
やっとわかった。といってもまだ途中だが。
今年5月に2度も天河弁財天社奥社になる弥山に登らされ、その時にみた、ガルーダらしき雲と「飯綱山」というメッセージ。
夏は飯綱山に登らねばならぬかと思っていたけど、6月の長野県上田市の祭礼を終え、しばらくしてなんだか飯綱山はもう行かなくていいと感じた。
誰かが行ってなにかをしてくれたらしい?
二度目に弥山に登ってから、弥山とは気線が結ばれたように感じていた。
そのせいか、行かずして飯縄山の本質とつながった気がしてた。
「弥山と飯綱山の関係は?」と東伯先生に聞いてみると、「修験」とのこと。
ガルーダは烏天狗に置き換えられると。飯縄山は烏天狗が関係しているそうだ。
春ぐらいから「白山」と来ていたので、また登らねばならぬかと思っていて、それは9月に登った。
その前に、運良く白山の麓の神社いくつかに参拝できた。
位山にも登ったが、この山はすごい!!
大きな磐座がたくさんあり、そこに木が根をはやしている。
今回の白山は「筒」と関係していたけど、無事終了。
天気もよく、いい登山だった。
朝日の時に出た彩雲。
大きな山の影!
山頂では、大蛇と大ムカデの出迎えにあう(イメージの中でだけど)。
翌日、山頂からの御池巡りをしたら、100匹の蛇が閉じ込められたという池と、大汝峰という山があった。
「大汝はオオナムチのことでは?」と一緒にいた人が教えてくれた。
その後、東伯先生に聞いたら「九頭竜だろう」とのこと。
九頭竜といえば、6月に戸隠奥社に言った時にサポートを得た気がした。
さて、白山から戻ってきたらなぜか、飯縄山に行かないといけないような気がし始めた。理由はわからない。
その後、諏訪方面に2回行く。
金峰山にも行きたかったが、土砂崩れで通行止め。
急遽変更して瑞牆山へ登った。
同行した方が「国常立大神のエネルギーみたいだ」と言われた。
確かにそうだと思った。
山麓にて、突然現れた岩!
瑞牆山は岩山で、後半は手足にてよじ上りました(汗)
金峰山は、往復4時間コースの登山口への道がふたつともまだ通行止め。
片道5時間以上の長いコースは行けるみたいだけど、金峰山行きは、まるで阻止されているように計画倒れになる。行くなということか、、、?
諏訪から戻ったら、松尾大社の磐座に行きたくなって登る。
木と石の役割を教えてもらう。
飯縄山に行く必要があるのかな〜?と、関連があるらしい京都の愛宕山にまず登ってみたら、何かわかるかな?と登ってみた。
そしたら、金龍(この龍は諏訪の旧御射山社で見た)が九頭竜になり「飯綱へ来い」とのこと。ここも国常立大神のエネルギーだった。
麓でこの滝を見つけてびっくらこいた。最初恐くて、しばらく鳥居をくぐれなかった。
それで行くことにして、飯縄山に登った。長野市側から登り、戸隠奥社へ降りた。
なぜ行かねばならぬかが行くまでわからなかったが、行ったらますますわからないことがたくさん出てきてしまった(汗)
途中、善光寺にも寄った。
以前一回行った時には気づかなかったけど、この寺、表に見せているものと裏の働きが相当違う。裏善光寺があるなと思った。それは隠されているけど。
話を戻して、飯綱山登拝で気になったのは、烏天狗が「烏天狗の本当の姿を知れ」と言い残したこと。
多分、稲荷の本当の姿が違うように、烏天狗もそうなのだろうと思ったけど、なんなのかがわからない。
それを知ることで、なにかひも解けるエネルギーがあるのだろうと思った。
戸隠と飯綱の関係が元糺されていないのを感じたので、そこもひっかっかったが、なにをどうすればいいかわからない。
戸隠連山の高妻山のもとに、光十字が鍵穴(前方後円墳?)に変わるのを見たりして、どうもキリストやら錬金術が関係している気がした。
ここはもう東伯先生の領域だなと思ったが、どうも自分で見つけないといけないらしい。
戸隠奥社に参拝したら、九頭竜がかなり遠くに行っていて不在なのを感じた。
言われてきたのに不在か〜〜〜、と思った。。。
どこかの山の上を飛んでいるのが見えた。白頭山か?
翌日、戸隠中社をお参りした時に、「トート」とでてきて、ああ、そういえば、東伯先生が、烏天狗は鳥人間で、トート、ケツァルコアトルもそうだと言っておられたことを思い出す。
トート、ヘルメス、やはり錬金術か、、と調べていっても、まだ腑に落ちない。
が、今日やっとわかった。2週間目にして見つけた。
迦波羅(かっばーら)というものがあるそうだ。要するに、カバラだ。
裏陰陽道だそうな。
烏天狗と八咫烏は一緒と聞いていたけど、それでもないような気がしていたが、漢波羅の八咫烏というのがあるらしい。烏天狗の本当の姿とはこのことをいっているのだなと納得。
ここでいろんな符号が一致して驚いた!
背筋がゾクゾクした。
伊雑宮や河合神社で以前感じたこともちゃんとつながる。
最近、「水の精霊」が無性に読みたくなってたのもそういうことか。
(この本、おもしろいですよ。)
烏天狗が「本当の姿を知れ」と言ったのは幻想ではなかったのだなと納得。
自分の深層意識がそうイメージを見せたのかもしれないけど。
しかしなぜ私がそれを知らねばならぬのか?
飯綱山登拝翌日の飯綱神社里宮ご神木
やはり自分が受け取るメッセージ、サイン、ビジョンなどをないがしろにしてはいけないと思った。
ただし、それの本当に言わんとするところをつかまないと、メッセージを受け取ったと喜んでいるだけでは意味がない。
しかしまだまだわかっていないことだらけだ。
飯綱山へ行ったのは謎をたくさんもらうためだったか?
とりあえずひとつの手がかりはつかんだ。
見つけて興奮してしまったので、一気にブログ記事にしてしまった。
下鴨神社、明後日行ってこよう。何かわかるかも?

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