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昨日、道を歩いていて自然に出てきた思いだったのですが、自我(エゴ)に向かってこんなことを言っていました。

「エゴさんよ、今までよくがんばってくれたねえ。私を守ろうとしてくれてたんだよね。ありがとう。あなたが必要なくなったわけじゃないから心配しないで。私はもっと大きな意識とつながっていきたいんだけど、あなたの助けがないとできないんだよね。あなたがいないと、自分がなくなってしまうからね。。あなたが手綱をゆるめても消えてなくならないから、共に行こうね。私があなたを見捨てることはないから安心して。あなたはこれからもちゃんと存在するから。」


赤ちゃんの頃は、自分という存在をまだ自覚していませんので、分離感も消滅する恐さもないですが、自我意識が目覚める頃には、「自」と「他」という関係性の中に入っていきます。

自我というのは、「全体」から離れてしまった「個としての自分」の自覚です。(分離感)
このときに最初の罪悪感、キリスト教でいわれる原罪が発生すると思います。
この罪悪感は、自分から大いなる存在、大いなる愛の元を離れた、エデンの園を去っていったという罪意識です。
自ら分離することを選んでしまったんですね。
私たちは、それ以後ずっと「自」と「他」の関係性の中で成長していきます。

その後、またひとつに戻ろうとする旅が始まりますが、自分から家出したようなものなので、なかなかその一体感を得てもよいという許可が出せなくて、人生四苦八苦します。

「個」であることの根底には分離感がありますので、自我の存在理由の根底には、分離を選んだこと、いわば神から離れたことへの罪悪感が潜んでいると思います。
(考えてみれば、罪悪感でなく、誕生の喜びでもよいではないか?と思いますが、なぜか罪悪感ですね。)

自我はそれを正当化するために、いつのまにやら私たちに、自分の肉体と普段考えている意識(顕在意識)が自分の存在すべてだと信じ込ませます。
その信念のもとに、エゴは顕在意識がなくなることは自分がなくなることだと勘違いしてしまい、生存本能により必死で自分を失うまいとします。
その恐怖が行動の源になりやすいです。
自分が安全に存在し続けるには、現状維持、変化しないことが一番だと思いますので変化をいやがります。

人間は、脳の3% (今は0.01%という説もあるらしい)しか使っていないと言います。
エゴはその3%の顕在意識なのですが、最初は、自分が自分の全存在100%だと思っています。
残りの97%の存在を知らないし、知ったところで、その97%が活性化するには顕在意識が静まらないといけないので、自分の存在価値がなくなると思い、そうはさせるまいと必死に抵抗します。
人間が死を怖れるのと同じように、自我も消滅するのを怖れています。

その恐怖を取り除くために、自我に、潜在意識や無意識と共存できることを納得してもらう必要があります。

が、その前にまずエゴに、自我意識以外の世界もあると知ってもらわねばなりません。
そして、自我(エゴ)が手綱をゆるめても大丈夫だということ。
自我が、潜在意識、無意識と共存できるようになると、もっと自由になれるということ。

を自我に知ってもらう必要があります。

そのためには、いったん自我を手放す作業が必要になります。
自我がコントロールを手放しても存在はなくならないこと、その方がもっと楽に楽しくいけることを知ってもらうと、自我も安心します。

水の中で、沈みそうで浮き輪が手放せない状態から、思い切って手放してみたら、なんだ、ちゃんと浮くじゃん!という感じで、手放してみても、なんだ、ちゃんと自我は存在するじゃん!とわかります。

それができたら、今度は自我と仲良くなり、顕在意識、潜在意識、無意識の三者関係を築く必要があります。
それができると、宇宙意識につながっていけます。

私もずっと「エゴを手放せ」と言っていましたが、手をつなぐ時期になったようです。
エゴはエゴなりにずっと私を守ってくれてましたので、それに感謝して、エゴの消えてなくなる恐怖感を取り除いてあげると、コントロールしようとする力をゆるめて、リラックスしてもっと宇宙に身を委ねてくれます。

(*エゴ、自我、顕在意識とニュアンスで使い分けていますが、ここではほぼ同義で使っています)

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