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新しい集合無意識の世界創造に参加する1
新しい集合無意識の世界創造に参加する2

からの続きです。
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だから、2/13のツイッターの言葉

『「自分の目が見ている」ということ感じてみよう。「自分が考えている」ということを感じてみよう。あなたが自分の肉体をと思考を離して観る時、誰が見て考えているのか、感じてみよう。』

なんですね。

自分の目で見ているようで、その目で本当に見ているのは誰なのか?
自分が考えているようで、その考えている自分を作り出しているのは誰なのか?
と感じていくと(「考えて」ではなく「感じて」)、「どこにおるねん、ワシは?」みたいな感じで、一体自分ってどこ?なに?と思うのではないでしょうか?

今、この文章を見ているのは私の目だけれど、「見ている」と気づいている自分はどこにいるの?

今、そうやって考えている私がいるけれど、その私は身体の中にいるの?
頭、脳みその中? 

「今、誰が考えているの?」と誰が考えているの?

私?私の中の誰か? 

え? 私ってどこにいるの?

と不思議な感覚になってきませんか?

 ↑
この部分、読むだけでなく、実際、同じように感じてみて感覚を味わってください。頭だけで考えていると的外れになります。


あなたは一体、誰で、どこにいるのですか?

あなたは「ここに存在する」と思っているかもしれませんが、
その実体はあるようでないのです。
もしかすると、あると思っているだけなのかもしれませんよ?


ここで、あれれ?と思えたら儲けもの。

あなたがあると信じているものは本当は想像の産物なのかもしれない。
肉体ですら、あると思うからあるように感じているだけなのかもしれない?


ってことで、前回のエネルギーの場の話になっていきます。

すべてはエネルギーが醸し出す世界であって、それが「場」を創り、それを私たちは世界だと思っていると思います。

ずいぶんと前に、シェルドレイク氏の場の共鳴理論がまさにそのヒントをくれたのですが、私も同感です。
私は学問的なことはわかりませんが、そういう場があると感じています。

実際、私が「和音」文章を書くときは、質問をすることで、それに関する「場」にアクセスしているのかな?というのが今の考えなので、わたしにとっては実在するものです。

最初は、偏在する自分がいて、質問することで、適切な答えをもつそのどれかが反応しているのかと思いましたが(集合体としての「和音」)、「偏在」をどうとらえるか、どこまでが私やねん、というところで、境界がないことに気がついて、集合体の偏在する私自身というのが、私個人の話ではなく、「全体(=偏在)」なのかと思うようになったので、質問をすることで、すでにあるそういうエネルギー場を限定して、それを感じ取った私の右脳が左脳を通して文章にしているのかな?と。
(ここで2/16の質問についてのツイートになるのですが)

・・・まったく現実思考な自分をここに発見するなあ。


話がそれましたが、、、

今日は「この世の全てのものは、長い間に蓄積された集合無意識の産物なのかもしれない」と思ってみてください。

集合無意識が作り出す「場」が今の世界であれば、集合無意識が変われば、世界も変わるわけです。

私たちがあると思って生きている世界は、映写機(集合無意識)から映し出された映像なわけです。

で、今、新しい集合無意識の形成が始まっていると私が感じていることは、映写機自体が変わってきたということなのでしょう。

今日メルマガを書いていてわかったのですが、なぜ新しい集合無意識の形成と感じているのかというと、その土台(映写機)が今までは「分離」だったのが、新しい土台は「全体」になっているからです。

つまり、世界の構築が、分離意識から始まっているのではなく、全体意識から始まっているということです。

だから、全く新しい集合無意識の形成と私には感じられるのでしょう。

ということで、次回に続きますが、メルマガに載せた内容となります。
(書いているうちに長くなったなあ〜)


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