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ほぼ一年前の文章ですが、今ちょうどよい内容ですので、ここに載せます。
昨日載せた文章や、ここ数日載せていることとつながります。


本当の「鏡」は漆黒の闇である。
漆黒の闇こそがすべてをあからさまに映し出す。

だから、今回の日食は「鏡月」の「鏡開き」なのである。
太陽と月がぴったりと重なった時、闇が起きる。
その闇こそが真実となる。

岩戸開きは、アマテラスがお出になって
世界が照らされるようになったことが重要なのではない。

アマテラスがお隠れになっていた間、そのときの方が大切なのだ。
アマテラスはこの世を憂えてお隠れになり、その間、闇の中で自分を見つめた。
自分の中の不調和を調整し、バランスを取り戻した。
漆黒の闇と全く同化した時に自分自身となった。

自分の中の陰と陽が重なり、ピタッと収まるところに収まったのだ。
肉体と精神、魂と霊、すべてがパズルがはまるようにピタッと合い、
自分の中の不調和が消え、自分のすべてを受け入れ、無垢な透明な存在となった。

だからこそ、再びこの世に現れなさったのだ。
それを重視し、喜ぶのは外側の者たちだ。
アマテラスは自分を統合し、出てきたにすぎない。
そのためにお隠れになったにすぎない。

世界が暗黒になる時は、自分を見つめ、調整すべきとき。
真の自分に戻る時。

火の鳥が火の中に自分を投じて蘇るのと同じこと。
アマテラスは太陽神。
自分と反対の闇に戻ることで、闇と調和し、
自分を統合し、再び蘇って出てきたのだ。

真の岩戸開きは、闇の中にこそ真実がある。

地球はその気を受けてパワーアップした。
確固としたつながるべきところにつながった。
闇と日明が統合された。ひとつになった。

8/8以降、気をつけよ。
その効果が現れる。

「和音」(09.7.24)


昨年の話ですが、とても今年と似ています。
が、今年見ると、違うところに気がつきます。

岩戸の外にいる者たちは、闇を怖れ、アマテラスを出す方法を考え、誘いだしています(これも解釈次第でいろんな見方ができるのでしょうが)。

闇と光が統合されたわけでなく、闇を恐れるが故に、光をひっぱり出したという過程があります。

闇を恐れたことが元で、光が出たわけですから、この世は怖れが行動の元になる世界となりました。

このあやまちを再び繰り返すべきではありません。
今度は闇を怖れず、闇の純粋さを見極めないといけない。

自分に少しでもやましいところや恐れ、穢れがあると、闇はそれをそのまま見せてくれます。
闇ほど恐い鏡はありません。
自分がひた隠しにしているものもすべて見せてくれます。
だから私たちは闇を怖れます。

闇に何も投影せず、判断を入れずにそのまんま受け入れると、次の次元の扉が開きます。
それには、透明無垢な真澄の心が必要です。


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