blogranking←生きる希望にワンクリック♪

さて、もうそろそろ一月の前半が終わりつつあります。
小規模の地震は多いですが、日本での大地震は起きてないですね。
その代わりに年末年始は天から降ってきましたね。
天災でなく、人災でした。そっちに気を向けてなかったな、、、。

「お金欲しいと思ったら火事になって保険金が入った」なんて例を書いたせいか、大地震が起きないようにと気を向けていることで地震は起きなかったけど、セシウムが増加ということが起きたのかなあ?なんて何となく考えてしまいました。
そうだとすると、やはり何かが起きないといけないという思いがあるんだろうなあ〜。

いろいろと考えてしまいました。


私はもう何度もこのブログにも書いてますが、「自分が宇宙を創造している」「今、自分が未来を創造している」というスタンスで、今、物事を考えています。

それが本当かどうかは知りません。
私がそうだと思っているだけです。
そこからいかに世界を変えていけるかを探求しています。

ただ、顕在意識よりも潜在意識のほうがそれに関わっているので、そこがなかなか難しいところです。


先日も書いたけど、不穏なことの気配というか不安を感じたら、自分の中にその要因を探します。

見つけるたびに手放すことを続けていると、自分の中の話なんですが、起こる気がしなくなってきます。
それで「ああ、もう起こらないな」と納得します。

、、、という単純な話なんですが、


ただしちゃんと腑に落ちないといけません。
理由を説明できなくてもいいのですが、自分の中で完全に腑に落ちている状態になってないなら、まだ詰めが甘いです。

自分がフォーカスしてない時(盲点になっている時、不意打ち)や、掘り下げが十分でないときも危ういです。


自分の内側を見つめるといっても、行動もします。
現実にも物事を動かしていく方が変化が早いし、より確実です。
なぜなら自分が納得しやすいから。

「どうすれば自分の不安はなくなるのだろう?」と思い、できることはするということです。
これをやっておくと不安が減るだろうと思うことはします。

それは、誰かに話をすることかもしれない、何かを手に入れること/手放すことかもしれない、どこかに行くこと、内観すること、その他いろいろその時の状況やその人によって違います。

それをせず、祈るだけでは片手落ちです。
また、これをして不安が増えるようであれば、今は不安にフォーカスする方法はすべきでないかもしれません。(あるいは徹底的にそこを見るべきか?)


不安や恐れを見て、ますます不安になるのではなく、なんで自分はその不安や恐れをもっているのか?どこからそれがくるのか?を見ていきます。

もしかすると自分の思い込みや勘違いがあるかもしれない、、、。

本当にそうだろうか?と疑ってみる。

それが起こらないようにするにはどうしたらいいだろうか?と考えてみる。

まったく別の見方ができないだろうかと探る。

起こったとしたらどうなるだろうか?

など。


できないことはできないので、できることの中からひとつひとつ不安要素を解除するために行動する必要があれば、それをします。
必要ないなら、ただ内観をして必要のない考えが見つかったらそれを捨てます。


実際に起こってほしくないことが起こるとしても、自分の中のそれに対する恐れがなくなっていれば、起こっても、それに向き合って生きていくだけです。

最後には、そのあるがままの状態をそのまま受け入れること。
そこからまた始めること。

になるのかもしれません。

今の状況をふまえたうえで、希望を捨てず、今のその状態の自分はどうあればいいのか?というところをみていくべきかもしれません。

そこには「今のありのままの自分の状態を認めている」という現状があり、そこを出発点として、「じゃあ、どうすればいいのだろうか?」とよりよいあり方を考えていきます。


Nick Vujicic(日本語字幕)


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

悦月のセッション詳細はこちらから