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自分の昔のメルマガをたまたま見たら、こんな話がありました。
【プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション】2010.10.8.第269号にちょっと変更を加えました。

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この世から不幸は消え去らない。
それをふまえたうえで、本気で幸せになる覚悟があるか?
自分は心から幸せになると決意ができるか?
他の不幸を受け入れ、自分が幸せになれるか?
それができた時、世界は裏返る。

http://bit.ly/dy6VMF
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振り返ってみると、私もずいぶん成長したと思います。
まだこのメルマガを始めた頃は、自己否定いっぱいで、思いを変えていくと人生が変わるというのを知ってあがき出していた頃でした。

地道に思いを変え続け、いろいろと学び、人と出会い、おかげさまでずいぶんと人生気持ちよくなってきました。


ある霊能者の方にいわれたことあるのですが、「あなたは、ひとつひとつ経験して学んでいくことを選んできているので、遠回りだけど、自分で経験して知っていくしかないですね」と。

その時は聞き流してましたが、先日違う人にもいわれ、だんだんその意味わかってきました。


私のメルマガもブログもそうだけど、全部自分の経験値から出ているものだから、経験して身をもって知って理解するあり方をどうも選んできているらしいです。

ということは、面倒くさいことに、いちいち自分で経験しないと納得しない自分がいるわけです。


となると、うまくいかないことも当然起こります。

そう思って自分の人生見直すとなるほどなーと思います。

それが嫌なら、自分の頭のソフトの書き換えをすればいいのだけど、ツアーで海外回るより、自分の足であちこち行きたい人なので、ま、そういうことなのね。。。

ということで、今もいろいろ体験中です。


だんだんとしがらみから抜け出て、幸せに過ごす方法がわかってきたので、しばらくはずっと気持ちよく過ごしていました。

幸せだな〜と思えてありがたいのですが、そう思っていなかった頃と比べてなにが違うのだろう?と思うと、外の世界はそんなに違っていない。

私自身がリラックスして、不安が減っているだけかも?と思えてきます。


リラックスすることの大切さ、
宇宙に身をゆだねることの大切さ、

だんだんわかってきています。



ところで、自分が、自分の内面の充実感により幸せを感じられるようになると、類友の法則で同じように幸せを感じている人を引き寄せるだろうと思うのですが、

そうではなく反対に、自分が心地よく過ごしているとなぜかつらい思いをしている人達がどんどん出現しました。


どんなに幸せを感じようと、死や病気、心労を避けることはできないことを実感しました。
自分がそうでなくても周りに起こりえます。


どんなに生活が充実し、幸せを感じようと、不幸は決してなくならない。
なぜなら、死がなくなることはないのだから。

ということですね。


仏教の話でしたっけ?

子供を亡くした母親が仏陀のところにいくと、「誰も人が亡くなったことのない家を探しなさい。見つかれば、子供は生き返るであろう。」みたいなことをいうわけですね。

母親は必死で村中の家を訪ねて聞くのですが、どの家も必ず誰かが亡くなっています。

そこで母親は、人はいつか死んでいくのだ、と自分の子供が亡くなったことを納得します。

というような話だったと思います。


ちょっとこれに似た気持ちを味わいまして、

自分がいかに幸せを感じようと、まわりにある不幸はなくならない。
それがこの世界であり、人生なのだ。

と思いました。


本題はここからなのですが、

2、3年前のメルマガで書いたのですが、自分の幼少期に同じことを感じたらしいんです。

その時は、自分は無邪気な子供で幸せいっぱいだったのですが、ある日ある時、母が、兄が、あるいは他の人が幸せでないのに気づいたようです。

「あれ?、みんな私みたいに幸せじゃないんだ、楽しいことばかりではないんだ」と思ったようで、そのとき私は間違った選択をしました。


それは、みんなが幸せでないなら、私一人幸せでいるわけにはいかない。
みんなに悪いから、私もみんなにあわせなきゃ。

そして、みなに幸せをあげる代わりに、幸せを受け取ることを拒否してしまったんですね。



これは、この世の中、たくさんの人がしていることとと思います。

そしてツイッターでつぶやきました。
冒頭に載せている文章、8月10日に書いてます。

これをこのとき読んだ人はどう感じたかは知りませんが、この言葉を書いたとき、そういう背景がありました。


どんなに世界が不幸になろうと、自分は幸福を選ぶ覚悟があるか?

ということですね。


今回、自分が幸せを感じている時に、そうでない人たちが続々現れてきたのは、もう一度この選択をするチャンスが来たのだと思いました。

やはり自分だけが幸せな思いをしていてはいけないという思いも出てきたし、もっと人のために何かしなくては、という思いもでてきました。

けれども、ラッキーなことにこの罠(課題)に気づきましたので、今回、私は幸せになることを選びました。


で、なにが変わったかというと、現状何も変わっていないし、また問題や悩みもでてきています。でもそれらはすべてもっと幸せを感じるために起こっている「調整」なのだと思います。
もっと幸せになるために、自分の中にある不必要なものは捨ててしまわなくてはなりません。

そのためには経験したくないことも経験しなければならないかもしれません。
そして、その経験を通して気づきを得て、新たな自分に成長していけるのです。


そして、真の幸せは、

「楽しいことだけが起きる人生」ではなくて、「すべてを受け入れて良しとできる人生」

なのではないかな?と思います。


どんなことがあっても幸せを感じることができる。
そのためには、死や病気や離別をも受け入れることができる。


この世で起こりうるすべてのことを受け入れることができて初めて本当の幸せに至るのかもしれませんね。

無償の愛とはそのことを言うのでしょう。

それには身ひとつとその心だけがあれば十分なんですね。

自分が生きている間にそこに至りたいものです。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


今、いろんな問題が浮き彫りにされています。
自分一人が良ければという価値観はもう終わりに近づき、つながりや分かち合いが重視され始めています。

けれど、今はまだ今までの延長で、つながりといえど、きれいごとの裏では損得勘定が動いている場合も多々あるように思います。

ここに書いてある話は自分勝手のように思えますが、本当に自分から幸せになる決心をした人は、幸せでないと感じる人の痛みがとてもよくわかると思います。

今の時期、そう決めることは以前より覚悟がいるかもしれませんが。


まじめに考えると重くなりますので、こんな風にお気楽に〜♪
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