いのちおり - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

2014年02月

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私たちは物質界に意識をおきすぎて、一昔前までは見えないものは存在しないもののように思われてきました。
けれども今は見えない世界のほうが本質であり、広大であり、物質的な世界はその一部でしかないと感じられてきています。

情報空間が主流になりつつあり、私たちが体験しているこの世界は実は映写機から映されている映像のようなもので実体がないことを体感し始めている人が増えていると思います。


今年に入ってから、目の前の向こうのほうに銀河のようなものが見えていて、あれは情報空間で、私たちの本体でもあり、なるほど、宇宙の惑星やその他すべてのかたちあるものは、それぞれの情報がかたちになったものなんだなー、つまり宇宙ってのは情報がかたちとなって表現されているものなんだなと思ってみていました。

つまり情報が先でかたちがあとなんですね。


私は先日、とある空(くう)体験をしました。
それはとてつもないエネルギー空間に充ち満ちているキラキラと輝く情報の中にどっぷりと浸かるという体験でした。

いわば、キラキラのカラフルなラメがたくさん入ったマニキュアみたいな感じです。それが空間一杯に広がり、その中に浸っている感覚で、すき間なくいろんな色のつぶつぶ粒子がキラキラ輝いているんですね。

それひとつひとつがいのちでもあり、それらが常に流動的にうごめいてつながり離れ,変化しているから、ものすごくダイナミックなエネルギーなんです。
響きだらけキラキラ粒だらけの空間であり、それゆえに静寂でもある。

しばらくその中に浸っていて、「ああ、これは空(くう)だ!」とふっと気づいたわけです。
今年になってから見えていた銀河空間のようなものの中にどっぷりと入ってしまったわけです。

詳しいことは「いのちおり通信」に書いたのでこちらでは省きますので、あしからず。
前回書いたイザナミの混沌とした空間もそれに近いかもしれません。


氷は形を変えようと思うと力を加えないとできないですが、水も水蒸気もそれそのものの形はなく、流動的に周りにあわせることができます。

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固体の世界を唯一の真実と思っているとなかなか変えられないですが、気、情報の世界を主体と思うと、こちらの世界は印象派のつぶつぶの絵みたいなものです。

つぶつぶの集合であり、私たちの本質はその集合体であるわけで、それがいろいろと結びついた時に意思なり目的なりを持った存在として個別化していく、つまり、ひとつのいのちとして生じるということなんだなと思います。

印象派の人たちがそこまで意識していたとは思いませんが、ゴッホなどは案外、色彩レベルだけでなく、宇宙の本質に気づいていたかもしれないですね。

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草間弥生さんはその中に住んでいる人というか、そのものなんでしょうね。
アヤワスカのアーティストなどの絵もそれを喚起させられます。

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曼荼羅画やイスラム模様もその類いですね。

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この最後のイスラム模様など、うるさすぎて静寂、静であり動というのがよくわかります。砂漠で夜空を見上げているとこんな感じで、それと神という概念がくっついていくというのは容易に考えられますが、この状態であれば、一神教と多神教が同じというのもよくわかります。

このイスラム模様を星空といっても通じるし、森といっても通じると思います。
空(天)か地上かの違いが、その後、一神教と多神教を別物にする方向に向かったんだと思います。中沢新一氏の男性原理と女性原理の話が思い出されます。


静寂の無っぽいのも空であれば、密に埋め尽くされたのも空なんだろうなと思います。
人によって感じ方が違うと思いますが、ただ世間一般ではこういうのが「空」というのがあるように思います。それを体験しないと空体験をしていないと思うのは、すでに「空とはこういうものである」という限定された思考領域での体験で、自我の自己満足の疑似体験になってしまう可能性がありますので、それには気をつけたいですね。

実際の話、私はその時「あ、これは空だ!」とひらめいたわけですが、そうなのかどうかは知りません。自分がそう思っただけで。

でもそれが空なのかどうかは私にとっては重要でなく、それにより私の認識が広がったのが楽しいです。その先もまだあるので、これから楽しみです。


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先日、橿原神宮に行った時に感じたことについて書きました。
そのもっと前に阿波地方に行って、伊射奈美神社の元地での話を書きました。

このふたつの空間のエネルギーを比べてみるとおもしろいです。
それは橿原神宮の話のところで書いたことと似ていますが、空間のエネルギーが違うのです。

橿原神宮での「無」は本当に穢れなく、完璧なまでに神聖であり、清浄な空間を保とうとしていました。
厳粛、厳格,崇高、尊ぶもの、神聖空間,崇めるものというようなことばが似合います。

伊射奈美神社の元地も「無」と言えば無なんですが、混沌と言えば混沌で、どちらでもいいよ〜という感じ。
そのまんまで何も付け足す必要がないという感じでしたから、「無」というよりは「ゼロ」という感じかもしれないですね。ゼロなんだけど「ない」という意味のゼロではなくて、全ての始まり(の前)という意味でのゼロです。
とにかくあるがままでよかった。

『そのまんまでいい。何一つ変える必要はないし、何もする必要もない。』と前の記事に書いていますが、心地良く晴れた日の静寂な沈黙の時、すべてがそこにあり、そのままでよく、それゆえすべてが完璧だったという空間。

すべてがあり、ない空間。


似ているようで全く違うこのふたつの空間。

橿原神宮で感じたものはそこにそぐわないものは排除。
伊射奈美神社の元地はなんでもあり。そのまんま。

橿原神宮での時空は管理されないといけない。なぜならエントロピーの法則で、放っておいたらどんどん乱れていく。それなりの規律なりルールが必要になります。

伊射奈美神社の元地で感じた時空はそのまんまなので、そのまんまでなにもしなくてもいい。
なんでもありだからなにもしないままになってしまって動きがなくなる。つまり究極は静。

管理空間は意図的に分けるので、常に動。
ただそれが無意識下にはいれば、動でありながら静になるので、本当はその状態を目指していたのかもしれない。
「○○道」といわれるものはたいてい型があって、そうだものね。

このイザナミのあるがままのエネルギーは、自我が生じる前の混沌とした全ての可能性が眠っているエネルギー状態のことだと思いました。

私はこれが混沌とした目覚める以前の宇宙なのだと思っていましたが、実はそうではなかったかも?とある日思いました。(ブログ記事の流れでこの話がどこかにつながるはずだったのですが、今はもうそれが何だったか忘れてしまいました)

なぜなら神話ではイザナミ以前の神様がいます。
国之常立神から伊邪那岐神・伊邪那美神までを「神代七代」というそうです。
それ以前の神は天之御中主神から天之常立神まで五柱は「天神(アマツカミ)」で、これらの神は姿を見せず、配偶がない単独の神だそうです。(参考:神々の系図

イザナミの静たる可能性の海はイザナギの動により発動します。
それによりこの世界が現れてきます。だからその後、たくさんの子産みをします。

そこではたと気がつきました。

そこが宇宙の始まりではなかった。

全ての可能性が眠っている状態が原初の状態と思って、私の思考はそこどまりだったので、それ以前の世界に思いを馳せたことがなかったです。

とはいえ、すべては刹那なる一瞬のあってないくり返しですから、それ以前も以後も、全ての可能性が眠っている状態も発動している状態もあってないのですけどね。イザナギイザナミ以前の神様はこの部分に関わってくるのかもしれませんが。
それからそれ以前とはどういうものか?ということにも思いを馳せるようになりました。


イザナミの静とイザナギの動。

なるほど菊理姫の働き。
両極を動かし,循環させる力を私は菊理姫の働きだと思っていましたが、それだけではなかったんですね。

静と動が絶妙な均衡で保たれる時に起きること。
これが次なる世界への扉となるのですね。

今やっと、私が菊理姫が銀河(系?)のエネルギーと感じていた意味がわかりました。

この話はこの間「いのちおり通信」で書いた情報空間の銀河と空の話につながっていきます。
まだまだ知らないことばかりです。


神話で活躍する神様は私たちにわかりやすいエネルギーで身近なんだと思います。
名前だけ出て消える神様はみんながみんなそうではないかもしれないですが、もっと大きな宇宙の仕組みの働きの一環を担っているのでしょう。名前が出ない神様はもっとかもしれません。
それは言葉で説明できるものでなく感じることでしかわからないものだったり、私たちの理解を越えたものなのかもしれないです。

だから「おかげさま」なのでしょう。

これは消された神様うんぬんというのとはまた別な話ですが。

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今さらいうまでもないが、今回の大雪の件で再び明らかになったこと。

日本政府やメディアは人命より経済を優先させる。

山梨県などでの大雪でたくさんの人々が孤立した状態になっても、テレビではあまり報道しなかったらしい。
私の家にはテレビがないので見てないが、一度よそ宅でテレビを見る機会があった。

確かにオリンピックの放映が多く、雪被害のニュースは少ししか流れてなかったので、それだけ見ていたらたいした被害には思えない。
インターネットに流れていた情報は大げさだったんだなと楽観的に受けとることさえできる状態だった。

どこからどういう情報を得ているか、でずいぶん見える世界が違うと思う。


そして流れ続けるオリンピック映像をずっとそのまま見てしまう。
次々にいろんな選手のいろんな競技がでてくるので(あるいは、くり返し)、何も考えずにオリンピックをずっと見続けてしまえるなあと思った。

オリンピックに限らず、テレビってそんなものかもしれないけど、すごく受け身で生産性がない行為だなあと思った。
もちろん見る人や番組によっては得るものがいろいろとあると思うけど。


企業というものはいろんなしがらみがあって、個人的な思いは抑えないといけないんだろうけど、それにしても悲しい事情だ。

大きな歯車の中に組み込まれて、心を殺さないと生きていけなくなる。
それで心を痛めているのならまだ救われるが(本人は救われている気はしないだろうが)、もっと怖いのはいつのまにやら無関心,無感覚になることだ。

映画「マトリックス」で「システムは敵だ」といっていたが、そうだと思う。
いつのまにやらシステムの中に組み込まれ、本心を見ないように見ないようにと教えられ、いつのまにやらシステムにとって従順な奴隷となってしまう。




良い指導者や君主、政治家は国民のことを考える。
常に幸せな国民ありきで行動が伴う。

例えば、天皇陛下はご自分で直接指揮したり、行動したりするわけではないけれど、常に国民や日本国の幸せを願っておられるであろうことは想像に難くない。

本来、国を動かす地位にある人もそうあるべきだろう。
理想論かもしれないけど、指導者はどうしたら国民が幸せになるか?国が安泰するか?を考え続ける人で、その方法の一つとして国を経済的に豊かにすることを考えるべきだろう。

それがいつのまにか経済成長が中心となり、人の命よりそれを発展維持させることが優先事項になってしまっている。

真剣に国民のことを考えていないのだろう。
もとより住んでいる世界が違いすぎてわからないのだと思う。

マリー・アントワネットが、飢餓により反乱を起こした民衆に「パンがなければお菓子を食べればいいのに」といったという話があるが、それに近いような気が、、、。

それこそテレビを見ているがごとく、ずっと遠くで起こっていることのように感じているんだろうね。

お偉方さまが無関心,無感覚になったとしても、国民の大半がそうなったとしても、一部のそうでない人はちゃんと目を覚ましていよう。

それがとても大事だと思う。

政治家も含め、無関心,無感覚に陥っている人たちはシステムの犠牲者なのかもね。


寒さで震えている少年がひとりバス停にいた。その時人々は?(ノルウェー)


ところで、浅田真央ちゃんのフリーは見てないけど、ホント、よかった!
感動をありがとう!といいたい。
インタビューはYouTubeで見たけど、こういう時はテレビが見たいね。
誰か、YouTubeにアップしてくれ〜。

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東京都内での対面セッションです
2月25日(火)10:00~11:00, 11:30~12:30 です。
お申し込みはこちらです。


〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

昨日の話の続きのようで、反する話のようでもありますが、以前、大昔、天津神系と国津神系は和合していたが、敵対しているように仕向けられたようだという話を書きました。(→巧妙にしかけられたワナ

橿原神宮で観た「彼ら」がめざしたもの。
今気づいたのだけれども、その「神域」は彼ら自身ではなく、彼らがめざしたものであり、求めたものであり、守ろうとしたもの。

「彼らの道はその世界へ入ることであって、その世界になることではありません。」という話を思い出しますね。(→女性的な悟り方)


YouTubeで中沢新一氏が、多神教と一神教について話しておられますが、とても興味深いです。長いですが、ピンと来た人は中沢氏の話だけでも聞いてみてください。


大昔、男性たちは男性原理に基づいた高きところに向かう思考により、抽象性、超越性を求め、それが一神教のもとになりました。

女性は女性原理に基づき、自然なかたち、生物のかたちをもとにしたものや、生みのかたちに基づき、多神教となりました。

以前はどちらの原理も共存していたそうです。
それを聞いた時、やっぱり大昔、天津神系と国津神系は和合していたんだなと納得しました。

以前、ユダヤ教は一神教ではなく、多神教だという話を聞いて、なるほどと一つなぞが解けたのですが、一神教も多神教ももとは同じであるのに敵対するようしむけられ、私たちもすっかりその流れにはまってしまいました。

それにより分離感、二元性、善悪,敵味方などの概念や縦ライン(階級)が強調されることとなりました。

一神教のゆがめられた延長上が男性原理に偏りすぎた今の時代となりますが、これからは女性性の時代です。

再びそれらが融合され、敵対関係ではなく、多神教的であり、自然であり、なにかをめざすのではなく、自分がその世界になっていく時代となります。

そういう時代がいったいどんな時代なのか?

創造力をたくましくして思い描いてみるといいと思います。


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昨年引っ越し先を探していた時の話です。
場所よりも条件に合うところを探していました。

大津市に物件を見に行ってすぐに、奈良の橿原神宮の近くにも私の条件に合うところがあり、見に行きました。
まさか私が橿原神宮の近くに住むなんてあり得ないと思いつつも。

家は一番私の条件にあったのですが、町に魅力を感じませんでした。
その前に見に行った大津市のほうに決めましたが、同時期にこのふたつが浮上したのも偶然ではなかったかもしれません。


橿原神宮に行ったことがなかったので、せっかくですから参拝してきました。

橿原神宮は神武天皇が祀られています。
神武天皇は初代天皇と言われ、八咫烏に案内をされた方。

お宮の広い敷地に入ったとたんにわかりましたが、この人たちが大切にしていたものは穢れなき領域。聖域というべきか。

それは場所のことではないですが、この人たちの理想とした状態は穢れがまったくない神聖なる清浄な状態/空間。

そういう世界を創りたいとこの地に降り立ってこられたんだなと感じました。
自分たちの理想郷を作ろうとされたのでしょう。

それはそれで全然OKですし、価値観の違いなだけなのですが、その状態をめざそうとすると不必要なものは徹底的に排除しないといけない。

塵一つない状態を作ろうと思えば、余分なものは取り払わないといけません。
そしてその状態を保つために最善の注意を払わないといけませんから、それなりにルールや戒律などもできあがっていくでしょう。

そうして「神」とされる領域を保とうとしたんだなと思いました。


神道のルーツがユダヤにあり、ユダヤ民族が日本にやってきたという話において、私が納得できなかった部分がありました。

八百万の神という認識が生まれたのは日本の森と湿気と四季があったからだと思うのですが、それは多種多様が雑多に交じり合い、共存している状態。

ユダヤの一神教的な思想がどうもマッチしないと思っていましたが、橿原神宮に行って、神道とそれが結びつきました。

絶対なる空間。神域。

神域が絶対なる空間だとは思いませんが、彼らはそのように考えたのだと思います。
そこには神なるものにたいしての敬意や畏れ、神域、聖域、それを大切にしようとする思いなどが感じられます。彼らはそれをとても大事にして守ろうとし、そういう世界を試みようとしたのでしょう。立派なことだと思います。


その時に浮上していたもう一つの物件の周辺は農家のような大きな家が多く、昔は里山だったらしいです。山も琵琶湖も田畑も住宅街も近く、自然も人もごちゃ混ぜで暮らしているようなところで、家の周辺まで鹿が出てきます。

このふたつの地区がほとんど真逆だったので、ますます橿原神宮の「完璧な清浄なる空間」ともいえるようなあり方が際立って見えました。

里山はいわばごった煮ですから。土着の人たちのあり方もね。

価値観の違いと言えばそれまでですが、土着的なものはきれいな空間にある汚れみたいにみえたんでしょうね。クズとよばれ、鬼にされ、、、。


もともとは良心的にそういう世界を作り出そうとしただけなんでしょう。

そういうことを教えてくれるために二つの物件がほぼ同時に現れたかと思えました。事例を通して二つのタイプの違いがすごくよくわかりました。

善悪もいいも悪いもなく、好みや価値観,思想の違いで、どっちもありなんだと思います。
だけど、そのためにたくさんの血が流されたり犠牲になるのはごめんですね。


里山について


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先日の「コミュニティガーデンをつくろう」の会でワークしたことをまとめました。

コミュニティガーデンに興味あるないに関わらず、この先の社会にどうなってほしいか?を想像することは大事ですので、一つの例としてここにあげます。

自分ならどういう社会を望むのか、
自分自身のこれからや自分の子供たちに託す未来。

そうなるかどうか、できるかどうかはともかく、まずは想像してみること。

こうなったらいいな、こういうものがあるといいな、こういう機能やシステムがあるといいな、と自由な発想で考えてみてください。


<コミュニティガーデンに求めるもの>

◆森作り

  都市に森、里山を作る。都市の緑化
  そのガーデンの象徴となるような大きな木がある
 
◆町の景観

  都市に緑が増える。景観がよくなる。
  都市の中で緑に囲まれた安心できる空間 → 心が和む。救いの場所。
  廃墟を改築。

◆自給自足、循環システム作り

 ・食料
   安心、安全な食べ物を自給する
   身近な野草、薬草、野菜を共に育てたり、料理して食べたり。
   (できれば福島方面の人に送りたい)
   ガーデン内で育てた果樹、野菜を使ったもので加工する(ジャム、乾物等)
   災害時の食も確保

 ・エネルギーの自給
   食とエネルギーの自給、自家発電
   太陽光、太陽熱を活かすやり方を見せる場

◆つながり、人々との交流

  地域の人たちとのつながり。顔の見える関係が増える。大きな家族。
  孤立が減る。安心感。
  畑仕事以外でも助け合える共同体
  体調が悪い時に助けてもらえる
  みんなで子育て
  違う世代、老若男女や子供たちの交流

  気軽に誰でも出入りできる自由な空間
   よそ者でも関係なく受け入れ、世間話ができる(閉鎖的でない)
   誰もが参加できる交流の場、友達ができる出会いの場
   転勤族でも地域に馴染めるウェルカムガーデン
   音楽や踊りやスポーツを一緒に楽しめる仲間
   
  協働。一緒に作業して共に感動できる
  次につながる期待できるイベント
  交流から行動へ

◆安心、憩いの場

  人の本来の姿を考えることができる場所
  エンパワメント ー 居場所、つながり、役割
  笑顔が増える
  何か始めてもいいし、なにもしなくてもいい(どんな人でも居場所がある)
  緑の中でリラックス
  収穫の喜び

◆学び,知識の共有、文化の伝承,継承

  地域の歴史や伝統を語り継いでいけるような大人と子供が入り交じった場
  身近に初心者に教えてくれる人がいる
  高齢のおばあちゃんの暮らしの知恵や生活の道具を伝達する

  手作り、昔の知恵や技術を学ぶ場
   地域の祭、たき火、もちつき
   大阪在来種を育てる
  
  ・寺子屋
  ・ものつくりスペース(DIYなど)
  ・野菜作りのノウハウ、コンポスト作り
  ・土作り
  ・育てたものの加工、保存方法を学ぶ
  ・環境について学ぶ(考える)
  ・地元学:なぜその地域なのか? 地域資源

◆物々交換、お金のシステム

  道具や知恵を貸し借りできる関係。
  物や保存食等、物々交換、融通ができる。
  あるものを活かす。 
  貧困連鎖を防ぐ。脱お金

◆被災地の支援

  福島(方面)の人とつながったり、受け入れたり

◆施設

  ガーデン内に物を作る工房、作業場がある
  カフェレストラン 
  泊まれる場所があるガーデン
  寺子屋
  子供が自由に遊べるのっぱらがほしい

◆防災、防犯

  顔見知りとなることで防犯となる。
  災害時には助け合える。

◆チャレンジ、実践

  行政に働きかける。どうチャレンジする?
  パーマカルチャーで勉強したことを実験、実践してみる
  都会の限られた環境で何ができるか、どうしたら可能になるのかを実験する。

  鎮守の森をみんなの場所に(自然教育、憩いの場) 例:垂水神社
  公園や緑地をみんなのガーデンにする
  北千里の団地の庭作りが始まったとか?
  若狭にみんなのガーデンを作りたい


*「共」の体験をしてみる。
 どんな気持ちがするのか?どんな問題が発生するのか?
*みんなでやることで一人の負担が減り、また技術やアイデアも向上していく。
*意識変革、行動へつながるきっかけ
*今まで関わることのなかった人たちと一緒に土をさわってグリーンを育てることで共存意識を作っていく

次回の会は3月15日(土)14:00~16:00 大阪吹田 モモの家にて開催です。
コミュニティガーデンのつどい


コミュニティ考現学 第3回「世界に拡がるコミュニティガーデン」




2014年度パーマカルチャー塾
募集中です!


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むりをせんでもいいんじゃよ。

おまえさんにはおまえさんの道があるから。

でも世間はそう優しくはないから。

おまえさんがおまえさんの道を行くなら、

けっして優しいことばかりでない。

それでもやりがいはあるのだから、

おまえさんはおまえさんの望んだ方向に行くのだろうなあ。

気がついたら、自分の来た道、

楽しい思い出になるかもしれんのお。

楽しい思い出と感じられるまでは、

おもしろくない思い出かもしれんがのお。

 (T.Iさまへのメッセージ 121225)





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 空高くに飛ぶ鳥を

 見上げてみれば 大空の

 青き深さと広き心に胸打たれ

 ぽつんとたたずむ自分の姿。

 今まで何をしてきたのだろう?

 そう質問をしたくなるような

 深遠なる瞬間にふれる時

 新たな扉が開き始め

 あなたの世界はまた新しく

 違う部分を見せてくれる。

 それに終わりはないけれど

 自分の心の奥深く

 見つめてみれば大宇宙。

 キラキラ輝く星となり

 虚空の中に溶けていく。

  (M.Nさまへのメッセージ 131226)


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とてもすてきな市政の表明に出会いました。




鳥や虫やけものたちのために
水や森や大地のために
つながるすべてのいのちのために
政治を取り戻し、聖地を取り戻そう

この大地は私のものではない
あなたたちのものでもない
母なる地球から借りたものを
借りた時よりもきれいにして子どもたちに受け継いでいこう

みんなで手をつないで大きな輪になろう
そこには音楽があり、食べ物があり、
祈りがあり、笑いがあり、
そして当たり前のように政治がある

政治とは大切なものを大切にするための手段でしかない
一人一人大切にしたいものが違うからこそ
みんなで話し合う必要がある

多数決には未来がない
この地に生きるすべての人すべての生き物がともに生きていくために
みんなで輪になり本物の政治を始めよう

いのちはひとつ
大地はひとつ
同じ大地に住む者どうし
力を合わせ
手をつなぎ
知恵を出し合い
同じ未来をともに描こう
同じ未来へともに歩もう

これまでの政治は自然を壊すための手段であり、
聖地を奪うための手段であった

政治を取り戻し
いのちを守る手段にしよう
平和をつくる手段にしよう
聖地を取り戻し、尊厳を取り戻す手段にしよう

政治というオフィシャルな場で
ビジョンを示し
未来を示し
態度を示し
感謝を示し
愛を示そう

彼らが真実を隠し、秘密を守ろうとするならば
こちらはただひたすら真理を追い求め、それを公開していこう

ただひたすら心を開き、意識を開き、場を開き、回路を開こう

これまでよりもさらに深く心を開き
これまでよりもさらに深く語り合い
これまでよりもさらに深く信頼し合い
これまでよりもさらに深くつながろう

秘密や不安や迷いやあきらめが入る余地がないくらい
真理や安心や信頼や希望でこの地を満たそう

つながるすべてのいのちのために
真理の道を歩いていこう

私 藤井よしひろは
つながるすべてのいのちのために
糸島市政に挑戦します

--------------------------------

私は藤井よしひろ氏をこの動画で知ったのみで、それ以外のことは知りません。
けれどもこの表明は政治のみならず、私たちが志すべき方向性を指し示しているように思います。


政治とはなにか?
まつりごとの中心にあるべきものは何か?

権力と名声とお金と私欲にまみれてしまった政治を根本から見直すには、
まず国民からそれに気づき、変わっていくといいと思います。

政治家を批判するのでも反対を唱えるのでもなく、
私たち自らが先に新しい道を歩み出すのです。

私たちがまずどのようにありたいかを自らの行動で示していきましょう。

政治家が世の中を変えてくれるだろうと任せるのではなく、
まず望む世界そのものに自分自身がなりましょう。

そのためにできることをしていきましょう。

偽りに気づいたらまず自分からそれをやめて、正直に素直になりましょう。

母なる大地の声に耳を傾け、自然とともに過ごしましょう。

私たちが真理に基づき、行動するのなら、それはなによりも力強く,
未来を開いていってくれると信じます。


世の中に変化がおこるのを見たければ、
あなた自身がその変化になりなさい


といったのはガンジーでしたかね?


気づいた人から変化を促していきましょう。
これは何か怪しい・・・


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2月は日数が少ないこともありますが、とくに何も書くことがないぐらいいつのまにやら終わっています。

人間の意識の変化は今どんどんと進んでおり、もう少ししたら、新しい社会に向けて動き出そうとする力が一人一人の中に増していき、新しい世をつくるということでお祭り騒ぎが始まり出します。
お祭り前のワクワクソワソワ感、みんなが場を作っていっている、参加しているという気持ち、社会現象的にそれが起こり始めます。

夏頃からその兆しが見え始めるでしょうか、、、


今月はまだまだそこには到達しませんが、着々と自分にとって不必要なものをそぎ落としていくといいでしょう。

何が得たいのか、何がしたいのか?を求めるより、消去法です。
いらないものを手放していく作業がいいと思います。


常に自分の内面に自分が本当に望んでいるものを問うてみてください。

自分が自分にする質問はとても大事です。
それが人生を形作っているといっても過言でないぐらいです。

常に前を開いてくれるのが質問、問いかけです。
自分にどういう問いかけをしているのか、注意してみてください。

自分の行動は自分の思考によって制限されています。
何を前提としてその質問をしているかをいろいろチェックしてみるとおもしろいと思いますよ。

そこには必ず自分が制限しているフレームがあります。
それがとれると選択肢が広がり、違う世界や方法に気がつきます。

今月の状況ではないですが、これらのことに注意して過ごされると良いと思います。

「和音」2014.2.3(要約版)


こちらでもいろいろ書いてます。→ メルマガ「いのちおり通信」


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