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自分の内面の充実感により幸せを感じられるようになると、類友の法則で同じように幸せを感じている人を引き寄せるだろうと思うのですが、私の場合、反対に、自分が心地よく過ごせるようになると、なぜかつらい思いをしている人達がどんどん出現しました。

どんなに幸せを感じようと、死や病気、心労を避けることはできません。
自分がそうでなくても周りに起こりえます。

どんなに生活が充実し、幸せを感じようと、不幸は決してなくならない。
なぜなら、死がなくなることはないのだから。

仏教の話でしたっけ?

子供を亡くした母親が、どうにかしてほしいと仏陀のところにいきます。
仏陀は、「誰も人が亡くなったことのない家を探しなさい。見つかれば、子供は生き返るであろう。」みたいなことをいいます。
母親は必死で村中の家を訪ねて聞くのですが、どの家も必ず誰かが亡くなっています。
そこで母親は、人はいつか死んでいくのだ、と自分の子供が亡くなったことを納得します。

というような話がありました。

私、ちょっとこれに似た気持ちを味わいまして、

自分がいかに幸せを感じようと、まわりにある不幸はなくならない。
それがこの世界であり、人生なのだ。

と思いました。

2、3年前に気づきましたが、私は自分の幼少期に同じようなことを感じたらしいんです。

その時は、自分は無邪気な子供で幸せいっぱいだったのですが、ある日ある時、母が、兄が、あるいは他の人が幸せでないのに気づいたようです。

あれ?、みんな私みたいに幸せじゃないんだ、楽しいことばかりではないんだ、と思ったようで、そのとき私は間違った選択をしました。

それは、みんなが幸せでないなら、私一人幸せでいるわけにはいかない。
みんなに悪いから、私もみんなにあわせなきゃ。

そして、みなに幸せをあげる代わりに、
幸せを受け取ることを拒否してしまったんですね。

これは、この世の中、たくさんの人がしていることとと思います。

そしてツイッターでつぶやきました。8月10日に書いてます。

この世からは不幸は消え去らない。
それをふまえたうえで、本気で幸せになる覚悟があるか?
自分は心から幸せになると決意ができるか?
他の不幸を受け入れ、自分が幸せになれるか?
それができた時、世界は裏返る。


これをこのとき読んだ人はどう感じたかは知りませんが、
この言葉を書いたとき、そういう背景がありました。

どんなに世界が不幸になろうと、自分は幸福を選ぶ覚悟があるか?

ということですね。

今回、自分が幸せを感じている時に、そうでない人たちが続々現れてきたのは、もう一度この選択をするチャンスが来たのだと思いました。

やはり自分だけが幸せな思いをしていてはいけないという思いも出てきたし、もっと人のために何かしなくては、という思いもでてきました。

けれども、ラッキーなことにこの罠(課題)に気づきましたので、今回、私は幸せになることを選びました。

で、なにが変わったかというと、現状何も変わっていないし、また問題や悩みもでてきています。

でもそれらはすべてもっと幸せを感じるために起こっている「調整」なのだと思います。

もっと幸せになるために、自分の中にある不必要なものは捨ててしまわなくてはなりません。
そのためには経験したくないことも経験しなければならないかもしれません。

そしてその経験を通して気づきを得て、新たな自分に成長していけるのです。

そして、真の幸せは、

「楽しいことだけが起きる人生」ではなくて、
「すべてを受け入れて良しとできる人生」

なのではないかな?と思います。

どんなことがあっても幸せを感じることができる。
そのためには、死や病気や離別をも受け入れることができる。

この世で起こりうるすべてのことを受け入れることができて初めて本当の幸せに至るのかもしれませんね。
無償の愛とはそのことを言うのでしょう。

それには身ひとつとその心だけがあれば十分なんですね。

自分が生きている間にそこに至りたいものです。

メルマガ「プチ奇跡のおこし方!毎日5分幸せアファメーション」 no.267 より抜粋編集。

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