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さて、今日はちょっとわかりにくい話かもしれません。
私の中でまとめておきたかったので書いてみました。

12月のメッセージの中で、「心が静まる分、余裕のある人は、内面のもっと深い層への旅を試みてください。」と書いていましたが、この「深い層」は「意識の拡大」による感覚の拡大とみていいようです。

10月下旬〜11月、8月からの裏返し反転現象 ∞ で開いた扉の向こうに現れた世界は「叡智」らしいです。

この2年間ぐらいかな?、個人の内面の浄化をせよといわれ続けて、それから集合意識無意識(私は、集合意識と集合無意識の違いがよくつかめてないので、けっこう曖昧に使っています)の浄化に向かい、その間もずっと許しの作業は続いていました。
浄化がある程度終わってから、本格的に許しの段階になっていったように思います。(個人差はあります)

そして、先月あたりに大きな進展(反転)があって、それを境に、新世界と旧世界ぐらいの違いが出てきたようです。

この新世界と旧世界、何が一番違うかというと、新世界は「叡智」による世界、旧世界は「エゴ」による世界、ではなかろうか?と思います。
今ここで言っている「新世界」はまだまだどんどん変化していくと思いますが、これからしばらくは「叡智」がキーワードになるように思います。

先ほど申し上げた「深い層」というのは、文章を書いた時点では心の深い層だと思ったのですが、意識の深い層のことのようです。

心の深い層を観ていくことは、なんらかの体験による感情の蓄積、そのベールをはいでいく作業になると思いますが、意識の層を深く入っていくと、感覚がどんどんと広がってだんだん宇宙意識に到達します。

心の壁があるとブロックがかかり、ある一定以上は行けなくなりますので、どうしてもその前に自分の癒されてない思いを癒し、許しの過程を通らねばなりません。

でないと、叡智に到達することをエゴが許しません。
エゴは、自分(エゴ)こそが智恵であリ、知識であると思っていますので、叡智に到達できるのも自分(エゴ)だと思いたいのです。
が、本当はそうでないことをなんとなく感じているので、ますますがむしゃらに自分(エゴ)が叡智を得てコントロールしようと躍起になります。

エゴの支配から脱出しないと、どうしても叡智の段階には到達できないのです。到達したと思っても、エゴが叡智を持っているフリをしているのにだまされているだけです。
だから、浄化と許しが先にきます。

まだ自分の内面の浄化と許しが一定値に達していない人は、叡智の段階には行きようがないので、引き続き内面作業を続けていく必要があります。


この「叡智」は、今までの言語形態による理解を超えていて、言葉に頼る限り、知ることができません。
つまり、言葉で理解しようと思っても到達できない世界です。

もうすでに新しい言語形態が「叡智」を通してのみ理解しうる形で現れ始めています。
現れ始めているというより、もともとあったのだけれど、それを読み取る力をほとんどの人間が忘れていたので、ごく一部の人間以外にはわからなかったのです。

が、今、刻々と変わる波動により、自然に人々の意識拡大も進んでいますので、浄化〜許しの過程をだいたいクリアした人は叡智の段階に入ってきていると思います。

今まで言葉が言語であると思われていましたが、顕在意識が実際の脳の0.01~3%しか使用されていないといわれるのと同様、私たちが言語だと思っているコミュニケーション手段もそれぐらいの割合です。

コミュニケーションは、ジェスチャーや雰囲気、視線、声などが言葉よりもはるかに大きな印象を与えているそうですが、ここでいっているのはそういう伝達手段ではないです。また、チャネリングとも違います。
今までの言語形態と根本から違う言語です。

植物の一粒の種に、その植物がどのように成長して花咲いて実をつけて子孫を残していくか?という情報がすべて入っているように、叡智という言語は、その種を観ただけでそれを理解する、そういう類いの言語です。
直感、ひらめき、啓示と似ていますが、ひらめくというよりは、読みとる、理解するというニュアンスです。

「一粒300メートル」
グリコ (キャラメル) には、実際に一粒で300メートル走ることのできるエネルギーが含まれているそうです。

いわば「一粒300情報」というのが叡智による言語であるといえるでしょう。

それはなにも特別なシンボルやシンクロや啓示によるものではなく、今この日常にたくさんに溢れています。
この空間に密にその情報があるのですが、ただ今の私たちには読み取る叡智がないのです。

物は物としてしか存在していないと普通私たちは思っていますが、すべてのものが意味あってそこにあり、情報(言語)を提示しているということを知ることができるのが叡智の言語といえるでしょう。
関係性の中で情報を読み取りますので、視覚的にはひとつのもののようでも背後にある見えない無数の関連を読み取っていくことになります。

簡単にいえば、感覚が研ぎすまされるということでしょうか?
(あ"、長々とかいてきたことが一行でまとめられてしまった、、^^; )


PS.
自分で意識しているわけではないですが、8〜10月に毎日のようにブログアップして、やれ、ウサギ穴だ通路だ闇だ反転だ、エゴと本当の自分の切り離しだとか騒いでいたのに、11月になってから、がらっと内容が変わりました。
今月はのんびりアップのようで、毎日アップしようと思わない。
秋頃に書いていたことはもうあまり出てこないし、、、。
やっぱりその時にアップする内容はその頃に必要な内容なのだと改めて思います。


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