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前回、東国三社行きの困難を書きましたが、今日は真面目に鹿島神宮の話です。

祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)。
武甕槌神は、香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)とともに出雲の国に降り、国譲りの交渉をしたといわれています。
そこで、大国主の息子の一人、健御名方神(たけみなかたのかみ)と武甕槌神の間で力競べが行われ、健御名方神は破れ、諏訪に逃げてそこに祀られました。勝ったほうの武甕槌神は鹿島神宮、経津主神が香取神宮のご祭神となっています。


今回、鹿島神宮に初めて行きました。
鹿島神宮と諏訪大社や守屋山についてはいろいろと論議があるようです。
私も今年の秋に何度か諏訪に赴き、要石にも会いたいと思うようになりました。

鹿島神宮に行って思ったのが、ここは龍のエネルギーであるということ。
最初の拝殿がある領域はそうではないですが、奥宮、御手洗池、要石はまるで古来から土着の龍蛇神を祀っているかのよう。

以前は封じられていたのかもしれませんが、私の推測では、ここはもともとから武甕槌神を祀っているようにカモフラージュして土着神を祀っていたのではないかな?という気がします。

そうなってくると、伝わっている国譲りの話も本当かどうかアヤしい。
最初に国譲り交渉に降りてきた二神は出雲に住み着いてしまったらしいですからね。
が、その話はさておき。


ここからは私が感じ取ったことなので、本当かどうかはしりません。

ここの要石は、船石か、船(宇宙船)に関わる役割をしているみたいです。
諏訪とも関係があるようです。

同心円と上昇渦のエネルギーの流れがあり、地のエネルギーを吸い上げて変換しているみたいです。

この石で地下にいるナマズを抑えて地震を抑えているといわれますが、本当はそうではなく、この石がエネルギー変換器のようになっているので、大地にひずみのエネルギーなどを中和して流しているようです。

この石があることでエネルギーが吸収され、大地上に放出されるかたちとなり、大地はイヤシロチとなります。
だから地震を抑える石ではなく、そのエネルギーを通して放出している石らしいです。

大昔の人は敏感だからそれを感じ取って、この石(あるいは石の下の地盤)のおかげで地震のエネルギーが和らいでいるのに気づいていたのでしょう。

要石、奥社、御手洗池は、みんな龍蛇神のエネルギーでした。
その大地からわき起こるエネルギーの渦や流れを昔の人は感じ取っていたのでしょう。

もともとは御手洗池で禊いでから参拝したそうで、参道がちょうど守屋山に向かっているというのも、諏訪の龍のエネルギーを受け取る(送る)かたちなのかもしれません。

ちょっとそこらへんはまだ私の中でははっきりしていないですが、糸魚川−静岡構造線やブレートの関係があるのでしょうね。


来年は石と龍が大活躍する年になるのではないかと思います。
大きな石や磐座が太古どんな働きをしていたか?を今一度思い出し、活用する時期が近づいてきているようです。

昔は、ある一定の周波数で石を連動共鳴させて、特別なエネルギーを発生させていたと思います。
その智慧を奪おうとした人たちがいて、土着の人はそれを封じてしまったか、隠しているうちに消えてしまった可能性があります。

以前、淡路島に行った時に、その痕跡があった神社がありました。そこは以前は女人禁制で、女性シャーマンたちがその智慧を用いていたみたいですが、支配されるようになり、磐座をバラしてしまってその智慧は封印してしまったみたいでした。


鹿島神宮の要石はエネルギー変換器になっていますので、大地のエネルギーだけでなく、人間の出すエネルギーにも反応します。
私たちがこの石に感謝し、祈りを捧げるほど相乗効果が高くなり、エネルギー増幅器になります。

この要石が感謝のエネルギーを感受すればするほど、その変換効果が高まっていくのだから、その分、エネルギー循環も良くなり、より多くの大地のエネルギーを吸収変換するようです。

多くの人が感謝すればするほど、大地にたまっているエネルギーが、要石によって地上に放出されるということになります。

なので、近くにお住まいの方々はできるだけ要石のところにお参りして感謝されることをお勧めします。
近くに住んでいなくても、要石に向けて感謝の気持ちを送るだけでも同じようにエネルギーは伝わります。
是非してみて下さい。

少なくとも私が行った日の鹿島神宮のエネルギーは、とても気持ちよく、長い間虐げられてきた土着の神々、エネルギーたちが、本来の姿を取り戻し、純粋におおらかに自由に、自分であることを謳歌している感じでした。
ここでもまたハク(「千と千尋の物語」の)が本当の名前を思い出して龍になって飛んでいる姿、あれに近いものがありました。

歩きながら、ああもう次の世界の和合のエネルギーになっているなあとうれしく感じていました。

だんだんと忘れていた本当の姿、名前を思い出すものたちが増えてきているようです。
私たち人間も早くそれに追いつかなくてはね。


ところで、香取神宮。
ここはまるで反対でした。
支配と非支配のエネルギーがそのまま残ったような感じでした。
要石はいかにもという感じで、脇に追いやられた感があり、周りの柵も檻のように見えました。

このようであれば、もともとの力は出せないでしょう。
まだ本当の姿を思い出していないままですから。

鹿島神宮の要石がナマズの頭、香取神宮が尾の方を抑えているとのことですが、鹿島の方は本来の働きを取り戻しつつあり、香取の方はまだまだ深い眠りの中です。

こちらでもたくさんの人が参拝して元気づけてあげると、少しずつ変わっていくのではないでしょうか?


これは私が現地で感じたことのみからの記述なので、本当にそうなのかどうかはわかりません。私がそう思うという話です。
実際に行ってご自身で感じてみてください。

また、ここの気が和合して元気だったのと、全体の気が軽くなったせいもあるのか、私の中の日本での大地震への懸念はかなり減りました。震度5〜6ぐらいまではあるかもしれませんが。
世の中の風潮と反していますが、これからしばらくは人災の方に気を向けていかねばならないように感じています。
小さな地震は多いですが、今現在は大地は少々落ち着いているように思います。

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