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さて、弥山についてもう一つ書いておきたいことがあります。
それは山から戻って2日後ぐらいにひらめいたことですが。

弥山の主祭神のうちの二柱は、市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)、天宇受売命(アメノウズメノミコト)となっています。

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2回目は「水の道をつなぐ」という意味合いがあり、弥山川の源泉に無事到達できました。
谷間に小さな水場があり、そこからこんこんと清い水が流れ出し、だんだんと大きな川となっていった話は前回書いた通りです。

清水が湧き出て川となり雨となりまた山から清水として湧き出てくるさまは、いのちの循環を表しているなあ、その水で、私たち人間も自然も育まれて、やはり水はいのちの源だなあ、弥山川源泉はそれをみせてくれているなあなどと思っていました。

穴から水が出ていると思った時、出産や女性の秘部のことも思い、やっぱり水と女性はつながっているなあなんて思ってましたが、ある時気がつきました。

あれはウズメのホト(陰部)だ!

足を大きく広げて、あまりにもあらわに見せている、、、。ちょっと恥ずかしいくらい(赤面)。
地形的にもそういう感じなんですね。両側が尾根で。巨大な股です^^; 
現地では気づかなかったですが。

役行者が見た天降る天女とはこれか!? だからウズメと?
説明書きに書いてあることをそれをふまえて読むと面白い。

「大峯修験者たちは、見え隠れする大峯奥駈道を歩き弥山を仰ぎ見たとき、人間が達しうる水平的な奥の極点ともいえる場としてとらえ、また水神信仰の根源地として祈りを捧げた。」

大峯山脈には女人禁制のところがあるけれど、、、。
お相撲さんも実は妊婦さんを模しているとか? 

たいていそういうところは女人禁制です。

男性は修行をしないとなかなか宇宙と感応しにくいらしいですが、女性はそのための修行がいらない。
自然のサイクルが身体にあるし、出産でも宇宙とつながってしまう。現代人はだいぶん自然と切り離されてしまったかもしれませんが。

その一番の象徴的なところといえば、女性のホトであり、子宮になるのだと思います。あちらの世界とつながっているところですね。
女性は体内にそれをもっているが、男性にはない。

そのせいか、いつも究極はここに到達します。
股か!・・いえ、またか!と思ってしまいました。

古代の性の意識は現代と全く違う気がしました。
きっともっとオープンであり、聖なるものだったのでしょうね。
やはり生命が生まれる仕組みや命が生まれ出るところというのは何よりも大事であり、聖であり生であり性だったんでしょうね。


民俗学のフィールドワークをしている気分になりましたが、この気づきもまたいろんなことを私に教えてくれました。

日本神話の天の岩戸開きで、アマテラスが岩戸にお隠れになった時、ウズメが胸をはだけ、ホトもあらわに踊ったら神々が笑い、アマテラスが何?と岩戸から外を覗かれた時、タヂカラオノミコトが岩戸を押し開け、アマテラスがお出になられたので、再び世の中が明るくなりました。

また、天孫降臨で、猿田彦大神が出迎えた時に、物怖じしないウズメさんなら大丈夫とあいさつに行かされ、強面の猿田彦さんもウズメさんにはたじたじでした。その後、二人は夫婦になるしね。

弥山川の源泉を理解したあとで、この話がなぜウズメなのかが大納得でした!
弥山川の源泉の様子は、まさに神話で表されている彼女の様子そのもの。

あけっぴろげで物怖じせず、裏が全くない、そのまんまを見せている状態というのがこの弥山川源泉でした。
そんな状態だから、弥山の自然も何が秀でているということなく、みんな自然に調和している印象を得たのかもしれません。

この氣は実際に感じてみないとわからないと思うのですが、本当にこのようにあけっぴろげでばばーんと自己開示されたら、男性でかなう人は多分一人もいないでしょう。
ホトを見せられなくても、このエネルギーに対峙した時に、という意味です。


イザナミのエネルギーは、大地母神の呑み込むエネルギーや陰湿な地のエネルギーを含みますが、ウズメのエネルギーは、さすがに天津神系なせいか、開けっぴろげ、全てオープンというような女性性のエネルギーです。

二年前だったかな?夏の日食後、イザナミのエネルギーが地から出てきて、えらく地上のエネルギーが重くなってたくさんの人が眠くなった時期がありましたね。

弥山川源泉に行ったことで、ウズメのエネルギー、女性性の陽性エネルギーの極地を知ることとなりました。イザナミのエネルギーは女性性の陰性を表していると思います。

ウズメのそのエネルギーは、私が今まで知らなかった女性性のエネルギーでした。
これからは女性性の時代だといわれていますが、このエネルギーはまさにこれからのエネルギーだと思いました。

母性や慈愛ではなく、色艶でも美しくも可愛くもなく、純粋無垢にも近いけどそれほど天真爛漫ではなく、あるがままを認めているエネルギーっていうのかな?全開示していて、それに対してなんの判断も意見も批判もなく、ただオープンになっている状態というのか、無垢というよりは無真、無心というべきか。

全てを受け入れていて拒否していない。

そう、この全てを受け入れている状態(自分自身も)、これが半端ではないんですね。
本当にあるがままを受け入れている状態で、自己開示、自己受容の極地って感じかもしれません。

このエネルギーにあったら男性エネルギーは太刀打ちできない。
まだイザナミの呑み込むエネルギーには怖れも抱けようが、このウズメのエネルギーでは、判断基準が全くないところに連れて行かれて左脳では対応できず、思考停止になるような状態だろう。

女性だったらどうだろうか?
女性には既知のエネルギーだと思うから、ふうんと案外普通かも?

でも女性も女性の集合意識もその段階からはほど遠く、癒されていない部分が多々あるから、まだまだこれからです。

女性性にそんなエネルギーがあったんだなあというのは私にとって発見でした。明るいオープンな女性というのともまた違うんですね。

男性より女性が優れているとかいう話ではなく、違う性質を持っているので、個人の中でも人間関係の中でもそのバランスが大事だということですね。

男性性も女性性も全ての人の中にあるから、いくら男性がこのエネルギーに接したら太刀打ちできないとはいえ、男性の中にもこのエネルギーはあるわけです。

そしてこのウソ偽りのない素の状態のエネルギー、隠しようがないぐらいオープンな状態で自分を白日の下にさらけ出せるか?ということになると思います。
今たくさんの人がここのところで自我を手放せなくて葛藤されていると思います。

隠したいと思うのは自我(エゴ)の成せる技です。

そう思うと、ウズメさんのエネルギーはエゴから解放されている全脳の状態なのかもしれませんね。
だから恥ずかしがったりせずにホトを見せて踊って笑われることができる。

今、ちょうど古い思考体系が崩壊しつつある時で、自我のルールを手放して右脳世界に移る段階です。
自分の中にこのエネルギーが現れてきたら、自分自身であることになんらネガティブエネルギーがなくなり、それこそでーんと自分をさらけ出すことができ、ウズメさんのように自由になれるのでしょうね。

弥山に行ったおかげでこのエネルギーを体感して戻ることができました。
自分がそのようになれるかはまだ先の話となりますが、行ったおかげでそれを理屈でなく、波動で知ることができたのは大きな収穫だったと思います。
また、次回行って同じエネルギーを感じられるかはわかりませんが、今回はこのような気づきを得ました。

そのエネルギーに焦点を当てていれば、どんなマーヤー(幻想)がきても決してぶれることはないでしょう。中心につながっているようなものです。
今風にいえば、光の柱かな?



余談ですが、一回目の弥山登拝で、なんか違う、、と思った時に、ふと戸隠の飯縄山の「穴」が見えました。
次は飯縄山か?と思ったのですが、2回目に行った時にまったく飯綱山のことは出てこなかったです。
出てこなかったから勘違いだったかなあ?と思っていたら、このウズメのエネルギー、これが飯縄山で必要なのだということがわかりました。
このエネルギーは、飯縄山のややこしくなってしまった周辺のなにやらにまったく氣を向けずに進むことができ、ダイレクトに飯縄山の本質をついて、もともとのエネルギーを呼び起こすことができると思います。

飯綱山も元は同じようなエネルギー。
またその状態に戻らねばならないのですね。

その他にも同じような状況のところがあると思います。
それらももともとのエネルギー状態になっていくべきですね。
たいてい人間がいらないエネルギーをおっかぶせていますから。


源泉後に奥宮参拝した後で見た雲のかたち、龍?朱雀?ガルーダ?と思っていたのですが、先日、そういうことに大変詳しい東伯師匠に聞いてみたところ、ガルーダ、烏天狗、トート、世界に似たような存在がいて、飯縄大明神は烏天狗の姿だそうです。

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こちらは弥山奥宮で見た雲。(画像と合わせるため、左右反転させてあります)


ガルダ2






こちらはガルーダ。
(元記事 http://item.rakuten.co.jp/rapanui/bali59/)





金翅鳥2


金翅鳥。ガルーダと同じらしい。
(元記事 http://www.palyul-center.org.tw/ActNews.asp?newsid=185)


私には似て見えますが、どうかな?


ということで、今回の旅は飯縄山につながっていくらしい。

この流れは、以前記事にした卯の瀬や出雲や717「元糺の儀」、その他記事にしていないのもありますが、ずっと続いている流れなのですが、水&龍関係だったのが、今回は白鳳凰に始まり、鳥に関することも加わりました。

6月12日は長野県上田市で大事な祭礼『聖復活の儀・光命神事』があり、私も鳥舟舞と恵比寿舞を舞わさせていただくことになっています。
日本各地の水が集められ、龍神さまたちも集まられる様子。

その前に戸隠の九頭龍社へ参拝するとのこと。
ウズメが舞った時、タヂカラオが投げた岩戸が戸隠に落ちたと言われています。飯縄山もはその近くですし、上田市もそう遠くない。
そこで祭礼がなされること、なぜそのまえに弥山に行かねばならなかったか、みんなつながっていくのですね。

弥山に行く前も行った時もはわからなかったことですが、戻ってきてからまた新たな気づきやつながりを得て次の展開が見えてきています。

昨日、烏帽子ができあがったし。烏帽子を作っていたのも偶然ではないのかもね?と今思った。
烏帽子、、烏の帽子。
祭礼では鳥舟舞も舞うし、、。

白鳳凰のお使いで始まった弥山から続いていくなあ。白山もまた出てくるかな?
恵比寿舞を舞う前にウズメさんのエネルギーに触れることができてよかった。

恵比寿舞は、不具として流された蛭子がだんだんと立ち上がって復活していく舞です。
ずっと本来の自分を見失っていた人間が本当の魂に目覚めていかねばならない時なので、今まさに必要な舞なのでしょうね。

みなさんの中の恵比寿さまがでてこないといけないですね。
ウズメさんのエネルギーはそれを導いてくれているように思います。

ガルーダは蛇、竜(ナーガ族)と敵対関係にあると書いてありましたが、この竜は、野放しの自我に例えられるのではないか?と思います。今の人間社会みたいなものです。

人間も飛翔する時期が近づいてきているのでしょう。
鳥と龍との関係も人間の中で和合されなければならないのだと思います。

それぞれの人の中で新たな日の出が起こることを願います。


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