひとつのミニチュア宇宙であることになるからだ。(中略)ここでもまた考えられるのは、私たちの思考がたえずホログラフィック・ユニヴァースの精妙なエネルギー・レベルに影響を及ぼしているということだ。


UFOの存在も、人類の集合無意識から発する元型である可能性は充分あるものの、私たち自身のほうが彼らの集合無意識の元型である可能性もある。彼らが私たちの精神の深層の一部であるのと同じように、私たちも彼らの一部であるかもしれないのだ。ストリーバーもこの点に触れており、彼を誘拐した存在が属する宇宙と私たち自身の宇宙は、全宇宙的を舞台にした霊的交流のなかで「ともにお互いを紡ぎ出している」と語っている。
(注*ストリーバーはUFO誘拐の犠牲者であり、研究者。「コミュニオン」の著者)


ひとつわかっているのは、ホログラフィック・ユニヴァース ー すなわち、分割はもはや存在せず、精神の深層におけるプロセスが外界にあふれだし、花々や木々とまったく同じように客観的世界の風景の一部となることがありうる宇宙では、現実そのものも、みんなが共有する夢でしかなくなってしまう、ということだ。存在の高次の次元では、この夢のごとき側面はさらに明らかとなり、この点は多くの伝統にもはっきりと述べられている。(「チベット死者の書、アボリジニの夢時間、等)・・・それはいったい誰の夢なのか?


ホログラフィック・ユニヴァースでは、この問いかけに意味がないからだ。はたして部分が全体を創造しているのか、それとも全体が部分を創造しているのかをとうことはできないのである。なぜなら、部分は全体そのものだからだ。したがって、万物の集合意識を「神」とよぼうが、単に「万物の意識」とよぼうが、それは何のかわりもないことなのである。



 サンフランシスコ在住の心理学者、故ヘレン・ウォンバック博士は、小規模のワークショップで参加者をグループごとに催眠術にかけ、・・・大掛かりな未来予見プロジェクトを実施した。このプロジェクトに参加した2500人に関する報告が集計されると、きわめて興味深い特徴がいくつか現れてきた。・・・被験者は、それぞれが異なった未来と関連している四つの分類に見事分かれたのである。

ひとつのグループは、ほとんどの人間が宇宙ステーションに住み、銀色っぽい服を着て、人工食品を食べているという、よろこびも感じられぬ味気ない未来を語った。

もう一つのグループ、「ニューエイジ派」は、いまよりずっと幸せな、自然環境の中でのより自然な生活を報告し、そこでは人々が互いに調和のとれた生き方をして、何かを学ぶため、そして霊的な進化のための生活が営まれていた。

第三のタイプ、「ハイテク都会派」は、人々が地下都市、あるいはドームや巨大な泡のような屋根でおおわれた都会に住んでいる殺伐とした機械的未来を語った。

第四のタイプは大災害を生き延びた人々で、地球的規模のなんらかの災害(おそらく核戦争だろう)に襲われた後の世界に住んでいる。このグループの人たちは、都市の廃墟から、洞窟、あるいは孤立した農場まで、さまざまな形態の住居に住んでおり、手縫いの簡単な服(毛皮類が多い)を着て、食べ物の多くを狩猟に頼っていた。

 これはいったいどう説明すればいいのか? チェット・スノウ(ウォンバック博士の研究を引き継いだ心理学者)は、ホログラフィック・モデルにこの答えを求めている。彼も、このような調査結果は、運命の霧の中に、いくつか起こる可能性のある未来が存在していることを示唆すると考えている。しかし、他の過去世研究者と同様に、個人レベルでも集合レベルでも、運命を創造していくのは自分自身であると彼も考えており、この四つのシナリオも、人類全体が自分自身のために創造しているのであり、起こりうる可能性のある未来をかいま見せてくれているのだとしている。

 この結果、スノウは、核シェルターをつくったり、一部の超能力者が予言している「来るべき地球大変動」によって破壊されない地域に移住したりするかわりに、私たちはよい未来を信じ、それをありありと想い浮かべることに時間を費やすべきなのだと解く。グリニッジ標準時で毎年12月31日の正午から午後一時までの間、世界平和と癒しのため、ともに祈り、瞑想することに賛同した世界中の何百万人もの人たちの集合体である<惑星委員会>のことを、彼は正しい方向への一歩の例としてあげている。
「もし私たちが、今日の集合的思考や行動によって、未来の物理的現実をつくりつづけているのだとしたら、現在ある現実をつくりあげたのは自分たち自身なのだと目覚めるべき時はいましかない」とスノウは述べる。「ひとつひとつのタイプに象徴される地球の姿に関する選択肢は明らかだ。私たちの子孫のためにいったいどれを望むのか?私たち自身にとっても、もしかしたらいつの日にか戻って来てみたいと思うのはいったいどの地球なのか?」。


人間が介在する前の世界とはいったいなにかというと、それは個々の対象物には分かれていない、のっぺらぼうな塊であると考えられている。クリフ・ハイはよくエネルギーの比喩を使うが、例えば世の中のすべての存在物の真の姿がエネルギーの塊であるとするなら、対象物はそれぞれ独立した個物ではなく、エネルギーが相互に干渉しあう「場」として見えてくるだろう。そうすると世界全体も、様々なエネルギーの「場」で作られる大きな川の流れのように見えてくるだろう。

そのようなもともと個別の対象物がはっきりとは区別されていない世界に、「花」「木」「石」などというような個別的な対象物を見出しているものこそ実は人間の意識の作用であるとするのが唯心論の基本的な理解である。人間の意識が刻一刻と対象を切り出し、個物に分けているというのだ。したがって、いまわれわれの目の前にある世界はわれわれの意識が作りだしたものであり、意識なくしては存在しないというのだ。

In Deep クリフ・ハイが無意識に自らのエッセイにこめた人類のシンクロニシティの進化