いのちおり - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

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私は子供の頃、特別でもなんでもなかった。
きっとどこにでもいる子供だっただろう。

昔の話を親に聞いてみたこともあるけど、
「もう忘れた」と言われてしまい、
ほとんど聞き出せなかった。

幼い頃から好奇心は強かったようで、
タンスの引き出しを全部開けてかかったそうな。

それぐらいしか教えてもらえなかった。

でもって、私の記憶力が非常に悪い。

私は両親が大阪に数年間いた時に生まれた。
そして4歳の時に地元の島根県に戻った。

島根に戻ってから小学校に入るまで
の記憶はほとんどない。

けれども4歳までの大阪にいた
頃の記憶はわりとある。

隣のお菓子屋、近所の散髪屋、
家の前ではよく鳴くスピッツがいて、
近くには川があった。
まだまだ覚えている。

が、島根に戻ってからの記憶がない。

新しい家になったから、
何か覚えていそうなのだが、
幼稚園での記憶などほぼない。

小学校からの記憶はある。

霊的に優れていたとかは全然なかった。

見えないものが見えたとか、
声が聞こえたとか、誰かと話をしていたとか、
そんな記憶もない。

どこかちょっと普通の子と違ったところは
あったらしい。

暗闇を見つめてたか、好きだったか、
なんかそんな感じ。

特別な能力はなかったようだけど、
いろんなことは感じてたんじゃないかと思う。

感性、感応力が高いという意味で。多分であるが。
しかし早々とそれを封じてしまったんだと思う。

鏡文字はよく書いていたそう。
もともと左利きだしね。

育ちが出雲なので、出雲神話のヤマタノオロチや
因幡の白うさぎの話、小泉八雲の怪談はよく読んだ。

もっと大きくなってからは、
雨月物語や御伽草子なども好んで読んでいた。

特に怪談や雨月物語は何度となく読んでいた。
自分自身の中にそういうものに響く感性があったのだろう。

大好きだったのが「みどりのゆび」という小説と、
佐藤さとるのコロボックルの話。

大きくなってからもう一度読みたいと思って、
調べた時は、「みどりのゆび」がコロボックルの話だと
思ってたけど、全然違う小説だった。

「みどりのゆび」は読み返してみたけど、
内容はほとんど覚えてなかったが、イラストは覚えてた。

ストーリーを読むと
なぜ好きだったのかがよくわかる。

何度も読み返して影響を受けたのか、
もともとそういうのが好きだったから
今も共感するのかわからないが、

昔好きで何度も読んだ本などは、
かなり潜在意識に入っている。

自分に幽霊とか見えたわけではないけど、
読んでいる本が異界に関するものが多い。

子供の頃から、人間の世界でない世界で
生きている存在に関心があった様子。

世界の七不思議や超能力、UFOとか
すごく興味があった。

中学の頃にめちゃくちゃハマった
「はみだしっ子」というマンガがある。

「はみだしっ子」は普通の社会から
はみ出た家出の子供たちのストーリー。

20歳過ぎてからだけど、
似たような生き方をしてた、無意識に。

自分の人生を振り返ってみると
ずっとエッジにいた。

だから自分を「エッジの人」と
呼ぶわけなんだけど。

まあ、言ってみれば、
はみだしっ子ってわけさ。

昔も今も。

異界とこちらの世界のはざま。

結局、そこか、と思ってしまう。

Part 2 へ続く。





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迷いの窓と悟りの窓。

迷いの窓は四角い窓。
悟りの窓はまるい窓。

あなたはそこから何を受け取るでしょうか?


迷いの窓と悟りの窓は、
京都鷹峰の源光庵と東山の雲龍院にあるようです。

台風21号の前日、源光庵に行ってきました。

お堂にある迷いの窓と悟りの窓。
そこのお堂は血天井です。
この3つが合わさると奥深いものが見えてきます。

現場で見ているといろんなことを感じます。
とてもよくできたアート作品と言えます。

私が今回ここで一番思ったのは、

決めているかいないか。
覚悟があるかどうか。

ということでした。

何よりもこのお寺の血天井が効いています。
この窓二つだと、頭の中でふんふんと分かったつもりになれます。
迷いとはこういうこと、悟りとはこういうことなのか、と。

しかし血天井があると、殺戮があったことを思います。
今もある殺人や戦争や、人間の血塗られた歴史なども。
人を殺し、殺されて...。
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自分一人が悟ったところで、
他の人の苦しみが減るわけではありません。

本当の悟りとは何か?

宮沢賢治のことば。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは
 個人の幸福はあり得ない」

では、自分はどうするのか?
どう生きるのか?どうあるのか?

正しい答えなんてないです。
それは自分で決めること。

「迷い」「悟り」とあると、
「迷いは悪くって、悟りは良い」と思ってしまいがち。

しかし源光庵に表されていたものは
そんな単純なものではなく、

個人と全体の幸福の狭間で迷い続け、悩み続け、
悟り続けることが諭されているように思います。

なんてことを思いながら帰宅して、
血天井のことを知らなかったので、インターネットで調べて見ました。

一般的にはこう言われています。

伏見城で石田三成との戦に負けた鳥居元忠ら380名以上が自刃したが、
関ヶ原の戦いが終わるまでの2ヶ月間、そのまま放置され、
血痕跡が拭っても消えず、供養のためにお寺の天井に設置されたのが
血天井であると。

その後、「あれは血ではなく、油だ」という記事を見つけました。
その頃のPRとして京都市内のお寺の天井に使ったという話も。

現代なら、血糊のついた縁側板を天井にするか?
とかなり非難轟々になりそうです><

真面目に「個人の幸福とは?世界全体の幸福とは?」と考えていても、
その元ネタが嘘かもしれないという...笑。

ここにまた現実の面白さを感じてしまいました。
現実は曖昧です。すべて幻想だと言っていいです。
どこに重きをおくかも自分次第ですね。


源光庵の悟りの窓は、
個人の幸福=世界全体の幸福となって、
全てを背負う決断と覚悟を表しているように思いました。

迷いは現状維持で、それなりに楽。
悟りはすべてを背負う強さがあります。

決められないのが迷い。
すべての責任を背負るのが悟り。

悟りはゴールではなく、スタート。

そんな風に感じました。


その後、近くの光悦寺のお庭を見ました。
これがまた面白かったです。

手入れがされているようなされていないようなお庭なんですね。
半自然な感じがうまく調和してました。

徳川家康が、江戸時代の文化人、本阿弥光悦に与えた土地で、
その後工芸の職人などが来て芸術村のようになったそうです。

源光庵では、どう生きるか、どうあるかが問われ、
光悦寺ではそこを達観して、あるがままを生きる感じ。

「まあ、ええがな、お茶でも飲みはれ」と
お茶を勧めてくれそうな。

外では厳しい現実がありながらも、
自然を眺めながら静かにお茶を飲んで、心を鎮める。

主張してないけど、ちゃんと我が道を歩んでいる、みたいな。

ここにはまた源光庵で見たものとは
違うかたちの生き方が記されていました。

私としては最終形はこんな感じなのかなと思いますが、
源光庵の血天井的なものを経験してくるのと、
知らずしてくるのとでは
感じるものの深さが全然違うでしょうね。


次にその向かいにある圓成寺に行ってきました。
ここは「岩戸妙見宮(岩戸妙見)」「鷹ヶ峰の妙見さん」と呼ばれます。

ここは人間には抑えきれない自然の威力に溢れていました。
荒々しい自然のエネルギーです。

日本は自然が豊富ですが、自然災害も豊富です。

日本の神様が荒御魂、和御魂とあるのは、
どちらが良しとも悪しともせず、
どちらも受け入れていたことの表れなのでしょうか?

自然界は、生と死が混ざり合っていて容赦ないです。
そこに私たちがまだ理解できていない何かがあるように思います。


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「気象病」あるいは「天気痛」という名前ができたようです。
 
何年か前から体調が外界の事象と
関係しているように感じ始めました。

肩から首、頭にかけての痛み、
全身のガチガチ感が主たるものでしたが、
最初は運動不足とか、血流が悪いのか
と思ってましたが、どうも違うらしい?

自分の感情が関係しているのかと思ってみたり。
憑霊される?感もわかるようになってきたり。

それより以前には、自分が無意識に
周りの人のエネルギーを取り込んで
自分のものと勘違いしていることに気づきました。

なるほど、これがかなりのストレスを
生み出してたなとわかりました。

自分のものでない、人のネガティブな思いを
自分ごととして感じていたのですから。

もっといいものを吸収すればいいのですが、
その頃の私はネガティブな思いが強かったですから、
悪い方向にミラーニューロンが働いていたのでしょう。

自分のと人のですから、ダブルプレッシャーです><

周りからの自分の心への影響に気づくようになってからは、
自分が生み出したものと、人のエネルギーと
ある程度、区別できるようになりました。

そして次は身体。

自分の体調を観察していて、
だんだんとつかめるようになりました。

自分自身の身体内部から引き起こされる
下痢や発熱、アレルギー、何らかの病気と、
外界からの影響を受けている時とは明らかに違います。

今回の台風で確信しました。

先月29日夜からうっすらと耳鳴りが始まりました。

キーンではなく、大音響のコンサートの後に
耳が聞こえにくくなるような、
ホワイトノイズがずっと鳴っているような耳鳴り。

翌日からはもっと強くなり、
日を増すごとに圧迫感も加わって、
時にはクラクラするほど。

最初はついに脳に異常をきたしたかと
真剣に病院に行くことを考えました。
でも週末だったので行けなかったですが。

そのあと気づきました。
これ、台風のせいかも?と。
  
その後、気象病という言葉があることも知り、
ほぼ確信に至りました。

「気象病」という言葉は新しい言葉みたいですね。

台風前日夜にはいつもの首肩あたりや
全身のガチガチ感もやってきました。

今までは気圧だけでなく、地磁気や太陽風の影響、
宇宙から届く電磁波や地球上の電磁波とか、
その他空中にある化学物質など、

何があるかわかりませんが、
そういうのが関係していると思ってました。

ケムトレイルやHAARPのせいではないかという話もあります。
これも十分あり得ると思います。
また、それらの、人間の集合無意識への影響もあるかと思います。


今回は台風だったので、気圧が主だったと思います。

台風後に耳鳴りが治れば、
台風のせいだったということになりますが、
案の定、台風翌日、耳鳴りは治りました。

今まで台風で耳鳴りになったことはなかったので、
かなり気圧に変化が出てたのでしょう。

台風が来る5日前からずっと続いていましたから、相当なものです。

今回は台風前日から上半身のガチガチ感もありました。
今までこれが気圧と関係しているとは
思ってませんでしたが、関係していたようです。

大地震の前に体調が悪くなる人も少なくありません。

医者行かずの私が医者に行ったがいいかも?
と思う時は、ほぼこの外界の何らかの変化の影響です。

最初は体調が変なので、病気だろうか?と思うんですが、
途中で、この痛み方や変な具合は
外界のエネルギーのせいだと気づきます。

これは感じる人と感じない人がいるようです。
女性の方が多いらしいです。

地球や自然との繋がりは男性より女性の方が強いですし、
皮膚感覚を通して感じる力も女性が敏感なので、納得です。


この気象病、天気痛は、
愛知医科大学病院、佐藤純先生が名をつけられ、
彼が日本で唯一の天気痛外来医師なのだそうです。

気象の影響を受けるものを総称して「気象病」と呼び、
天気が悪くなると痛みが悪化する症状を「天気痛」と呼びます。

天気痛とは、気圧の変化が体調に
悪影響を与えることによって起こるそうです。

天気痛の症状には、頭痛だけでなく、
めまい、耳鳴り、倦怠感、うつ等もあり、
症状やその重さも人によって様々です。

私は気圧や温度だけだとは思ってなくて、
先ほど書いたように、宇宙や地上からくる磁気や
その他、色々なものが原因していると感じています。



すごく眠たくなる時期がありますが、
これも何らかの影響でしょう。

体調不調は私たちが思っている以上に、
外界の影響を受けているんだと思います。

それは体調だけでなく、気分、精神も含みます。

鬱になる人も実は最初は鬱ではなく、
こういうものの影響を受けていることもあるでしょう。

続くときは1ヶ月以上も続く不調ですから、
気が弱っている人は、そこでお医者に
「鬱の傾向がありますね」と言われた途端に
鬱にまっしぐらに向かうのではないでしょうか?

時期的に自分を責めるような時期があったりして、
ふとこれは自分の内面ではなく、
外界からの影響だと気づくことも増えてきました。

そういう気分になりやすい気圧なのか、
電気的な何かか、なんなのか。


何が言いたいかというと、体調が不調だとか、
気分が落ち込みがちだとか、なんか優れない、
やる気がしない、眠いというのは、

あなたが原因なのではなく、外界の影響を
受けているだけかもしれないということです。

それに気づけないうちは自分ごとと考えます。

「なんで自分はやる気がしないんだ?」
「身体のどこかがおかしいのでは?」と悩みますが、

実は「気圧のせいだよ」「地磁気の変化だよ」
なんて話かもしれないのです。

これに気づかないと、どんどんと
自分を追い込んでしまいがち。

外界が原因だとしても、マイナスに
捉えがちな自分がいたとしたら、
それは自分の心が弱いせいです。

外界の影響を受けやすい人は大変ですが、
それに打ち勝つ心を鍛えないと自分が損します。

もしあなたに心当たりがあるなら、
自分の内側からの症状か、外界の影響か
を見極める訓練をしたがいいです。

どうやって訓練していくか?

まずは具合の悪い時に、気弱にならない、
ネガティブにならないようにする。

そして、外界の影響ではないか?と疑ってみる。

なんどもやっていると、
同じ痛み方や不調の時にはそれではないか?
と気づけるようになります。

人のネガティブ感情を自分ごとと受け取ってしまいがちな人は、
これに気づくのはもうちょっと高度な関わりが必要となります。

まず自分自身をブレないように整えていくことが大事。

それについてはまたの機会に書きます。


天気痛、気象病について書いてあることを読むと、
私のケースとは若干違います。

天気痛、気象病は、気圧によって
起こる症状だけを扱っているのかもしれません。


私は今では、自分が体調不調になる時の50%ぐらいは、
気象なのかなんなのか、外界の影響を受けていると感じています。

今回の台風による耳鳴りや圧迫感は、
こんなに影響を受けるんだなと感じさせてくれました。

耳は治りましたが、昨日はまだ身体のガチガチ感は残っていました。
と思ったら、北海道での地震です。

今は身体のガチガチ感は取れています。

台風や地震の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
1日も早い復旧をお祈りいたします。


ちなみに、私の耳鳴りが始まった頃から猫の行動が妙でした。
私でも相当気圧変化を感じていたので、
猫もかなり異常を感じていたのかもしれません。


面白かったのは、今までに経験したことのない耳鳴りと圧を感じることで、
今まで感じたことない空間(感覚)を知ったことです。

ちょっと知覚の認識が変わるだけで、
世界はガラリと変わるんだなと思いました。

今見ている世界は、生まれてからこのかた
身につけてきた感覚を通して見ている世界です。

それが変わると一瞬にして
まったく違う世界が現れると再認識しました。

耳と頭周辺にすごく圧がかかっていた時に感じたことは、
自分の知覚の信念(自分が知覚していると信じ込んでいるもの)
が外れたら、一瞬にして今の世界や自分は崩れるなということでした。

自我は、自分の気持ちや思考、信念、記憶などよりも、
知覚認識で構成されていると実感しました。

今まで以上に、体調と心と外界の影響との観察を
続けていきたいと思いました。



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9月は諸々のことが入り混じる月です。雑多な感じがします。

ごちゃごちゃしているというか、落ち着きがないというよりは、
いろんなものがぶつかり合って火花が飛び散っているような感覚です。

その軋轢があちこちで出てきそうです。

人同士の小競り合いとかもそうですし、
天災、人災、共に気をつけた方が良さそうです。

台風、地震、噴火、地滑り、水害、竜巻などによる被害、
食物への影響、人が引き起こす大きな事件。

異常気象が相次いでいますが、9月も例外ないです。
が、猛暑は落ち着いてきますので、過ごしやすくなります。

チリチリと火花が散るような感覚はあちこちであります。
小規模な衝突がたくさんあれば、大きな衝突は免れます。

大難を小難にしたければ、自分の中の様々な
小規模な衝突、火花を感じ取って昇華していきましょう。

大地もギリギリとその軋轢を感じています。
地震は起こりやすいエネルギーになります。

人のエネルギーがそれを消化(昇華)してくれればいいですが、
反対に人間もギギギッと軋轢を増すと、
いたるところで火花が飛ぶ感覚になります。

イライラとか、ストレスとかではないです。
静電気でバチッとくるようなエネルギーです。

あちこちでバチバチッとなってると、
あまりよろしくないですね。

帯電するというか、落ち着きがなくなるというか、
亀裂が増すというか、、。

そうなるとピリピリする人が増えそうです。

落雷にも気をつけたがいいでしょう。

電子が飛び交っているようなイメージというか、雰囲気です。


地球から出る電気的なもの、磁気的なもの、
そういう類のものの量?強さ?が変わるのでしょう。

それに伴い、身体感覚の変化を感じる人もいます。

知覚の認識が変わることで、体験する世界は大きく変わります。
敏感な人は今まで感じたことのない世界を垣間見るかもしれません。

この外的事象に必要以上に振り回されなければ、
心、精神自体は穏やかに過ごせます。

どちらかといえば、今回書いたことは、
外側の事象による影響の方が大きいです。

水面は荒れているけど、水中、水底は穏やかで、
いつものように水が流れている印象です。

なので、あまり外側の影響に振り回されないように。

内側は案外落ち着いています。
そちらを認識すると良いでしょう。

「和音」2018.9.2


台風のせいか、数日前から
耳鳴りと耳の圧迫感が起こっています。
けっこう強いです。

台風後、治ったらそういうことなんだろうな。



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真実はあるか?
全知全能の神はいるか?

このような考えを持つ時、私たちは「完璧でありたい」という
自分たちが持っている欠如感を投影しています。

どこかに真実があるはずだ、と。

失敗をしない、間違わない、ミスをしないことは大事ですが、
完璧であろうとすると大変です。

いつも欠けている部分、正しくないと思える部分を見てしまいます。

ここがまだ足りない、
ここが満たされていない。


向上心を持つのは大事です。

自分の未熟さを知り、足りないところを補い、
もっと良い状態を目指す。

が、完璧主義になると、できてないところを見ては、
自分は未熟だと自己価値を下げてしまいがち。

しかしこの世の全ては移り変わっていきます。
完璧なことなどありません。

絶世の美女もそのうち年老います。
オリンピックの世界新記録もそのうち更新されます。

「完璧にしなければ」と思うと動けなくなります。

「完璧」というのは一つの固定されたカタチです。
固定化されたものを目指せば、自分の動きも固くなります。

「完璧でない自分、欠けている自分」が基準になっていれば、
当然、最高のパフォーマンスは出せません。

萎縮しています。
常に自分の至らないところ、未熟なところばかり見ています。

自分はもっとできるはずだという思いが、良き原動力になればいいですが、
そうなってない現実を否定しながらだとしんどいですよね。

その時のなりたい姿や状況は、
「ねばならない」「べきだ」になっていないでしょうか?

私はこうあるべきだ。
これを達成しなければならない。

そうなると義務感が生じ、重苦しくなります。

「本当の自分はこうなのに」
「これぐらいできているべきなのに」

と高い理想を抱きながら、そこに至らない自分を感じながら
日々過ごしてしまうと、常にギャップを感じてしまいます。

そういう場合は、いったん、今の自分や状況を
しっかりと受け入れるがいいでしょう。

理想の自分ばかりを見るのではなく、
今のまだそこに至らない自分を認める。

今の自分はこんな風だ。
やりたいと思っていることはここまでしかできてない。
まだ人生、路頭に迷っている。
全然人の役に立てずに、自分のことばかり悩んでいる。
どうしようもない自分だ。

しかしそこに批判や判断は入れないように。
これは一つの視点でしかないです。


視点を変えれば、

でもいいところもある。
今までいろんなことをしてきた。
人に感謝されたこともある。

こんなこともできた、あんなこともできた。
少しずつでも成長している。

より良くなろうと自分を試している。
あきらめてない。

すごいじゃん、自分!

という見方もできます。


理想の自分や完璧な自分と、今の自分とのギャップに苦しんでしまうのは、
現状の自分を認めてないから、受け入れてないからです。

しっかりと現状を認めた後で、それとは切り離して、
自分のゴールを見定めましょう。

そうしたら今の自分に何が必要か見えてきます。


ゲーム感覚ですよね。

今自分はこの地点にいる。
目的地に到達するには何が必要か?

どうなればいいのか?
どうすればいいのか?

そして、それに必要なアイテムや人を集めたり、冒険に出たり。

そのプロセスの中で、自分が変化していけばいいのです。

この世はゲームだと思って楽しんでいきましょう。

完璧だと思ったところにたどり着けば、それはまだ
ちっぽけなほんの一角でしかないことに気づくでしょう。

そして、もっと大きな世界が見えてきます。


大事なのは、完璧になることではなく、
成長し続けること。

自分の世界を広げ続けること。

それは完璧でないからこそできることです。
成長する余地があるということですから。


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私たちが失敗を恐れる原因は、最初は本能的なもの。

生き延びるために間違いをしでかさないよう、
失敗は記憶しておく必要がありました。

狩猟時代や戦国時代。
いつどこで死ぬかわからない時代において、
致命的な失敗は避けねばなりません。

しかし、今はそう簡単に死にません。

災害が起きたり、病気になったり、
突然、事故や事件に巻き込まれて死んでしまう可能性は、
今も相変わらずあります。

が、日常を営んでいる私たちの大半は、
そんな風に生命の危機を感じていません。

きっと今日も明日も生き延びて、
80〜90歳ぐらいまでは生きるんじゃないかな?
となんとなく思っています。

だから、自分の人生を考えるときに、あと一年とか思わずに、
数十年の月日があるものと思って人生設計をしています。

この先、まだ何十年も今の社会の中で生きていかねばならないと思うと、
また別な意味で失敗が恐れられます。


以前は、失敗は死とつながったもの。
生存を脅かすものが失敗と認識されました。

しかし今は、即、死にはつながりません。

人生を失敗するということに人は恐れを抱いています。

人生、失敗してはいけない。

いい成績をとらないと、いい大学に行けない。
いい大学に行かないと、いい会社に就職できない。
いい会社に就職できないと、いい結婚ができない。
いい結婚ができないと、幸せな人生が歩めない。

この考えに囚われている人はたくさんいます。


そのためにストレスを抱え、
人と自分を比べては自分は劣っていると感じ、
幸せになりたい、成功したいと思っています。


そもそもこの考えはどこから始まっているのでしょうか?

人生を失敗するという恐怖は、学校教育で養われたように思います。
もちろん親の恐れや不安も引き継いでもいるでしょう。

すでに敷かれたレールの上を歩かないと、人生、失敗する。

40代以上の人は、まだこの考えに囚われている人が多いです。

20代、30代になると、上の世代のしがらみから解放され、
もっと自由に生きてもいいという価値観を持っている人が増えています。


失敗は悪いもの、失敗はしてはいけない、

これ、本当でしょうか?


間違いを犯さずに生きていける人などいないでしょう。

私たちはそこから学んでいきます。

失敗はしたくないですが、必要以上に恐れてしまえば、
可能性をも封じてしまいます。


失敗は、失う、敗れる。

「失う」は、なくす、なくなる。
「敗れる」は、負ける。

私たちは何かを手放すことによって何かを得ます。
負けるとは、また勝つチャンスがあるということ。

実は、どちらも何も失っていないのでは?

自分が得たいと思っていたものを得ることができなかった
状態を指すだけではないでしょうか?

「状態」は一時的です。

そこで学んだことからその状態を
変えていくことが私たちにはできます。

すべては常に変化していきます。
失敗から芽生えた芽もまた美しい花を咲かせます。

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過去の出来事は、今とは関連性がない。
関連づけているのは自分です。

とはいうものの、

幸せな金持ちの家族に生まれる人もいれば、
貧乏で崩壊した家族に生まれる人もいます。

スタートラインが全然違うのは不公平じゃないですか?
という人もいるでしょう。


はい、確かにそうですね。不公平です。
でも幸せな育ちをした人を妬んでも始まりません。

例えば、お釈迦様は王族の出です。

出家するまでの間は何不自由なく、
贅沢な暮らしができていたそうです。

でも彼が背負ったものは、私たちが持っている悩みよりも
はるかに大きな悩みだったでしょう。

彼は、幸せな育ちをした分、もっと大きな試練が
課せられたという言い方もできます。

だから必ずしも金持ちだから、幸せな家族だから、
その後の人生が楽々〜というわけではありません。

もともと持っているものが大きい分、
もっと大きな課題が課せられるかもしれません。

その後の人生がどうなるかは、その人が
どういう選択をしてきたかによります。

それにできるだけ早く気づいて自覚して、
「自分の人生は自分で決める」と舵取りを始める人が、
より豊かな人生を歩めます。

なぜならそれまでは無防備に周りに振り回されていた
自分の人生を自分でコントロールし始めるからです。


人は両親を選んで生まれてくるといいます。

それが本当かどうか知りませんが、
もしあなたが生まれる前に今の両親を選んだとしたら、

あなたのご両親は、あなたの成長に一番
ベストな人たちであり、ベストな環境だったのでしょう。


面白いことに、苦労した人生を
歩んできた(きている)人に

もしあなたの過去をいいことづくめの幸せな人生に
置き換えられるとしたら、そうしたいですか?

ただし今までの記憶はすべてなくなり、
幸せな記憶だけになります。

と聞くと、みんな、「取り替えたくない」と言われます。


あなたも自分に質問してみてください。

そういう計画のもとに来たのだとしたら、
逃げずに向き合っているあなたは順調に進んでいます。

その課題を乗り越えていくからこそ、人生を深めていくことができます。

ホリデー気分の悩みのないお気楽人生を過ごしにきた
という人もいるでしょうし、
幸せ家族を味わいたいという人もいるでしょう。


人生の目的は人それぞれ違います。
それに合わせて、それぞれ違う環境を得ています。

人の環境をうらやむより、自分が本当に欲しているところを知り、
そのための環境を作っていきましょう。

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私たちのほとんどは過去の囚われの中で生きています。

記憶がベースとなっています。
それが「自分」を形成しています。

自分はこんな人。
だからこんなことが起こる。

意識していてもしていなくても、そのように思っています。

今の自分を見てみましょう。
そういう思いは必ずあります。

どんな思いがあなたを支配していますか?

私はこんな人。
こんな家族で育って、
こんな経験をしてきた。

だからこういう人生を歩んでいる。
と思っています。

その自分や人生に満足できてなければ、
「私はこうなりたい、こうしたい」と思って、
そこで葛藤しているでしょう。

現状に満足せず、こうなりたいと
望みを叶えようとすることによって
成長できるし、人生も変わっていきます。

だから悩んだり、葛藤したりするのはいいことです。

ただそこにはまって、ネガティブループに
陥ってしまうのは避けたいです。

また、誰かのせいにしてしまえば、
自分は被害者になります。

被害者意識で生きていけば、
自分はいつまでたっても「かわいそうな人」です。

そんな自己評価で生きる人は、
かわいそうな人生を歩むでしょう。

「自分はかわいそうな人」として振る舞い、
一生を終えていきます。

お葬式の時には、
「あの人はかわいそうだったねえ」
と参列者に同情されることでしょう。

でもそれは、本人が自分を「かわいそうな人」と
認識していたからです。


すべては自分から始まっています。

過去のカルマが、過去の出来事が、、と思いがちですが、
「だからどうした?」と思いましょう。

それは過去の出来事であり、今とは関連性がないです。
関連づけているのは自分です。

「親が貧乏だったから私は貧乏だ」という人もいれば、
「親が貧乏だったから私は金持ちになった」という人もいます。

「未来の自分はこうなっている」とそちらを基準にすれば、
現実はその未来に引き寄せられていきます。

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「自信を持つ」というと、何かができる、
達成できる自信のことを多くの人は思います。

つまり何らかの結果を出す自信です。

しかしそれはやってみないことにはわかりません。

「自信がない」は、できるかどうかに確信が持てない。
「自信がある」は、できる確信がある。

しかし本当に自信があることに対しては、
「自信がある」とはいちいち思いません。

明日朝、目覚めることに自信がある。
服を着ることに自信がある。

とは言いません。

それは自信云々に関係なく、できると思っています。

「自信がある」も「自信がない」もまだやっていないことに対して、
結果が出ていないことに対しての感情的、主観的な思いです。

ならば、自信を持つところを変えてみましょう。

自分にできる自信がないとしたら、
どこまでなら自信が持てるのか?

達成することに自信がないなら、
挑戦することには自信が持てるのか?

やり続けることには自信が持てるのか?

やろうと思う自分に自信が持てるのか?

結果を出すことに自信がなくても、先がどうなるかわからなくても
それに向かって進むことには自信が持てれるのか?

それはあなたがそうすることを覚悟できるかどうか?
という話であり、自信があるないの話ではありません。

だから何かをするのに自信はいりません。

やりたいか、やりたくないか?

やると決めるか、決めないか。

自分自身との対話です。

自分に自信があるとは、どれほどのことを
成し遂げたかの結果ではなく、

自分がやることに誇りと誠意を
持ってやっているのか?やれるのか?

ということではないでしょうか?

結果重視の世の中ですが、そこばかりを見ると
殺伐とした競争に巻き込まれてしまいます。

すでにある結果は、過去の出来事です。
それを基準にする必要はありません。

過去の自分のデータから、できる/できないと思うのではなく、
未来の自分ができていることを信じて、ゴーサインを出しましょう。

あなたがやり遂げたいことが実現している未来では、
当然ながらそれは実現しています。

だから今自信がなくても大丈夫です。

そちらに進んでいくうちに自信がついてきます。

「自信があるからする」というのはしょぼいのです。

「自信がないけどする」という人が、
現状の枠を超えて成長していけます。


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自信なんていらない。

自信、自身、地震。

呼び方が同じなのは何か意味があるのでしょうね。

自身は、自分自身。

地震は、大地という、私たちが乗っかっている土台が揺れること。

飛行機に乗ったり、水中にいない限りは、
私たちの足元には大地があります。

重力もありますから、地に足がついているのは
当たり前だと思っています。

毎朝起きたら、下に地面(床)があります。
それに疑問を感じる人はほとんどいません。

地震は、その当たり前になっているものが
揺らぎますから、不安を感じます。

自信がある人は、自分は「自信がある」といちいち考えていません。

つまり、足元に普通に大地がある状態と同じ。

自信があるから当たり前にできる。

当たり前だから自信があるけど、
当たり前すぎて「自信がある」とは言わない。

その自信が揺らぐ時に、私たちは「自信がない」と言います。

例えば、毎日歯磨きをすることや、外出先から家に戻ることに対して、
私たちは「自信がある」とは言いません。
なぜならもう習慣化されてますから、できると知っています。

なので、

「私は毎日歯磨きをする自信があります」
「今日家に帰る自信があります」

とは言いません。

でもできる自信はありますよね。

当たり前にできることに対しては
いちいち自信について言及しません。


「うまくできるかどうか確信がない」
と感じる時に、自信について考えるわけです。

自信がある時は、できることがわかっているから
普通にやります。

自信がない時は、

自信がないからやりたくない、
自信がないからできない、

といって、やたら「自信がない」ことを
強調するというか、気にします。


いってみれば、「自信がない」は
「やらないための言い訳」
として登場しています。

それが「自信がない」と言う時。


自信がない時に限って、自信について考えるのなら、
最初っから考えなければいいです。

自信がある時は、自信について考えないのですから。
そうすれば、結果があまり気にならなくなります。

「自信がないからできない」
「自信をつけなくてはいけない」

と思う時は、失敗を恐れています。

だから自信が必要だと思います。

しかし、何かをする時に自信は必要ありません。

自信を持つことより、まずはやってみることの方が大事です。
そうすることで自信がついてきます。

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