いのちおり - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

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夢を持ちなさい。
目標を持ちなさい。
ゴールを見つけなさい。

と言われます。

私もコーチをしているので、そのようなことを言いますが、
ここで気をつけることがあります。

それらを持つのはいいですが、
小さなところにとどまらないこと。

小さな夢に自分を固定してしまえば、
それは夢ではなく、縛りです。

私たちが普段使っている脳は
全体の3%にも満たないと言います。

その3%で自分の未来を制限してしまう
のはもったいないことです。

自分の可能性を制限することではなく、
解放すること。

97%の可能性に自分を開くこと。

そちらの方が大事です。

ではどうするのか?

となると、

夢を持ちなさい。
目標を持ちなさい。
ゴールを見つけなさい。

という話になるのですが。

ただ、その夢や目標やゴールは97%に任せたい。
そこが発動するように3%を使う。

3%の脳が設定する夢や目標やゴールが、
自分がまだ知らない97%の可能性をちょっとでも
発現させるためのものになれば、それでいいです。

それはあなたがするのではなく、
あなたの無意識がやってくれること。

その邪魔をしないことが大事です。

でもそのアクセスへの道を開くのはあなたです。

あなたが本当にすべきことは
あなたの97%はすでに知っています。

でも3%が邪魔をして、
ちっちゃな自分に収めておこう
としてしまいます。

それは習慣化されています。
そのように教育されてきてしまったのですから。

少しでもそこを開いていきたいのなら、
自分の範疇内の3%に留まろうとしないこと。

常識に縛られない。
やりたいことをやってみる。
人の目を気にしない。
バカになる。
今の自分を壊す。

あなたの”本部”から無意識に飛ばされている”信号”は
確実にあなたに必要なものをキャッチしています。

しかし顕在意識という検閲に引っかかって、
ほとんどその門をくぐることができません。

自分の頭がゆるく解放されていると、
必要な情報が来た時にキャッチし、

複数の情報がピピーンとつながって、
「あ、これだ!」とわかります。

それに抗わず、その道筋に落ちているサインを
拾い上げながら進んでいくと、

「これだよ、これが欲しかったんだよ!」
というもののカタチがだんだんと見えてきます。

最初はそれはわかりません。
けっこう見当違いも多いです。

だからまずはアタリをつける。
しかし3%を超えたところに設定する。
そして、そこに向かって進んでみる。

違うと思えば、軌道修正をする。

そうやって進んでいけば、だんだんと
あなたの行く道が見えてきます。


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痛い話です。

理想を持って進んでいくこと。
それは立派な行為です。

でも今の自分は、それに満たない自分。
だからこそ「こうなりたい」「ああなりたい」という思いがあります。
けれどもどうしても現状とのギャップが生じます。

だから、

「どうして自分はこうなのだろうか?」
「まだできない」
「どうせ自分は…」

と自分を責めてしまいがち。

でも本当のところはそうやって、できない自分を慰めています。
本気を出してやることから逃げています。
逃げているから、願いが実現しません。

なぜできないのか?
それをできるようにするにはどうすればいいか?
本気で考えて行動していません。

「できない」を言い始めると、できないことを正当化し始めます。

時間がないから、才能がないから、
お金がないから、勉強が足りないから、
まだ時期じゃない、自分には向いてない、

理由はいくらでも作れます。

本当のところを言えば、本気を出してやってないだけ。

自分でもわかっている。だから痛い。
「できない」に逃げてる方が楽。

本気を出すと言っても、「全力出して突っ走れ!」
という根性話ではありません。

静かに密かに情熱を傾け、ひたすらに真摯にそれに臨むこと。

シンプルに言えば、

「100% 生きてますか?」
「やるべきことやってますか?」

ってことでしょうか?

有名になれとか、成功しろとかいう話でもなくって、
「今ここ」にいるか?ってこと。

自分という存在を十分に感じきり、一瞬一瞬、生かしきっていますか?

もしそれができている人がいたら、ずっと歓喜と至福の中にいるでしょう。

そこでは「できる」「できない」は全然どうでもよいことです。
「できる/できない」と分ける意味すら無意味です。

宇宙の森羅万象と同化すれば、その瞬間瞬間にやるべきことは現れ、
あなたはただそれをこなすだけ。

そこに私情は入る余地がない。

「できない」と言って甘ったれていては、その境地はやってきません。

「できない」の壁は自分の思いです。
自分が作っているものだから自分で壊せます。

けれどもそこにこだわる必要はありません。

壁がどうしたら壊れるか?と考える必要もありません。
考えてしまえば、そこにとらわれます。

本当のところ、
どこに到達したいのか?
どうなりたいのか?
何を得たいのか?

そこを突き詰めて突き詰めて。
鉛筆の芯を削って削って芯がなくなっても削っていって
やっと見えてくるぐらいのもの。

魂が揺さぶられるぐらい、ハートが熱く燃えたぎるぐらいに
ハッとするものに出会えたらあとは自動操縦。

森羅万象が答えてくれる。

あなたはもう何も考えず、ただそれに沿っていくだけ。
その時にはもうできるだけ自分を挟まない。

ほとんどの人がここまで自分を突き詰めてません。
だから「できない」と言って、人生を終えていきます。

至らない自分に悩んでいる場合ではないのです。
心を向けるべきところはそこではありません。

行き先を明確にする。
そしてそこに到達すると決める。
そして進む。

余分なものは捨て去っていく。
それは研ぎ澄まされていく、ということ。

そのプロセスを楽しみながら生きていけば、
きっと最高の人生になるでしょう。

自戒を込めて。


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私たちはみんな、スコトーマ(心理的盲点)を持っています。
つまり何かしら見えていないものがあります。

これは誰にでもあります。

みんな、自分の興味のあることや大事だと思うことに
注意がいきますから、それ以外は無視します。

無視していることすら気づかないので、ないも同然です。

今日、私は台所でいつも使っているマグカップを探したんですが、
どこにもありませんでした。

他の部屋に置いていたかな?と見てみるのですが、ありません。

なくなるはずないので、「変だな、どこかにあるはず」と
また台所に戻ったら、ちゃんと流し台の上に置いてありました。

ここはつい先ほど見たところです。
2回ぐらい見渡してないなと思ったのに、
ちゃんとそこにありました。

なぜか全然見えてなかったのです。

そこにあるのに見えてなかったので、
どこにもないと思って探したのです。

では、そもそもその存在を知らなかったとしたら?

目の前にあったとしても全く気づかないでしょう。
存在そのものを知らないのですから。

ということが、私たちの日常でよく起こっています。

これは知って見て初めて、「マジで?」と思うほど
本当に見えてない、気づいていないことを知ります。

それは驚くべきほどです。

もちろんこれは物体に対してだけの現象ではありません。

出来事や人間関係、所作、言動など
いろんなところで現れます。

自分に必要ないと思っていることや興味のないこと、
重要でないこと、気持ちを遮断していることに対して、
スコトーマは働きます。

ほとんどの人が自分にその盲点があることに気づきません。
盲点があることに気づかない、という盲点ですね。

だから常に、自分に見えてないこと、気づいてないことはないか?
と探ることは大事です。

しかし、スコトーマは悪いことばかりではありません。

自分のゴールや集中したいことに対して、
スコトーマを有効に使うことができます。

目標を達成することに集中して、
他のことは遮断してしまうことができます。

意図的にスコトーマを生み出します。
試験勉強や早く結果を出したい時などに有効です。

気をつけるべきことは、
これをすると、それ以外が遮断されます。
いわば、視野がとても狭くなりがちです。

視野が狭くなると、いろんな可能性や選択肢が
見えなくなってしまいます。

集中する時は集中するけど、近視眼的に
ならないように気をつけなくてはなりません。

そのためには大きなゴールを持つこと。

現状の外にゴールを設定することで、
視野が広がり、スコトーマが外れやすくなります。


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私は子供の頃、特別でもなんでもなかった。
きっとどこにでもいる子供だっただろう。

昔の話を親に聞いてみたこともあるけど、
「もう忘れた」と言われてしまい、
ほとんど聞き出せなかった。

幼い頃から好奇心は強かったようで、
タンスの引き出しを全部開けてかかったそうな。

それぐらいしか教えてもらえなかった。

でもって、私の記憶力が非常に悪い。

私は両親が大阪に数年間いた時に生まれた。
そして4歳の時に地元の島根県に戻った。

島根に戻ってから小学校に入るまで
の記憶はほとんどない。

けれども4歳までの大阪にいた
頃の記憶はわりとある。

隣のお菓子屋、近所の散髪屋、
家の前ではよく鳴くスピッツがいて、
近くには川があった。
まだまだ覚えている。

が、島根に戻ってからの記憶がない。

新しい家になったから、
何か覚えていそうなのだが、
幼稚園での記憶などほぼない。

小学校からの記憶はある。

霊的に優れていたとかは全然なかった。

見えないものが見えたとか、
声が聞こえたとか、誰かと話をしていたとか、
そんな記憶もない。

どこかちょっと普通の子と違ったところは
あったらしい。

暗闇を見つめてたか、好きだったか、
なんかそんな感じ。

特別な能力はなかったようだけど、
いろんなことは感じてたんじゃないかと思う。

感性、感応力が高いという意味で。多分であるが。
しかし早々とそれを封じてしまったんだと思う。

鏡文字はよく書いていたそう。
もともと左利きだしね。

育ちが出雲なので、出雲神話のヤマタノオロチや
因幡の白うさぎの話、小泉八雲の怪談はよく読んだ。

もっと大きくなってからは、
雨月物語や御伽草子なども好んで読んでいた。

特に怪談や雨月物語は何度となく読んでいた。
自分自身の中にそういうものに響く感性があったのだろう。

大好きだったのが「みどりのゆび」という小説と、
佐藤さとるのコロボックルの話。

大きくなってからもう一度読みたいと思って、
調べた時は、「みどりのゆび」がコロボックルの話だと
思ってたけど、全然違う小説だった。

「みどりのゆび」は読み返してみたけど、
内容はほとんど覚えてなかったが、イラストは覚えてた。

ストーリーを読むと
なぜ好きだったのかがよくわかる。

何度も読み返して影響を受けたのか、
もともとそういうのが好きだったから
今も共感するのかわからないが、

昔好きで何度も読んだ本などは、
かなり潜在意識に入っている。

自分に幽霊とか見えたわけではないけど、
読んでいる本が異界に関するものが多い。

子供の頃から、人間の世界でない世界で
生きている存在に関心があった様子。

世界の七不思議や超能力、UFOとか
すごく興味があった。

中学の頃にめちゃくちゃハマった
「はみだしっ子」というマンガがある。

「はみだしっ子」は普通の社会から
はみ出た家出の子供たちのストーリー。

20歳過ぎてからだけど、
似たような生き方をしてた、無意識に。

自分の人生を振り返ってみると
ずっとエッジにいた。

だから自分を「エッジの人」と
呼ぶわけなんだけど。

まあ、言ってみれば、
はみだしっ子ってわけさ。

昔も今も。

異界とこちらの世界のはざま。

結局、そこか、と思ってしまう。

Part 2 へ続く。





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迷いの窓と悟りの窓。

迷いの窓は四角い窓。
悟りの窓はまるい窓。

あなたはそこから何を受け取るでしょうか?


迷いの窓と悟りの窓は、
京都鷹峰の源光庵と東山の雲龍院にあるようです。

台風21号の前日、源光庵に行ってきました。

お堂にある迷いの窓と悟りの窓。
そこのお堂は血天井です。
この3つが合わさると奥深いものが見えてきます。

現場で見ているといろんなことを感じます。
とてもよくできたアート作品と言えます。

私が今回ここで一番思ったのは、

決めているかいないか。
覚悟があるかどうか。

ということでした。

何よりもこのお寺の血天井が効いています。
この窓二つだと、頭の中でふんふんと分かったつもりになれます。
迷いとはこういうこと、悟りとはこういうことなのか、と。

しかし血天井があると、殺戮があったことを思います。
今もある殺人や戦争や、人間の血塗られた歴史なども。
人を殺し、殺されて...。
IMG_3914

自分一人が悟ったところで、
他の人の苦しみが減るわけではありません。

本当の悟りとは何か?

宮沢賢治のことば。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは
 個人の幸福はあり得ない」

では、自分はどうするのか?
どう生きるのか?どうあるのか?

正しい答えなんてないです。
それは自分で決めること。

「迷い」「悟り」とあると、
「迷いは悪くって、悟りは良い」と思ってしまいがち。

しかし源光庵に表されていたものは
そんな単純なものではなく、

個人と全体の幸福の狭間で迷い続け、悩み続け、
悟り続けることが諭されているように思います。

なんてことを思いながら帰宅して、
血天井のことを知らなかったので、インターネットで調べて見ました。

一般的にはこう言われています。

伏見城で石田三成との戦に負けた鳥居元忠ら380名以上が自刃したが、
関ヶ原の戦いが終わるまでの2ヶ月間、そのまま放置され、
血痕跡が拭っても消えず、供養のためにお寺の天井に設置されたのが
血天井であると。

その後、「あれは血ではなく、油だ」という記事を見つけました。
その頃のPRとして京都市内のお寺の天井に使ったという話も。

現代なら、血糊のついた縁側板を天井にするか?
とかなり非難轟々になりそうです><

真面目に「個人の幸福とは?世界全体の幸福とは?」と考えていても、
その元ネタが嘘かもしれないという...笑。

ここにまた現実の面白さを感じてしまいました。
現実は曖昧です。すべて幻想だと言っていいです。
どこに重きをおくかも自分次第ですね。


源光庵の悟りの窓は、
個人の幸福=世界全体の幸福となって、
全てを背負う決断と覚悟を表しているように思いました。

迷いは現状維持で、それなりに楽。
悟りはすべてを背負う強さがあります。

決められないのが迷い。
すべての責任を背負るのが悟り。

悟りはゴールではなく、スタート。

そんな風に感じました。


その後、近くの光悦寺のお庭を見ました。
これがまた面白かったです。

手入れがされているようなされていないようなお庭なんですね。
半自然な感じがうまく調和してました。

徳川家康が、江戸時代の文化人、本阿弥光悦に与えた土地で、
その後工芸の職人などが来て芸術村のようになったそうです。

源光庵では、どう生きるか、どうあるかが問われ、
光悦寺ではそこを達観して、あるがままを生きる感じ。

「まあ、ええがな、お茶でも飲みはれ」と
お茶を勧めてくれそうな。

外では厳しい現実がありながらも、
自然を眺めながら静かにお茶を飲んで、心を鎮める。

主張してないけど、ちゃんと我が道を歩んでいる、みたいな。

ここにはまた源光庵で見たものとは
違うかたちの生き方が記されていました。

私としては最終形はこんな感じなのかなと思いますが、
源光庵の血天井的なものを経験してくるのと、
知らずしてくるのとでは
感じるものの深さが全然違うでしょうね。


次にその向かいにある圓成寺に行ってきました。
ここは「岩戸妙見宮(岩戸妙見)」「鷹ヶ峰の妙見さん」と呼ばれます。

ここは人間には抑えきれない自然の威力に溢れていました。
荒々しい自然のエネルギーです。

日本は自然が豊富ですが、自然災害も豊富です。

日本の神様が荒御魂、和御魂とあるのは、
どちらが良しとも悪しともせず、
どちらも受け入れていたことの表れなのでしょうか?

自然界は、生と死が混ざり合っていて容赦ないです。
そこに私たちがまだ理解できていない何かがあるように思います。


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「気象病」あるいは「天気痛」という名前ができたようです。
 
何年か前から体調が外界の事象と
関係しているように感じ始めました。

肩から首、頭にかけての痛み、
全身のガチガチ感が主たるものでしたが、
最初は運動不足とか、血流が悪いのか
と思ってましたが、どうも違うらしい?

自分の感情が関係しているのかと思ってみたり。
憑霊される?感もわかるようになってきたり。

それより以前には、自分が無意識に
周りの人のエネルギーを取り込んで
自分のものと勘違いしていることに気づきました。

なるほど、これがかなりのストレスを
生み出してたなとわかりました。

自分のものでない、人のネガティブな思いを
自分ごととして感じていたのですから。

もっといいものを吸収すればいいのですが、
その頃の私はネガティブな思いが強かったですから、
悪い方向にミラーニューロンが働いていたのでしょう。

自分のと人のですから、ダブルプレッシャーです><

周りからの自分の心への影響に気づくようになってからは、
自分が生み出したものと、人のエネルギーと
ある程度、区別できるようになりました。

そして次は身体。

自分の体調を観察していて、
だんだんとつかめるようになりました。

自分自身の身体内部から引き起こされる
下痢や発熱、アレルギー、何らかの病気と、
外界からの影響を受けている時とは明らかに違います。

今回の台風で確信しました。

先月29日夜からうっすらと耳鳴りが始まりました。

キーンではなく、大音響のコンサートの後に
耳が聞こえにくくなるような、
ホワイトノイズがずっと鳴っているような耳鳴り。

翌日からはもっと強くなり、
日を増すごとに圧迫感も加わって、
時にはクラクラするほど。

最初はついに脳に異常をきたしたかと
真剣に病院に行くことを考えました。
でも週末だったので行けなかったですが。

そのあと気づきました。
これ、台風のせいかも?と。
  
その後、気象病という言葉があることも知り、
ほぼ確信に至りました。

「気象病」という言葉は新しい言葉みたいですね。

台風前日夜にはいつもの首肩あたりや
全身のガチガチ感もやってきました。

今までは気圧だけでなく、地磁気や太陽風の影響、
宇宙から届く電磁波や地球上の電磁波とか、
その他空中にある化学物質など、

何があるかわかりませんが、
そういうのが関係していると思ってました。

ケムトレイルやHAARPのせいではないかという話もあります。
これも十分あり得ると思います。
また、それらの、人間の集合無意識への影響もあるかと思います。


今回は台風だったので、気圧が主だったと思います。

台風後に耳鳴りが治れば、
台風のせいだったということになりますが、
案の定、台風翌日、耳鳴りは治りました。

今まで台風で耳鳴りになったことはなかったので、
かなり気圧に変化が出てたのでしょう。

台風が来る5日前からずっと続いていましたから、相当なものです。

今回は台風前日から上半身のガチガチ感もありました。
今までこれが気圧と関係しているとは
思ってませんでしたが、関係していたようです。

大地震の前に体調が悪くなる人も少なくありません。

医者行かずの私が医者に行ったがいいかも?
と思う時は、ほぼこの外界の何らかの変化の影響です。

最初は体調が変なので、病気だろうか?と思うんですが、
途中で、この痛み方や変な具合は
外界のエネルギーのせいだと気づきます。

これは感じる人と感じない人がいるようです。
女性の方が多いらしいです。

地球や自然との繋がりは男性より女性の方が強いですし、
皮膚感覚を通して感じる力も女性が敏感なので、納得です。


この気象病、天気痛は、
愛知医科大学病院、佐藤純先生が名をつけられ、
彼が日本で唯一の天気痛外来医師なのだそうです。

気象の影響を受けるものを総称して「気象病」と呼び、
天気が悪くなると痛みが悪化する症状を「天気痛」と呼びます。

天気痛とは、気圧の変化が体調に
悪影響を与えることによって起こるそうです。

天気痛の症状には、頭痛だけでなく、
めまい、耳鳴り、倦怠感、うつ等もあり、
症状やその重さも人によって様々です。

私は気圧や温度だけだとは思ってなくて、
先ほど書いたように、宇宙や地上からくる磁気や
その他、色々なものが原因していると感じています。



すごく眠たくなる時期がありますが、
これも何らかの影響でしょう。

体調不調は私たちが思っている以上に、
外界の影響を受けているんだと思います。

それは体調だけでなく、気分、精神も含みます。

鬱になる人も実は最初は鬱ではなく、
こういうものの影響を受けていることもあるでしょう。

続くときは1ヶ月以上も続く不調ですから、
気が弱っている人は、そこでお医者に
「鬱の傾向がありますね」と言われた途端に
鬱にまっしぐらに向かうのではないでしょうか?

時期的に自分を責めるような時期があったりして、
ふとこれは自分の内面ではなく、
外界からの影響だと気づくことも増えてきました。

そういう気分になりやすい気圧なのか、
電気的な何かか、なんなのか。


何が言いたいかというと、体調が不調だとか、
気分が落ち込みがちだとか、なんか優れない、
やる気がしない、眠いというのは、

あなたが原因なのではなく、外界の影響を
受けているだけかもしれないということです。

それに気づけないうちは自分ごとと考えます。

「なんで自分はやる気がしないんだ?」
「身体のどこかがおかしいのでは?」と悩みますが、

実は「気圧のせいだよ」「地磁気の変化だよ」
なんて話かもしれないのです。

これに気づかないと、どんどんと
自分を追い込んでしまいがち。

外界が原因だとしても、マイナスに
捉えがちな自分がいたとしたら、
それは自分の心が弱いせいです。

外界の影響を受けやすい人は大変ですが、
それに打ち勝つ心を鍛えないと自分が損します。

もしあなたに心当たりがあるなら、
自分の内側からの症状か、外界の影響か
を見極める訓練をしたがいいです。

どうやって訓練していくか?

まずは具合の悪い時に、気弱にならない、
ネガティブにならないようにする。

そして、外界の影響ではないか?と疑ってみる。

なんどもやっていると、
同じ痛み方や不調の時にはそれではないか?
と気づけるようになります。

人のネガティブ感情を自分ごとと受け取ってしまいがちな人は、
これに気づくのはもうちょっと高度な関わりが必要となります。

まず自分自身をブレないように整えていくことが大事。

それについてはまたの機会に書きます。


天気痛、気象病について書いてあることを読むと、
私のケースとは若干違います。

天気痛、気象病は、気圧によって
起こる症状だけを扱っているのかもしれません。


私は今では、自分が体調不調になる時の50%ぐらいは、
気象なのかなんなのか、外界の影響を受けていると感じています。

今回の台風による耳鳴りや圧迫感は、
こんなに影響を受けるんだなと感じさせてくれました。

耳は治りましたが、昨日はまだ身体のガチガチ感は残っていました。
と思ったら、北海道での地震です。

今は身体のガチガチ感は取れています。

台風や地震の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
1日も早い復旧をお祈りいたします。


ちなみに、私の耳鳴りが始まった頃から猫の行動が妙でした。
私でも相当気圧変化を感じていたので、
猫もかなり異常を感じていたのかもしれません。


面白かったのは、今までに経験したことのない耳鳴りと圧を感じることで、
今まで感じたことない空間(感覚)を知ったことです。

ちょっと知覚の認識が変わるだけで、
世界はガラリと変わるんだなと思いました。

今見ている世界は、生まれてからこのかた
身につけてきた感覚を通して見ている世界です。

それが変わると一瞬にして
まったく違う世界が現れると再認識しました。

耳と頭周辺にすごく圧がかかっていた時に感じたことは、
自分の知覚の信念(自分が知覚していると信じ込んでいるもの)
が外れたら、一瞬にして今の世界や自分は崩れるなということでした。

自我は、自分の気持ちや思考、信念、記憶などよりも、
知覚認識で構成されていると実感しました。

今まで以上に、体調と心と外界の影響との観察を
続けていきたいと思いました。



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9月は諸々のことが入り混じる月です。雑多な感じがします。

ごちゃごちゃしているというか、落ち着きがないというよりは、
いろんなものがぶつかり合って火花が飛び散っているような感覚です。

その軋轢があちこちで出てきそうです。

人同士の小競り合いとかもそうですし、
天災、人災、共に気をつけた方が良さそうです。

台風、地震、噴火、地滑り、水害、竜巻などによる被害、
食物への影響、人が引き起こす大きな事件。

異常気象が相次いでいますが、9月も例外ないです。
が、猛暑は落ち着いてきますので、過ごしやすくなります。

チリチリと火花が散るような感覚はあちこちであります。
小規模な衝突がたくさんあれば、大きな衝突は免れます。

大難を小難にしたければ、自分の中の様々な
小規模な衝突、火花を感じ取って昇華していきましょう。

大地もギリギリとその軋轢を感じています。
地震は起こりやすいエネルギーになります。

人のエネルギーがそれを消化(昇華)してくれればいいですが、
反対に人間もギギギッと軋轢を増すと、
いたるところで火花が飛ぶ感覚になります。

イライラとか、ストレスとかではないです。
静電気でバチッとくるようなエネルギーです。

あちこちでバチバチッとなってると、
あまりよろしくないですね。

帯電するというか、落ち着きがなくなるというか、
亀裂が増すというか、、。

そうなるとピリピリする人が増えそうです。

落雷にも気をつけたがいいでしょう。

電子が飛び交っているようなイメージというか、雰囲気です。


地球から出る電気的なもの、磁気的なもの、
そういう類のものの量?強さ?が変わるのでしょう。

それに伴い、身体感覚の変化を感じる人もいます。

知覚の認識が変わることで、体験する世界は大きく変わります。
敏感な人は今まで感じたことのない世界を垣間見るかもしれません。

この外的事象に必要以上に振り回されなければ、
心、精神自体は穏やかに過ごせます。

どちらかといえば、今回書いたことは、
外側の事象による影響の方が大きいです。

水面は荒れているけど、水中、水底は穏やかで、
いつものように水が流れている印象です。

なので、あまり外側の影響に振り回されないように。

内側は案外落ち着いています。
そちらを認識すると良いでしょう。

「和音」2018.9.2


台風のせいか、数日前から
耳鳴りと耳の圧迫感が起こっています。
けっこう強いです。

台風後、治ったらそういうことなんだろうな。



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真実はあるか?
全知全能の神はいるか?

このような考えを持つ時、私たちは「完璧でありたい」という
自分たちが持っている欠如感を投影しています。

どこかに真実があるはずだ、と。

失敗をしない、間違わない、ミスをしないことは大事ですが、
完璧であろうとすると大変です。

いつも欠けている部分、正しくないと思える部分を見てしまいます。

ここがまだ足りない、
ここが満たされていない。


向上心を持つのは大事です。

自分の未熟さを知り、足りないところを補い、
もっと良い状態を目指す。

が、完璧主義になると、できてないところを見ては、
自分は未熟だと自己価値を下げてしまいがち。

しかしこの世の全ては移り変わっていきます。
完璧なことなどありません。

絶世の美女もそのうち年老います。
オリンピックの世界新記録もそのうち更新されます。

「完璧にしなければ」と思うと動けなくなります。

「完璧」というのは一つの固定されたカタチです。
固定化されたものを目指せば、自分の動きも固くなります。

「完璧でない自分、欠けている自分」が基準になっていれば、
当然、最高のパフォーマンスは出せません。

萎縮しています。
常に自分の至らないところ、未熟なところばかり見ています。

自分はもっとできるはずだという思いが、良き原動力になればいいですが、
そうなってない現実を否定しながらだとしんどいですよね。

その時のなりたい姿や状況は、
「ねばならない」「べきだ」になっていないでしょうか?

私はこうあるべきだ。
これを達成しなければならない。

そうなると義務感が生じ、重苦しくなります。

「本当の自分はこうなのに」
「これぐらいできているべきなのに」

と高い理想を抱きながら、そこに至らない自分を感じながら
日々過ごしてしまうと、常にギャップを感じてしまいます。

そういう場合は、いったん、今の自分や状況を
しっかりと受け入れるがいいでしょう。

理想の自分ばかりを見るのではなく、
今のまだそこに至らない自分を認める。

今の自分はこんな風だ。
やりたいと思っていることはここまでしかできてない。
まだ人生、路頭に迷っている。
全然人の役に立てずに、自分のことばかり悩んでいる。
どうしようもない自分だ。

しかしそこに批判や判断は入れないように。
これは一つの視点でしかないです。


視点を変えれば、

でもいいところもある。
今までいろんなことをしてきた。
人に感謝されたこともある。

こんなこともできた、あんなこともできた。
少しずつでも成長している。

より良くなろうと自分を試している。
あきらめてない。

すごいじゃん、自分!

という見方もできます。


理想の自分や完璧な自分と、今の自分とのギャップに苦しんでしまうのは、
現状の自分を認めてないから、受け入れてないからです。

しっかりと現状を認めた後で、それとは切り離して、
自分のゴールを見定めましょう。

そうしたら今の自分に何が必要か見えてきます。


ゲーム感覚ですよね。

今自分はこの地点にいる。
目的地に到達するには何が必要か?

どうなればいいのか?
どうすればいいのか?

そして、それに必要なアイテムや人を集めたり、冒険に出たり。

そのプロセスの中で、自分が変化していけばいいのです。

この世はゲームだと思って楽しんでいきましょう。

完璧だと思ったところにたどり着けば、それはまだ
ちっぽけなほんの一角でしかないことに気づくでしょう。

そして、もっと大きな世界が見えてきます。


大事なのは、完璧になることではなく、
成長し続けること。

自分の世界を広げ続けること。

それは完璧でないからこそできることです。
成長する余地があるということですから。


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私たちが失敗を恐れる原因は、最初は本能的なもの。

生き延びるために間違いをしでかさないよう、
失敗は記憶しておく必要がありました。

狩猟時代や戦国時代。
いつどこで死ぬかわからない時代において、
致命的な失敗は避けねばなりません。

しかし、今はそう簡単に死にません。

災害が起きたり、病気になったり、
突然、事故や事件に巻き込まれて死んでしまう可能性は、
今も相変わらずあります。

が、日常を営んでいる私たちの大半は、
そんな風に生命の危機を感じていません。

きっと今日も明日も生き延びて、
80〜90歳ぐらいまでは生きるんじゃないかな?
となんとなく思っています。

だから、自分の人生を考えるときに、あと一年とか思わずに、
数十年の月日があるものと思って人生設計をしています。

この先、まだ何十年も今の社会の中で生きていかねばならないと思うと、
また別な意味で失敗が恐れられます。


以前は、失敗は死とつながったもの。
生存を脅かすものが失敗と認識されました。

しかし今は、即、死にはつながりません。

人生を失敗するということに人は恐れを抱いています。

人生、失敗してはいけない。

いい成績をとらないと、いい大学に行けない。
いい大学に行かないと、いい会社に就職できない。
いい会社に就職できないと、いい結婚ができない。
いい結婚ができないと、幸せな人生が歩めない。

この考えに囚われている人はたくさんいます。


そのためにストレスを抱え、
人と自分を比べては自分は劣っていると感じ、
幸せになりたい、成功したいと思っています。


そもそもこの考えはどこから始まっているのでしょうか?

人生を失敗するという恐怖は、学校教育で養われたように思います。
もちろん親の恐れや不安も引き継いでもいるでしょう。

すでに敷かれたレールの上を歩かないと、人生、失敗する。

40代以上の人は、まだこの考えに囚われている人が多いです。

20代、30代になると、上の世代のしがらみから解放され、
もっと自由に生きてもいいという価値観を持っている人が増えています。


失敗は悪いもの、失敗はしてはいけない、

これ、本当でしょうか?


間違いを犯さずに生きていける人などいないでしょう。

私たちはそこから学んでいきます。

失敗はしたくないですが、必要以上に恐れてしまえば、
可能性をも封じてしまいます。


失敗は、失う、敗れる。

「失う」は、なくす、なくなる。
「敗れる」は、負ける。

私たちは何かを手放すことによって何かを得ます。
負けるとは、また勝つチャンスがあるということ。

実は、どちらも何も失っていないのでは?

自分が得たいと思っていたものを得ることができなかった
状態を指すだけではないでしょうか?

「状態」は一時的です。

そこで学んだことからその状態を
変えていくことが私たちにはできます。

すべては常に変化していきます。
失敗から芽生えた芽もまた美しい花を咲かせます。

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過去の出来事は、今とは関連性がない。
関連づけているのは自分です。

とはいうものの、

幸せな金持ちの家族に生まれる人もいれば、
貧乏で崩壊した家族に生まれる人もいます。

スタートラインが全然違うのは不公平じゃないですか?
という人もいるでしょう。


はい、確かにそうですね。不公平です。
でも幸せな育ちをした人を妬んでも始まりません。

例えば、お釈迦様は王族の出です。

出家するまでの間は何不自由なく、
贅沢な暮らしができていたそうです。

でも彼が背負ったものは、私たちが持っている悩みよりも
はるかに大きな悩みだったでしょう。

彼は、幸せな育ちをした分、もっと大きな試練が
課せられたという言い方もできます。

だから必ずしも金持ちだから、幸せな家族だから、
その後の人生が楽々〜というわけではありません。

もともと持っているものが大きい分、
もっと大きな課題が課せられるかもしれません。

その後の人生がどうなるかは、その人が
どういう選択をしてきたかによります。

それにできるだけ早く気づいて自覚して、
「自分の人生は自分で決める」と舵取りを始める人が、
より豊かな人生を歩めます。

なぜならそれまでは無防備に周りに振り回されていた
自分の人生を自分でコントロールし始めるからです。


人は両親を選んで生まれてくるといいます。

それが本当かどうか知りませんが、
もしあなたが生まれる前に今の両親を選んだとしたら、

あなたのご両親は、あなたの成長に一番
ベストな人たちであり、ベストな環境だったのでしょう。


面白いことに、苦労した人生を
歩んできた(きている)人に

もしあなたの過去をいいことづくめの幸せな人生に
置き換えられるとしたら、そうしたいですか?

ただし今までの記憶はすべてなくなり、
幸せな記憶だけになります。

と聞くと、みんな、「取り替えたくない」と言われます。


あなたも自分に質問してみてください。

そういう計画のもとに来たのだとしたら、
逃げずに向き合っているあなたは順調に進んでいます。

その課題を乗り越えていくからこそ、人生を深めていくことができます。

ホリデー気分の悩みのないお気楽人生を過ごしにきた
という人もいるでしょうし、
幸せ家族を味わいたいという人もいるでしょう。


人生の目的は人それぞれ違います。
それに合わせて、それぞれ違う環境を得ています。

人の環境をうらやむより、自分が本当に欲しているところを知り、
そのための環境を作っていきましょう。

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