いのちおり - 本来の自分に還るために

さあ、未来の自分に還る旅に出よう!
人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

”「自分に捧げる言葉」あなたへのメッセージ” 受付中。8/31までです!

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遠くに響く汽笛の音が出発の時を告げている。

銀河鉄道は遥かに向かって
シュッポシュッポと歩みを進める。

旅行に行くのにお弁当を持って行こうか?
電車の中で食べようか?

途中の駅の休憩で降りてどこかをぶらぶら歩いてみようか?

旅はいつか終わりが来そうで、
いつまでたっても終わらない。

一つの旅は次の旅への扉を開き、
まだ見ぬ異界のあでやかさは
眩しすぎて何も見えない。

本当に大切なものはなくならない。
なくならないものをなくすことはできない。

なくしたと思うのはいっときの夢。
あったと思うのもいっときの夢。

銀河鉄道は今日もまた汽笛を鳴らし、
思い出を乗せて虚空の中を進み始める。

 (Y.Iさまへのメッセージ 160415)



気がつけば、今月はブログを更新してなかったですね


悦月(えつき)があなたのお名前を見ながら、メッセージを書き下ろす
”「自分に捧げる言葉」あなたへのメッセージ” 現在受付中です。

一人一人個別のオリジナルメッセージとなります。
受付は8/31までです。


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8月は、深海魚の夢のごとく、です。

どういうことかと言いますと、
意識の深いところに眠っている深海魚のような存在がまどろむ夢。

つまり、かなり意識の深いところで起こっていることが
夢のような感覚で感じられるというユニークな時期です。


ふっふっと沸き起こる一瞬の映像や感覚。
注意を向けようとすると消えてしまう。

意識できるもの、できないものを含め、
ふと現れては消え、何度もそれが起こることにより、
情報の組み換えが起こり、新しい現実が紡ぎ出され始めます。


簡単にいえば、レールの組み換えが起こり、
いつのまにか「あら、景色が違うわね」なんてことになっています。

あっちにいくかと思ってたら、こっちに来てました、というように。

そのレールの組み替えは自然に起こるので、
気づかないにうちに新しい路線に乗っかっています。

深層意識からあぶくのようにふっと湧いてくる感じ。

情報が現れては、違うものに置き換えられたり、リンクされ直したりして、またそこに戻り、
そこで新たな現実の種が生まれ、この先のあなたの現実を変えていきます。

だから今、どうするか?といっても、自然に任せて心地よく過ごすぐらいしかできません。

できれば瞑想などして、顕在意識の思考を静めるといいでしょう。

かなり奥の古い意識の再編成となるようです。
たくさん寝て、夢を見るといいでしょう。

その時に良い夢が見られるよう、寝る前には、不安や悩み、恐れなどについて考えず、
明るい未来や楽しいことを考えながら寝付くとか、
より良き未来を得るための質問を投げかけておくといいでしょう。


今月は目の前の現実世界より、深層意識の方に舞台が移っているような感覚です。

人によっては、朝起きたら、あるいは、ぼーっとしていてふと我に返った時などに、
どこか遠くに旅に行っていたような感覚を得るかもしれません。

それでいいのです。
それについては特に何もしなくてもいいので、
思い出そうとしたり、意味を考えなくてもいいです。


ただ日々過ごすにあたって、無意識が良い方向に結び直しをしてくれるよう、
良い質問と前向きな思考が必要となります。

先のことや自分のことを悩まず、今を楽しみ、リラックスして、
楽しい幸せな未来をやんわりとイメージしているといいでしょう。


今月は、深層意識に主たるステージが移っていますので、
現実世界では動きが鈍く感じたり、あまり何も起きていない感あるかもしれません。

でも無理して動かなくてもいいです。

怠惰にサボっているのは良くないですが、
精神的に良い状態で行動(現実)が止まっている分は、
水面下で活発に動いているので問題ありません。

受身的な感覚で、気配に耳をすますと良いでしょう。

では、静かで濃い8月をお過ごしください。

「和音」2017.8.1


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亀の背に乗って竜宮城へ行った浦島太郎さん。

一体何を思ったのか?

この世があの世か、あの世がこの世か。

どちらが夢で、どちらが現実?

私たちの夢も現実もつかめるようでつかめない。

確固としてあると思っているものも

ただそうだと思っているからあるだけであって、

ないと思えばないのかもしれない。

曖昧な現実のなか、あなたはどこへ向かうのだろうか?

曖昧な現実はあなたがあると思うものだけを見せる。

それを現実と思い、私たちは体験し、生きていく。

だけど誰にもそれが本当にあるかは言えないのだ。

ただそうだと思いながら過ごしているだけ。

   (K.Iさまへのメッセージ 130708)



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アファメーションや願望達成で、なりたい状況をリアルにイメージするといいと言われますが、「そのようにしているつもりだけど、願望が実現しません」という人は結構います。

わかりやすくその方法を見せてくれていたのが、映画の「メッセージ」でした。
その話はこちらにも書きましたが、その続きです。

「現状の外にゴールを設定しなさい」と私が学んだコーチングでは言います。
その達成方法はわからなくていい。そこに向かう途中で方法は見えてくるから、と。

まさにその通りです。

やり方がわかる範囲内でゴール設定すると、そのゴール自体が小さなものになるので、
自分の可能性を広げることなく、今の自分を変えることなく、進んでいってしまいがちです。

映画では、主人公の女性は、未来を観る力を得て、未来を観て、今すべき行動をとりました。
それがすごくビジュアライゼーションの参考になります。

すでに起こっている未来。
それをさかのぼっていくと、今、自分がいるところに到達するという流れ。

「未来の現実」の中で、自分が過去に何をしたかを知り、
「現在の自分」がそのために行動します。

未来ビジョンをありありと観ることも大事ですが、
それよりもそのビジョンを信じられるか?というところがキモです。
ありありと観るから信じられるということもあるでしょうが。

一瞬、あるビジョンが自分の脳裏をよぎり、それを見たときに「これだ!」と
自分のするべきことやなるべき姿を悟った、という話を聞くことがあります。

これは一瞬、その映像を観ますが、その一瞬の映像がとても鮮明でリアル感あり、
感覚的に「そうなるのがわかった」という類のもの。
一瞬の映像でも強烈に自分に響いて「これだ!」と信じてしまう。

するとそれだけで、自分のセルフイメージが書き換わり、それに向かって行動するようになります。
なぜなら未来にそうなることを知っている(信じてしまった)から。


じゃあ、どうやってその強烈な映像を観るの?って話ですね。
待ってるだけでは来ません。

そのためには、自分がやりたいこと、欲しいこと、好きなもの、知りたいことなどに興味を持ち、いい質問を投げかけ、それに向かって行動していることが大事です。

ただし固執しないことも大事。

実際に観るビジョンがあなたが思っていることとは限りません。
「まさか!」と思うことの方が多いでしょう。
なぜなら、今の自分が思いつかないことの場合が多いからです。


「神の声」という類のものを聞いたことがある人はわかると思いますが、
(チャネリングのことではないです)

突然「・・しなさい」と啓示がきます。
今の自分には無理と思えることを命じられますが、そこには「イエス」の答えしかなく、
断ることができないというか、断る選択肢を持とうと思わない。

なぜか、やっちゃう。
大変だけど楽、という状態。NOが存在しないから迷いがない状態という楽さ。
でも実際は、相当なチャレンジ。


この映画でも、彼女が未来を見て、突飛な行動に出るわけですが、それはその未来を信じたから。
そして自分が今しなければならないことをしたわけです。


過去こうだったから、過去これがあったから、
今の私はこうだし、未来に向けて行動できない。

というのであれば、同じストラクチャーの考え方が過去に対して起こっていると考えられます。

過去こうだったから、今こうだし、未来もこうなる、という流れ。

過去に対して起こせるのなら未来に対しても起こせます。

未来こうなるから、今これするし、だから過去にあれがあった、という流れ。

意識を切り替えてみましょう。

映画ではもう一つ違う未来についても描いています。
ここではそれについては書きませんでしたが。


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映画「メッセージ」からの気づきの二つ目。
一つ目の記事はこちら→ 「象徴言語のメッセージ」

ネタバレになります。
最後の方の話です。

主人公が、自分が ”未来を観る力” を持っていることに気づきます。
今までも何度も未来ビジョンを見ていたことを知ります。

そして、ある時、未来に起こったことをありありと観ます。
自分がどんな行動をして、それがどのように未来を変えたかを知ります。

彼女は、その未来を起こすには、今、何をしなければいけないのかを知ります。

すでにそうなっている未来を観てしまったのだから、未来から得た情報を用い、
今、行動を起こして、結果的に起こるべき未来になるように変化を起こします。

これって、未来ビジョンをどう観たらいいかのすごくいい参考になるなと思いました。


もし彼女がその未来の様子を観て信じなければ、そのような行動をとっていなかったでしょう。なぜならよっぽどのことがない限りしないような突飛な行動だったからです。

でもこの時すでに彼女は、自分の未来を観る力を信じていたので
「それは未来に起こったこと」と信じました。
そしてその未来を起こすために、今しなければならない行動をとりました。

未来の現実が先にあり、それを実現するために、今しなければならない行動をとったわけです。

そしてそれをするにあたり、未来ビジョンから情報を得て(中国の将軍の電話番号と彼に伝えた言葉)、その将軍に電話をかけて伝えるべきことを伝えます。
そして世界は平和の方向に向けて変化し始めます。


未来をありありと現実のごとく観て、その未来が訪れるために、
今しなければならない行動を、今この現在に行うという流れ。

未来がそうなっているのだから、今そのようにせざるを得ないわけです。


私たちは過去から未来に向かう時間軸の中で過ごしているという幻想の中で生きています。
なので、過去に起こったことが今に影響を与え、未来もその延長線上にあると思いがちです。

反対に、未来に起こったことが今に影響を与え、過去に起こった出来事を引き起こしているという見方もできます。

過去の強い体験がトラウマになってずっと自分に影響を及ぼすなら、
未来に起こった強い体験が、今や過去の自分に影響を及ぼしていてもおかしくありません。

実際は、未来ー現在ー過去という直線状の時間軸は存在せず、同時存在であり、
時間があるということ自体、幻想です。

座標のある一点で起こったことは全方位に影響を与えます。
それは空間と時間を超えた全方位です。


この映画では、「観た未来は変えられる」という設定にはなってませんでした。

観た未来は「起こる未来」という設定で、それを知りながらどう生きるか?
というところが重視されていました。

未来は変わり得るという概念を持ち込むとますます多義的になり、わかりづらくなりますし、
この映画で、まだ私の気づいていない視点もあることでしょう。

この映画は、表義文字と同じで、かなり抽象度の高い視点があちこちに入っており、
解釈の仕方が一つではないことに気づかされます。

これはこういうことを言って、あれはこうだけど、この視点から見ると、これはこうなって、あれはこうで、と現実が固定されません。


俯瞰的視点が必要と最近よく思う私ですが、この映画はまさにそれを見せてくれます。

でも気づかないと見えない。

これって私たちが見ている現実と同じです。

ものすごく多義的に現実の一つ一つはできているのに、私たちは自分の視点でそれを固定して
一つのものに限定しがち。

「象徴言語」と私が呼ぶものは、幾重にも解釈ができます。

私は将棋はしないのですが、棋士が何手も先まで読んでしまうとか、
コンピューターが一瞬でありとあらゆる可能性を計算して答えを導き出すのと似ています。

私たちの意識はこれからその方面に鍛えられていくんでしょうね。

これから小さな子供達とか、一瞬で物事を理解する子が増えていくと思います。
大人は、一手先ぐらいしかわからなくて、あれこれと理論立ててやっと3手先ぐらいまで予測できるかもしれないけど、新人類の子供達は、一瞬で10手ぐらい悟ってしまうかもしれません。

そう、「悟る」に近い。
一瞬でわかってしまう。それも絶対なる確信のもとに。

こういうわかり方の時は理屈はいりません。
あとで理論や証明がくっついてくるかもしれないけど。

今の大人も子供の頃はそうだったかもしれないけど、その能力は抑え込まれてしまっているので、これからの子供達にはそうしたくないですね。


「未来を観て、今行動する」話からずれてしまいましたが、映画で表現されていたぐらいクリアに未来を観ることができれば、そりゃ、今行動するよね、と思います。

もう起こっちゃってる未来の現実があるなら、今から辻褄を合わせていってその未来を実現しなきゃ、と逆方向になります。

コーチングで、現状の外のゴールを設定して、ゴールが達成された状況をありありと観るというのは、このような作用が起こすためです。

「あ、自分はこうなるんだ」というふと観てしまう未来ビジョンなどはまさにこれと同じ設定ですので、実現しやすくなります。


主人公が見た他の未来、子供の病気と離婚という未来、こちらはもっと情動が関わっていきますが、彼女はそれを知りながら、それを受け入れます。

変えられる現実もあれば、変えられない現実もあり、その中でどう生きていくのか?というところも示唆されています。

この映画は伏線が多くて、象徴言語のようにいろんな視点やアイデアが潜んでいます。

なぜ、中国の将軍の関わる未来は変えられたのに、自分の家族の未来は変えられなかったのか?

もう一度この映画を見たら、また違う視点が見えてきそうですが、今回はこのへんで。



東京セミナーのお知らせです。

「広がる自我の結び直しのと多次元宇宙」

7月9日(日)14:00~16:30
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7月はざっくばらんとしたとりとめのない月です。
いろんなものがバラバラに解体され、再編成されるような感覚の月となります。

当然ながら7/1から7/31までと区切られるものではないですが、
ここ数年でいろんな価値観が変わっていくなかで、またまたそれを後押しするように、
バラバラと思い込みが崩壊していきます。

今回は、それが怖いと恐怖を感じるというより、
もう好きにしてくださいと放置感漂う感じです。

あんまり真面目に向き合いたくない感じ、
どうせ変わっていくんだから崩れるにまかすわ、とあまり一生懸命になりません。

砂浜で砂のお城を作っても、大きな波が来たらさらわれて崩れてしまいます。

崩れゆく砂の城を保とうとすること自体、無駄な努力だとわかるので、
崩されるままにしてしまいます。

所詮、私たちが積み上げて来たものは砂の城のような儚いものだったんだな
と長いものに巻かれる気分となります。

でもこれは無力感というよりは、無駄な努力はやめようという気づき、
所詮、自分のエゴの力で頑張っても限界がある、そこにこだわるのではなく、
波にさらわれても砂浜はずっとそこに残り、大海とつながっていくように、
私たちの中に潜むもっと大きなものに気づくべき時が近づいているということです。

あれもこれも自分でがんばろうとしていたけど、それを止める方が物事がうまくいくし、
いろんなことがバランス取れていくことがわかってきます。

人間のエゴの力なんて、自然の力に比べたら、非力、小さなもの。

そこでがんばるよりももう一度、自分たちも自然であることに立ち戻り、
内なる自然の力と共に生きていくにはどうしたらいいか?と考える良い月となりそうです。

あなたの中に眠る自然力を目覚めさすにはどうしたらいいか?探ってみましょう。

「和音」 2017.7.2



7月は大雨になりやすい時期です。
案にそういうことも含まれてるのかなあ?と思うメッセージです。

行間を読むと、太古の力、竜の力が元気になってくるのかな?と思います。
理性で抑えられた力を解放していく時期に入ってきたのでしょうね。

今月はそれが起こる前の無力感、嵐の前の静けさというところでしょうか。

これから長い時をかけて、人間に本来備わっている太古の力が
活性化していくプロセスが始まるのでしょう。



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今日は再びスズメの話です。

前の記事でもスズメの話を書きました。→ 蜘蛛とヤモリとスズメと猫と

この時は、スズメに「うちの猫の相手せんでもいいから。もし逃げたかったら逃げてもいいよ。」と言ったら、スズメが逃げたという話でした。

通常、逃げないので、不思議に思ったのですが。

自然界では、生死において、人間とは全く違う認識と感覚があるんだろうなーと、
猫が獲物を捕まえてくるたびに思います。

捕まった獲物は、なぜか本気で逃げない。

先日の「たくみの会」で、”人が消える”、”固まってしまう” という状況を目の当たりにして、
猫も同じことをしているのかもしれないと思いました。

つまり自然界の生死のあり方や循環がうんたらかんたらではなく、
ただ単に獲物が逃げなくなるような作用を猫が起こしているのではないか?ということ。

この懸念は以前からあったけど、この時はそうだと思った。


が、今回のスズメ事件はそれをまた覆してしまいました。

ことの起こりは、猫がまたスズメを捕まえてきたことに始まります。

最初は、私はそのまま放置してました。
適度に猫がスズメと遊んでいます。
ちょこっと血が落ちていたので、少し怪我もしているらしい。
スズメはバタバタはするけど、やはりそんなに逃げません。

私は、もう一回してみようと思って、
「もし逃げたかったら逃げてもいいよ。うちの猫の相手せんでもいいから。」と言いました。

そしたら、スズメはすぐにバタバタと飛んで、タンスの後ろに隠れてしまいました。
その後、猫はスズメを取り出そうと手を突っ込んで頑張るのですが、出すことはできず。

あとでまたちょっと捕まりますが、すぐに違う隙間に入ってしまい、
そのうち猫はあきらめて外に出ていってしまいました。

猫があきらめて出ていったので、チャンスと思って、スズメを捕まえて逃がそうとしたら、
バタバタと飛び立ちました。

猫に捕まると高いところには飛ばないのに、私が捕まえようとしたら、
天井の方をあちらこちらと飛んでなかなか捕まえられません。

ならば、と窓を開けたらそのうちそこから飛び立って行きました。

無事元気なままで逃げてくれてよかったです。

が、またまたどういうこと?と思ってしまいました。

猫が戯れる時は、ほとんどのスズメが高く飛びません。
飛べるのに飛ばない。本気で逃げているようには思えません。

が、私が捕まえようとしたら高いところばかり飛んで捕まえられない。

スズメは猫に捕まえられることを良しとしているのか?という私の疑問は再び浮上。

真相は未だわかりません。

自然界のこの関係性がわかったら、人間の価値観にも大きな変化がもたらされるのではないか?と思います。

弱肉強食の世界というのは、一つの人間の価値観を投影したものだと思います。
自然界にはそれとは違うルールがあるようです。

自然には学ぶことがたくさんありますね。


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今日は夏至ですね。

この話は「象徴言語」とつながっていきます。
そのうちすべてにおいてそういう感覚になっていくんでしょうね。

今回の夏至はけっこうな分岐点。

昨年冬至から今回の夏至まで、固体化した「自我」が揺さぶられ、
ヒビ入れがなされていた時期でした。

「個の塊」だったエゴが解体し始めて、

例えば、古い価値観が抜け落ちたり、長い夢から覚めた感あったり、
「私ってこんな人」という思いなどが、崩れ出して、あわわ、、となったり。

これからますます「個」の概念が変わっていきます。
今まで「自分」が ”個体” だと思っていたのが勘違いで、
多重構造だということにだんだんと気づいていく段階に入りました。

例えていえば、複数の円があって、それらが交わると重なりあった共通部分ができます。

今までは”共通部分”が自分だと思っていたわけですが、
それらの全部の円が自分だと気づくようになっていくってこと。
イスラム文様の円が重なり合ったようなかたち。
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フラワー・オブ・ライフ、、、と今、気がつきました。
だからそうなのか、、。

言葉で説明するより、図形の方が説明してくれる。
←こういう時代になっていきます。

意識が進化していて、また次の段階に入るのがこれから。
簡単に言えば、多重人格(多層人格)。

「私」なんてもともといなかった。

たくさんの微生物が集まって一つの体を構成しているように、
バラバラなんだけど、個体、自分だと思っていた

ということがだんだんわかってくるようになります。

物理空間から情報空間に意識のレベルが移行し始めているので、
そのうち、物事のベースが物体でなくなっていきます。
ゆくゆくは、物体基準で「個」をカウントせず、「情報」でカウントされるようになります。

新しいゲシュタルト(まとまり)ができるには、
いったん古いゲシュタルトは解体されないといけない。

バラバラになり、再編成。

芋虫が蛹になってる時って中でドロドロになっているらしいけど、おんなじですね。
再編成されてできあがったのが、多重多層構造の私たち。


既にその予兆が始まり出してます。

今、コミュニティ化が進んでいるのも特定の情報によって結びついたコミュニティ
という集合体に意識が向かっているから。

今までは自己実現が大切なように思われてきたけど、
これからは自分のための自己実現というより、
他のために役立つことが自己実現と言われるようになっていくでしょう。

自己実現も突き詰めれば、以前からそういうものですけど。
今までは、自分の成功やゴール達成みたいな感じになってたと思います。

とまあ、これから面白くなっていきそうですね。

私たちの意識がどんどんと変化しています。


東京セミナーではこの話をします。ご興味のある方はぜひどうぞ!

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場所:東京都中央区内
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7月23日からコーチング料金が値上がりします。
セミナー後、コーチングコースにご興味のある方には相談の時間をとります。
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・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

京都でのセミナーは7月23日(日)です。
内容は東京とは変わる可能性があります。

時間:13:30〜16:00
場所:京都テルサ
http://www.kyoto-terrsa.or.jp

料金:8000円

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こちらも東京と同じく、コーチングを受けることに興味ある方には終了後、
相談時間をとります。メッセージ欄に「コーチング相談希望」とお書きください。


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ま今公開の映画「メッセージ」を見ました。
着眼点がすごくいいなと思いました。

面白かったのが、宇宙人は何もしていないのに、人間が勝手に解釈して
反応していく様がすごくエゴのあり方に似ているなーと思ったこと。

その辺りはうまく表現されていたなと思います。

二つ、見てよかった点があります。
以下、ネタバレあります。


一つは、宇宙人の使っていた言語というか、文字。

これは私が「象徴言語」というものと同じだと思いました。仲間がいてうれしい

つまり、情報を読み取る力。

アルファベットやひらがななどのように形が決まっていない文字なのですが、
墨で書かれた丸の形のハネや向きなどの微妙な違いに意味が含まれ、読み取ります。

私が何かのメッセージを受け取る時もシンボルや何かの形である場合が多いです。

そこに含まれる情報はたくさんあり、直感的に瞬時に「あ、そう」と理解できますが、
左脳的言語解釈になると、たくさんの説明が必要となり、なかなか伝えづらい。
自分に言語障害があるのではないかと思うほど。

言葉は、どういう状況でどんな風にそれが発せられるかによって意味が違います。

「すき」と言っても、恋愛の好きなのか、お愛想の好きなのか、友達としての好きなのか、
油断して隙があるの隙なのか、ただ音として「す」と「き」をつなげて言っただけなのか、
いろんな意味に取れます。

また「好き」と言っても、なぜ好きなのか、その理由や、相手に対する思いや自分への思い、お互いの間で起こっている微妙な感情など、その「好き」という言葉の中にいろんな思いや記憶が含まれています。

もっと言えば、人類が始まってその言葉が生まれて今に至るまでに、その言葉の集合的な情報場があります。
その言葉からどこまでを読み取るのかによって、その含蓄は全然変わります。

通常私たちは、その時のその場のコンテクストによってその意味を読み取ります。


言葉は進歩なのか、退化なのか?

微妙なところです。

言葉があることによっていろんな伝達が具体的にできるようになりましたし、文字が生まれたことで記録ができるようになりました。

でも昔は、情報空間にある情報を読み取る力が長けていたと思うので、一つを聞いて十を知るようなことがよくあったと思います。

例えば、天候についてよく知っている人は、空を見たり、風や湿気を感じるだけで、いろんな情報を読み取り、天気予報を見なくても「明後日雨だね」とわかったりします。

天候の知識をよく知っているからという場合は、象徴言語ではなくて知識です。

象徴言語は「ニュアンスを読み取る」に近い。行間を読む感じ。
そこに含まれる情報を、目に見えているものや今までの知識による理解ではなく、
ざっくり違うゲシュタルトを構成してしまうような。


私がいう「象徴言語」はそういうもので、実は日常に溢れています。

夢も一つの象徴言語です。

夢辞典を引くよりも抽象度高くその夢を省みることができたら、
そこに込められたたくさんの情報を読み取ることができるでしょう。

日常で起こっている全ても象徴言語ですが、それを読み取る(繋げる)のは意識です。

数式もその一つですね。

数学者や物理学者が描く数式は私にはチンプンカンプンですが、
彼らにとっては数式一つが宇宙の法則をあらわしていたりします。

数えられるほどの文字数の数式ですが、そこに含まれる情報は膨大です。

そういうものを私は「象徴言語」と呼ぶのですが、「右脳言語」と呼んでもいいでしょう。


映画では、宇宙人がそういう類の言語を使っていたのですが、
もともと日本語はそういうものだったようですね。

「あ」の音には、宇宙の始まりから始まる「あ」の意味があり、
「お」には「お」の意味があり、全ての音にはそれぞれの宇宙があります。

私たちはその音を忘れてしまいましたが、人間がもっと進化すれば、
また森羅万象が話す声が聞こえてくるでしょう。

結局のところ、情報を読み取る力です。

六芒星のシンボルを見て、三角が二つ合わさっているとだけ見るのか、
この形にまつわるいろいろなエネルギーまで読み取るのか?

1本の鉛筆を見て、その鉛筆の元となった木やその木のあった場所まで情報収集できるのか?


「バタフライ効果」という言葉があります。

アマゾンの蝶の羽ばたきがハリケーンを生んでしまうというように、小さな些細なことが起こったことがいろんな要因と繋がり、大きな変化を生み出すことを言います。

今日、私が蹴った石ころが十年後に地震を起こしたなんて関連付けはしようがありません。

けど、そのような事象のつながりを一瞬にして理解して、物事を見ることができるのが象徴言語です。

そしてこれからはそのような理解をする人が少しずつ増えていくでしょう。

これに長けた人たちが集まると、理解するのにほとんど言葉が入らなくなります。
テレパシーと呼ぶ人もいるでしょう。

でも超能力ではなく、超言語です。

アーティストはけっこう使えるのではないでしょうか?
あと、共感覚者も。


ということで、もう一つの気づきは次回へ、、。


これを書きながら気づいたことが一つ。
昨夜、夏至における変化で気づいたことがあったのですが、それにつながっていきますねー。
象徴言語のあり方と新しい自我形態と。


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さて、蜘蛛ヤモリと続き、スズメの話。

これは蘇生やヒーリングの話ではありません。
自然界はどうなっとんじゃー?という話です。

うちの猫は時々、スズメを捕まえてきます。
最初のスズメ事件は、なかなかショッキングで、ブログにも書きました。
→ こちらの記事

今までに食べられたスズメの数はもう二桁になると思います。

野良お母さんに自立の術を教えてもらっている時に、スズメの捕り方を学んだのでしょう。
猫は子供の頃に食べたものを食べ物として認識するらしいです。
スズメ、食べてたんだろなー。

それはともかく、猫が獲物を捕まえてくる時、通常、私は放置します。
心痛いですが、いらぬ手出しをしないほうがいいかなと思います。

前回の記事で書いたように、捕まえられた獲物のほとんどは必死で逃げません。

猫が飽きてしまっても、まだ元気な時は外に逃がしますが、
なぜかまた猫に捕まって戻ってくることがよくあります。

一度捕まったら、あきらめに入るのか、身を捧ぐのか、蛇に睨まれた蛙のようなものなのか。
やられに戻ってきたとしか思えないような時もあり、不思議です。

今まで捕まえてきた獲物で、最後まで必死に逃げようとしたものは、ほんと数少ないです。


さて、今回のスズメ事件。

先日、家の本棚の奥に、小ネズミの寝床を発見し、時々小ネズミが姿を現してました。
その頃、猫が獲物を捕まえてきたので、ついに小ネズミ、ジェリーちゃんが捕まったか!?
と思ったのですが、それはスズメでした。

かわいそうに、と思いましたが、いつものようにタッチせず。
ただスズメに言ったんですね。

「うちの猫の相手せんでもいいから。もし逃げたかったら逃げてもいいよ。」と。

今まで言ったことはないですけど、なぜかこの時は言いました。

猫はやんわりとスズメにじゃれていましたが、
そのうち、スズメが飛んでカーテンの後ろに逃げ隠れました。
取ろうとするのですが、手が届かず、そのうち猫はあきらめて離れていきました。

こういうことはあまりないんですが、私は逃すチャンスだと思い、
スズメを捕まえて外に出すと、空に飛んで行きました。

そこで不思議に思ったんですね。
今日「逃げてもいい」とスズメに伝えたら、本当に逃げた、、、。

たまたまだったかもしれないけど、今までの猫と獲物の関わりを見ていると、
殺されに戻ってきているように見える獲物が多かったのに、
「逃げてもいい」と言ったらすんなり逃げた。

どういうこと?

理性が追いつかず、何かリンクすべきものがしていない気分でしたが、
スズメが元気なまま飛んでいってよかったなーと思いました。


そして、翌朝。
猫がバタバタしているので、小ネズミを見つけたか、、と思って寝てましたが、
そのうちバリバリと食べている様子。

ついに、、と思いましたが、そのまま寝入ってしまい、起きてから見てみたら、、、、。

羽が散らばってました。。。

そう、猫が捕まえたのは小ネズミではなく、スズメでした。
前の日に逃がしたスズメかどうかはわかりませんが、
スズメを逃がした日の翌日朝、猫はご馳走にありつけたわけです。

「だからなんなのよ?」と聞かれても、「だからなんなの?」といいたいのは私。

たまにしかスズメを捕まえてこないのに、逃がした翌日に捕まえているという偶然が
なにやら語っているような気がしてならないのです。

それが何かはわからないですけど、、、。

蜘蛛は生き返り、ヤモリは生き返ったのと、死んだのと、
スズメは生き返るもなにももう猫の胃の中。

逃がしたけど捕まった。違うスズメかもしれませんが。
やっぱり捕らわれることになっていたのか?


多分、私が考えているいのちだとか、全体性だとか、個であること、自然界、自然の摂理、集合体、ネットワーク、縁起、繋がり、などなどのヒントを見せてくれてるんだと思うけど、まだこの事象からは答えが見つかっていません。

夢と同じで、これらのことは「象徴言語」なので、
時間を含めた立体的象形文字みたいなもんだと思います。

それはどういうことかというと、、、続く。

(注:写真はうちのネコちゃんではありません)


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