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私が自分の怖れで不安になるのは無意味だ。
自分が苦しんでいると思うのも幻想だ。

なぜなら「私」という者は存在せず、集合体でしかないのだから。
虚像の私が不安をもったとしても、その不安もまた虚像である。

私は自分を限定する必要が全くないのだ。
なぜなら、私はあらゆる可能性を秘めた集合体なのだから。


昔、「あるがままの自分」を失った私は、本当の自分を探し、主張し、
自分を受け入れようとして、長い年月を費やした。

その時の自分は、世間や自分の考えや思い込みで凝り固まった固体だった。
固まりすぎて、それが自分だと思っていた。

自分を受け入れることができ始めるとまもなく、
まだ完全に自分を受け入れていないのに、
自分を手放す必要性を感じて、手放し始めた。

そして、自分を完全に手放すことができていないのに、
今度は、自分が集合体なのだと知った。

私など存在しない。
私が存在すると思っていただけなのだ。

「私」が開放されると、「自分」に凝り固まった固体はなくなり、
空っぽの器になる。

その中には、「可能性」がはいっている。

自分は常に空白で、私を構成している全てのものによって
あらゆる可能性が発動を待っているのだ。


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