
先日は、「機動戦士ガンダム00」の映画を見に行きました。
ガンダムTV時代は私は全然見ていないので、内容は知らないのですが(私は異国にいたのかな?)、アニメは時代を先取っている場合が多いので、どういう内容だろうか?と興味を持って見に行きましたら、8月からブログに書いてあることとほとんど一致していて、思わず自分が見に来ていることにも感心!
まさに「ウサギ穴」を通って「虚無の闇の鏡」から反転、次の次元にたどり着く話でした。
これって、テレビの内容の映画バージョンなのか、新しく脚本されたものなのか?まさに今の時代をふまえての制作なので、昔の内容のリメイクであれば、先見の明だなと思います。新しいストーリーだとしても先見の明だなと思います。
が、時代関係なく、人類の永遠のテーマでもあるだろうから、いつでても不思議はないのかもしれません、、。
もし見に行く人あれば、このブログに書いていた闇〜通路〜鏡〜反転~∞などを思い出しながら、映画見てください。より理解できると思います。
「インセプション」は、個人の「闇」まででしたが、このガンダム00は、それよりもっと奥の「虚無の闇の鏡」に向き合い、反転をして、∞ のひねりの向こう側に到達しました。
「インセプション」が8月公開、ガンダム00 が9月公開というのもできた話です。(インセプションでも「虚無」は出てきたけど、私が言っているのとはちょっと意味が違ってましたね)
「ガンダム00」で出てきたのが、「わかりあいたい」という話。
わかり合えないから争いが起きるのだけど、もうあまりにも長く、私たちはその価値観の世界に住んでいるので、わかり合えたらとは思いますが、わかり合えないことの方が人生多くて、なかなか最初っから「わかり合おう」とは思わなくなっているのがほとんどかもしれません。
わかり合えないと思っているので、わかり合おうとせず、最初っから力行使になりがちです。
だから、たえず争いや戦争やもめ事がおきるのですね。
個人の心の中でも常に争いが起こっており、わかってほしい、わからない、わかりたくない、わかりたい、わかりあいたい、がせめぎ合いをしています。
映画にも表されていましたが、攻撃は防御。
自分(たち)を守るために、相手を攻撃します。
その元になるものは、殺されるかもしれない、支配されるかもしれないという恐怖。
恐れから「防衛」という名のもとに攻撃が始まります。
つまり、自分を守るために攻撃するのですね。
もし、周りに攻撃的な人がいれば、その人は自分を守ろうとしているのだと思ってください。
また、相手にそのつもりがなくても、受け手には攻撃にとれることもあります。
それは、相手のやり方が恐れをそそるような不適当なものかもしれないし、受け手の恐れ度合いが強いからかもしれません。
また、誰かを「守る」使命に目覚めた人たちは、他の人たちや地球を守るために命をかけます。
この場合は、誰か(何か)を守るという志のもとに攻撃が始まるので、根底は、恐れでなく、愛なのかな? それとも守りたいものを失う恐れからなのか?
でも、何か/誰かを守るために、何か/誰かが攻撃しなくてはならない、となるのもどうしてかな? なぜ、そうなるのかな?
どちらにせよ、相手の中にある恐れを理解してあげること、それがわかり合うことへの第一歩のようです。
重い鎧を身にまとい、武器で装備し、身を守る(攻撃する)理由はなんなのか?
なぜ、そのような行動をとるのか?
これからは、そこをわかろうとする時代になるのかもしれませんね。
「虚無の闇の鏡」を通過して次にいくには、恐れを見なくてはなりません。
多かれ少なかれ、早かれ遅かれ、みなが自分の心の中のそれには向き合わざるを得ないでしょう。
すでに抜けた人はおめでとうございます。
集合無意識のそれに向きあっている方々は、お役目ありがとうございます。
抜けたと思ったらまた、、と段階を踏んでくる場合もあります。
地球の波動は刻々と変わっていっているので、だんだんと心の武装が難しくなってくると思います。
そのうち心の武装を固めるより、早く脱いでしまって心を素直に見せる方がはるかにやりやすくなっていくでしょう。
なんだ、こんなに簡単なことだったのか、、
いかに自分が物事を複雑にしていたか、、、。
そんなことに気づく時もそんなに未来のことではないかもしれません。
まだしばらくは武装解除の説得に忙しいかもしれませんが。
もし、今あなたが誰かとの関係で悩んでいるのであれば、「わかってほしい」より「わかり合いたい」という気持ちを先に持ってきてみてください。
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