
私たちの生きている世界は、本当はとても愛と豊かさで満ち足りています。
けれども、私たちのほとんどは、生まれてこのかた、 ずっと「欠乏の世界」に住んでいると思っています。
なぜなら、生き物は生まれたら死にます。
人生の時間は刻々と過ぎていきます(と感じています)。
お金は使ったら減ります。
限りある(と思っている)お金で暮らしていかねばなりません。
あるいは、稼がなくてはならない(今のままでは足りない)と思っています。
地球の資源も使ったら減ります(と思っている)。
私たちは消耗品に囲まれて暮らしています。
減ることばかりのようなので、「豊かになっていく世界」ではなく、「全ては減っていく」という信念の世界にいます。
その信念の世界にいる限りは、「欠乏」や「減る」ことに意識がプログラミングされています。
なので、不安にかられ、「増やす」ことに集中しなくてならなくなります。
それができないと、恐れ、不安がやってきます。
本当は、宇宙は豊富で無限なのだと気づけば、事情が変わります。
宇宙には私たちが必要なすべてのものがあります。
私たちに必要なものはちゃんとやってきます。
「そんなの、何度も本で読んで知ってるよ」 と思うかもしれません。
確かにこういうことに関する情報は溢れています。
でも本当にあなたは、愛に溢れ、美しく、限界なくすべてがある世界にいると信じているでしょうか?
あなたが「欠乏の世界(限りある世界)」にいるという信念から「豊富な世界(限りない世界)」にいるという信念へ意識を移行すれば、なんの心配もなくなります。
(2007.4.17のメルマガ「プチ奇跡」より)
昔のメルマガを見てて見つけた記事です。
自分でもいいこと書いてるなーと思いますが(笑)、ここに書いてあることはとても大事だと思います。
不安の元は、ここにあります。
「欠乏、減少、崩壊」のプログラミングが自分の中にあると、生きている限りはそうなりたくないと考え、恐れが先にきます。
収入が減ること、物に不自由すること、別離、年を取ること、死ぬこと、etc.
これらは究極、「死」「消滅」に根ざしています。
生まれてきたのだから、死んでいく。
これを受け入れられない限り、そこから逃れようとして生きていきます。
そうではなく、「すべてが存在し、なにもなくならない」世界にいるのだと気づけば、恐れることは何もなくなります。死さえも。
「自分がすべてとともにある」「すべては与えられている」ということがわかれば、すべてはあるし、与えられているのだから、欲しがる必要もなくなります。
「すべては与えられている」というのは、自分の望んだことは、良いこと悪いことすべて実現しているということです。
自分が望んだことしか起きていないのだと気づけば、宇宙からどれほどの愛が自分に注がれているのかに気づけます。
そして、自分は欲しい物はすべて得ていたのだ、与えられていたのだと、その無限の愛に気づきます。
自分の信念を「豊富な世界(限りない世界)」にいるというプログラミングに書き換えることができた人は、この先の時代の流れに乗っていきます。
「限りない世界」というのは、自分の個人枠からも解放されている状態です。
「自分」にこだわらないからこそ、「限りない世界」とともにいることができます。
なぜなら、「自分=全体」となってしまえば、死さえも超越してしまえるからです。
「個」という服を脱ぎ捨てる勇気が必要となります。
ま、私もまだまだ死が恐い一人ですが、、、。
ミサキ風にのっては今週末です!
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