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先日311に行っていた和歌山の串本に絡んだ話です。
この話を書こうと思うと長くなりそうなのでやめとこうかとも思ったのですが、できるだけはしょって書きたいと思います。

今回のことは2009年の立春の日の淡路島から始まっています。
淡路島から伊勢の神島まで繋がっている「太陽の道」というレイラインがあります。
伊勢久留麻神社参拝時に「3/3までに太陽の道を伊勢まで行け」というメッセージを得た後、その上空で生まれて初めてUFOを見ました。

それは淡路島の舟木石上神社から始まり、伊勢の神島までの道のりでした。
神社にお参りすることになるかと思ったら、私が行ったのはほとんど磐座ばかりでした。

神社があるので、神社に神様がお祀りされているようで、実はたいてい自然信仰が隠れています。
山や磐座や巨木、川などが信仰の対象となっています。
それ自体というよりそこにおわす神霊といったほうがいいのかもしれません。

神霊といっても、人間的な神様というより,一種の神聖なるエネルギー場という感じでしょうか。
昔の人々は、そこで未知なる領域とエネルギー交換をしていたのかもしれません。

神社の形式はもともとの日本の信仰ではなく、昔、大陸から来た人たちのカバラ思想が日本に浸透したみたいですね。
この件については、自分の中で違和感を感じたり統合できたりを繰り返していますが、、、。


「太陽の道」を行く間、ずっと太陽と女性について考えることになりました。
それまでは磐座と女性の関係を考えたことなかったですが、しょっぱなの舟木石上神社が昔は女人禁制のところで、、、。

行ってみてわかったのが(といっても文献を見たわけではなく、感じたことですが)、この磐座信仰というのは、もともと岩を神様が降りる依り代として信仰の対象としていたわけではなく、岩とある周波数で響き合うことで宇宙のエネルギーを取り込むことができる装置だったと思います。

それが神様が降りてくる依り代と言われるようになったのでしょう。
ここで言う神様(カミサマ)は、エネルギーとして存在しているものだったと思います。例えば、雷(神鳴り、神成り/生り)のように。

特定の配置と、多分は、声とハートの波動と意図で共鳴させていたのであろうと思います。
それにより大地を肥やしたり、天候をある程度変えたり、、、。

反重力で岩を持ち上げて動かす技術もあったみたいですが、これは後日、本を読んで共感しました。(こちらにも少し書いていますが、この続きを書こうと思ってまだ書いてないなあ「何も起こらない完全なバランスの「間」2」

そしてその共鳴システムを司っていたのは女性。
共鳴してパワーを増大させるものですから、調和が大事です。
そういう文化があるところでは、支配するという概念はあまりなかったのでしょう。

私が舟木石上神社で感じたのは(あくまで感じたことであり、本当かどうかはわかりません)、そのパワーを支配したいと思う人たちが出てきて、血なまぐさいことがあり、関わっていた女性達は悪用されることを怖れ、岩が共鳴しないように配置を崩し、その方法も封印してしまったようです。

このようなことは各地であったでしょう。
この神社の横に女性の遥拝所があったのですが、ここは恐くて入れませんでした。無念な女性の念がまだつまりにつまってました。

という歴史を感じたのが、一番最初に訪れた神社だったということもあったのでしょう。
太陽と磐座と女性について考えながらの道中となりました。

そして、話はとばしますが、3/3 には無事、ゴール地点の伊勢神島に行くことができました。
ここは三島由紀夫の潮騒のモデルになった島だそうです。


さて、やはり最初から話が脱線してしまいました、、、。
全然串本の話がでてこないじゃん

ということで、次回に続く、、、かな?


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