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たとえば茶道で作法があるでしょう。今は作法を一生懸命に練習して、茶道の奥義を究めようとしている。ところが最初は違うわけです。無心になってお茶をたてたら、ああいう作法になった。逆なんですよ。最初の人は無心にやって、ああいう作法をつくりあげた。だけどあとの人は無心になれないから、作法から入って無心になろうと。逆なんですね。

一番最初の人は、感謝して、ありがたいと、理屈なく手を合わせたわけでしょう。だからなぜこんなことをするんですかというのが間違っているので、神さまを拝んだら自然にそうなってしまった。すると電流の放電がないわけです。だから神さまを拝むとき頭を下げる。手を合わせる。なぜか、神さまを拝みたくなる心になるとこうなる。

これが理屈のない自然の姿ですね。だからいま言ったように理屈を言うなというんです。

「神道」のこころ」 葉室頼昭
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たくさんの人たちが勘違いしているところ。

理屈より心が先。

が、今は屁理屈が先で、心は忘れられている。
作法を習得することに懸命になり、無心になることを忘れている。

理屈で表面だけもっともらしく見せても、すぐに崩れる。
もうそのやり方は通じない。

私たちはウソはもういらないのだ。
素直に、自分の思うままに、自然のままに、
無心に生きていくほうに向かい出しているのだ。


2 Cellos - Smooth Criminal


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