blogranking←ワンクリック・100波動アップ♪

さて、先日は島田紳助さんの芸能界引退でにぎわいましたが、一歩遅れてその話を。
といっても、引退についてのあれこれではなく、私のことです。

私は、引退会見があるというのを聞いた途端に思ったのは「政界進出か?」だったのですが、その後、たまたま会見を生中継でテレビで見ることができました。その後ツイッターを見ると、『芸能人のニュースでにぎわうときは、裏に知られたくないニュースがあるから、そちらに注意せよ!』というようなツイートがあり、私もそれを感じてました。

その憶測はいろいろなされているので、ここでは書きませんし、あまりそのエネルギーに浸かるのもどうか?と思います。けれどもそのようなことが当たり前のごとく起きている世の中だということはしっかりとふまえておく必要があると思います。なので、最初はツイッターで固有名詞の出る記事をRTしていましたが、たくさんそのようなツイートが出た頃に消しました。


引退会見を見て、自分の中で何かまんじりとしないものがありました。本人の意思と関係なく動いているものがあるように思いました。

自分の中に同じようなものがあるから、そのニュースを見たんだろうな?と思いました。
それで、紳介さん引退にまつわることをすべて自分の内側で起きていることの現れ(象徴)としてみたら何が見えるのだろうかと内観してみました。

事実はどうであれ、あくまで、自分の内面の動きの現れとしてみました。

すると、出てくるのは、大きなシステムや体制に対するやるせなさや無力感。
人情や、人と人との心のやり取りみたいなところは全く無視され、世の中はこういうもんだという基準のなかで判断され、裁かれていく理不尽な社会。

以前、映画で、知的障害の親から子を引き離す話がありましたが、父と子はお互い一緒にいることを必要としているのに、役場側は、親に養育能力がないとして子を施設に預けるという話だったと思います。

ふたりの感情や人間的絆より一般論や通説が基準となり、優先されてしまうわけです。
よくあることですが、現場のことを知らずに書類だけ見て物事が進んでいくような世界ですね。

紳介さん引退の件も、本人も引退について考えていたらしいですが、どうしようもない大きな仕組みの中で、それに関してどうにもできない自分みたいなものを感じました。


ということは、自分にもそれがあるのか? 

はいはい、あります。
昔からアウトサイダー、少数派、反体制的なところがあり、今回の震災以後、ますますそれを感じてしまっている次第です。だから昔、パンクにはまったんだな

前回の記事で、ジブリ映画の宮崎親子の動画を載せましたが、ああいう生きた人間らしいものが失われてしまった背景には、このような資本主義の社会体制の中でにっちもさっちもいかなくなって機械的に生きてしまっている私たちがあると思います。

先日、イギリスで暴動がありました。(他国でも起きてますが)
私もイギリスに住んでいたことがあるのでわかりますが、労働者階級は労働者階級としての人生しか選択できないような風潮があり、たくさんの労働者階級の人々はその差別に不条理を感じていました。今回の暴動にその不満の蓄積の爆発があったとしても十分納得です。といっても私がイギリスにいたのはもうずいぶん前なので今の状況はわかりませんが。

今の世の中、その体制みたいなものがだんだんと成り立たなくなり、壊れていっているなあと思います。本当に支配社会が崩れつつあるのだと思います。

政治や金融、経済の不安定、暴動、原発問題など、最近起こっていることのほとんどは、自分ひとりではどうにも変えようのないような大きなシステムや体制に対しての反発や暴露、崩壊となっています。

種々の大規模な天災は人間が起こしているものではないですが(なかには人工的といううわさもありますが)、人間の自然破壊や自然に反した生き方の結果でもあり、人間にはどうにも太刀打ちできない大きな自然の成せる技でもあります。

自然災害だと、自然や神様を恨んだところでどうしようもないのでまだあきらめもつきますが、 そこに人的要因、それも人道的でない要因による被害が入ってくるとなかなか怒りが治まらなくなります。


とまあ、引退騒動の話から話が広がっていったのですが、これを自分に置き換えてみるとなんだろう?と思ったら、自我さんなんですねー。

今まで自分のコントロールで支配していた世界(自分自身)だったのに、もう一人の自我(客観的自我)がそれに気づいて、「いち抜けた〜!」と右脳サイドについたもんだから、今まで自我(エゴと呼びます)が作り上げた世界がどんどんと崩れていく。

フロイトは、『エス(イド)』『自我』『超自我』と分けていたみたいですね。

エゴは、まだ自分の築き上げてきた世界を手放すまいとがんばりますが、右脳世界は無意識世界であり、宇宙に扉を開いていますから、宇宙に対抗して勝てるわけありません。

自分の力ではどうしようもない大きなシステムや体制というのを、宇宙の流れと置き換えることができるでしょう。

私が感じた、紳介さん引退騒動や人災天災で感じている無念さ無力さは、私のエゴの宇宙に対してどうにも打ち勝てない無念さを表しているかもしれないと思いました。

私のエゴがまだそれを受け入れられていないから、外界にそのような現象をたくさんみるのであろうか?と。

となると、私の中のエゴがその思いをなくし、大きな流れに身をゆだねることができたら、状況は変わるのではないだろうか?

「人間万事塞翁が馬」、あるいは、バカボンパパの「これでいいのだ!」ではないけれど、宇宙に対してバーンと自分を明け渡すことができたら、自分の欲求を放棄して宇宙に融合できたら、私が見ている世界は変わっていくと思いました。

それができたら、「私=宇宙」であり、無我であり、真我なのだと思います。


と思ってみたら、なんだ、やっぱり、外の出来事はすべて自分の心の中の現れなんだ、、、おもしろいなと思いました。



・・・そんなことを思ったら、久しぶりに恐い夢を見ました。

誰かが殺され、天井から血が滴り落ちて、次は私の番!という夢で、その時、私はイギリスの自分の部屋にいたので、大急ぎで荷造りをして、「もうこれで日本に帰ったら二度とよそに行きたいなんて言わないから!」と慌てて逃げ出そうとしているのでした。
怖がってはいますが、まだ希望を捨てないで準備していました。殺されることから逃れようとする自分がいるということは、まだ生きていたい自分がいるのでしょうね。

そうしたら、その日、夢ではなく現実で、ぞっと恐怖を感じること(実際はたいしたことではなかったのですが)が2回あり(普段は滅多にないのですが)、もしかして私の潜在意識は危険を察知しているのだろうか?地震?それを私に伝えようとしているのだろうか?とも思いました。

でも多分、夢の中で殺されそうに感じている自分は私のエゴ自身だろうな、と思います。

これもまた、紳介さん引退やその他の出来事と同じ。
目に見えない大きな流れに消されそうになる恐怖。


自然や宇宙という大きな流れか、人間の支配という人的コントロールかの違いはありますが、どちらも自分が取り込まれている、自分ではどうしようもない大きな力や流れです。

そこで感じる無力さなのだと思います。

が、それを感じているのが自分の心の成せる技だと知れば、つまり、その現象に自分の心が反応しているわけですから、その反応を変えてしまえば同じものを見なくなります。

つまり、事実、現象が変わるわけです。

となると、ちっぽけで無力な私が、自分が見ている世界全部を変えることができるというパラドックスな世界が生じます。

これは、宇宙は ∞ 構造であるという話になっていくのですが、いわば、「今ここ」にいるかどうか?ということです。

私が宇宙の大いなる意志のもと、すべてを受け入れ、宇宙に身をゆだねることができれば、無力さや無念さも、消えてなくなる恐れもなくなります。

精神論でいえば、体制に対して反発してもネガティブな感情しか起こらないけど、それを包含してしまうと、全く違う世界が開け始めるということです。
「許す」とか「受け入れる」とかではなくて、「包み込む」という感じですね。


引退騒動から宇宙論になってきました
しかし、今この思考がとても大事になってきていると思います。

好むと好まざると、私たちは共同創造の流れの中に取り込まれていますので、何を創造(想像)しているか、よくよく注意したいものです。


Sex Pistols - Anarchy In The U.K


・・・と書いたけど、記事アップしようと思った時に、この動画見て読み返して気がついた。

私の一番のやるせなさは、本気の自分が発揮できていないことだ。
それを体制が悪いだのなんだのと他に転嫁して責任逃れをしているんだな。

思いっきり生きていない自分に対して無力感を感じている自分、これはエゴでもあるけど、客観的自我でもあるので、トータルなところでの自我が、こんなはずではなかったと悔しがっているんだな。

私の世界を支配しているのは、自分自身を過小評価して生きている私自身だ。
その支配から抜け出れない自分の無念さ。
それを世界に投影しているから、そんな世界を見ているのだろう。



自分が自分を制約支配していて、本来のパワーが発揮できない無念さ。

今、これを感じている人は多いと思います。
また災害が起こってほしくなかったら、自然界が爆発する前に、あるいは、人間の集団意識が爆発する前に、ひとりひとりが他者への投影と責任転嫁をやめ、自分の心の中で昇華していくべきだと思います。

まただんだんと煮詰まってきている気配がありますから。
私も自分のそれに努めます。


blogranking
↑ポチッと応援を!いつもありがとうございます m(_ _ )m

悦月のセッション詳細はこちらから