いのちおり - 本来の自分に還るために

さあ、未来の自分に還る旅に出よう!
人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    


映画「ドクターストレンジ」から始まってのつらつら書きの続きです。

この映画では、「時間」もまた一つの大事なテーマになっていました。

時間、、、人間にとっては寿命。

「時間こそが私たちの敵」とする考え。
つまり、命に限界があるということです。

古代から不老不死に対する憧れがありました。

今では「ゴースト・イン・ザ・シェル」の映画で描かれていたような義体の時代は
もうすぐそこにきていますから、不老不死も夢ではなくなってきています。


ネタバレになりますが、ドクター・ストレンジは、世界を救うために、
なんども殺されるという時間の無限ループに入ります。

自らが望んで何度も殺される生死の繰り返しの無限ループの中では、
死(痛み)は怖くなくなります。

映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」でも繰り返し殺される主人公が出ていました。

あれを見た後で思ったのは「エゴの死」でした。
「永遠に生きたい」と思う裏返しは、「エゴの死」を望んでいるんだろうなと。

エゴが死ぬことで、自分は囚われの世界から解放され、自由になれる、
永遠に生きることができるという思いがあるように思います。

映画などで簡単に殺すシーンが多いのは、
私たちの中にあるその潜在的な願望を表しているのかもしれないです。


エゴの死といっても、エゴがないと私たちは個の意識を持てないので、エゴは必要です。
エゴが一旦死ぬような体験をすることで、エゴに囚われた世界から解放されます。

”自他の区別のないところ”から、「個」として出てきた私たちです。
エゴ(自我)は、自分は何かが欠けていると思いがちです。
完全なるものに戻りたい、なりたい思いがどこかにあります。


ドクター・ストレンジは、閉じた時間の中で何度も殺されに行きますが、
その時、自分のために生きることは捨てて、人のために死に続けることを選んでいます。

ここでは時間のループで表されていますが、これは象徴だなと思いました。

私たちの日常は、習慣、カルマ、無意識のループに陥っています。
そのたくさんのループの中で、繰り返し繰り返し同じことを繰り返します。

そこでは無意識に行動をするので、自分がないに近いです。
自分のために生きていない、死んでいるのと何ら変わらない状態です。

それに気づき、そのループから抜け出し(解脱)、また新しいループに入り、
またそのうち気づいて抜け出して、、、を繰り返して生きていきます。

でも一つのループから抜け出るごとに、抽象度が高くなって多角的な視点を得ます。

書き出したらなかなか終わりません、、ので、次回に続きます。


  

5/27(土)東京でセミナーを行います。

エゴを殺さずに、エゴから自由になるには?

まわりに惑わされず、本来の輝きとパワーを取り戻し、
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5月27日(土)14:00~17:00
場所:丸ノ内線・四谷三丁目から徒歩3分のところ
料金:5000円
定員:6名

今回は東京での個人コーチングの募集もしますので、その説明会も含めて行います。

お申し込みフォーム

(「5/27セミナー参加」とメッセージ欄にお書きください)


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映画「ドクターストレンジ」から始まってのつらつら書きの続きです。

「ドクターストレンジ」では、ダークサイドこそが善とする意見が出てきます。
命が限られることが恐れを生み出し、限界を生み出します。
時間を超越して永遠に生きることで、人間は解放され、自由になれるとします。

そもそも時間もこの世界も幻想であり、私たちはその幻想の中に生きています。
実際に個体としての物や身体があるわけではなく、脳がそのような像を見ているから、
実際にあるかのように感じています。

私たちは生の肉体を感じますし、食べたり排泄し、痛みを感じ、身体は老いていきます。
触ったら触れるし、ちゃんとあるでしょ?と言われたとしても当然だと思います。

私たちは物質主体の世界に生きてきたので、肉体を持つ私たち自身が幻想だと信じられなくても、当然と言えば当然です。

上腕をつねって「痛い」と思っても、上腕自体が痛みを感じているのではなく、
実際は、脳が「上腕が痛い」と信号を送っています。

理屈でそういうことがわかったとしても、やはり上腕をつねれば「上腕が痛い」と感じます。
「『それ、幻想だよ』と言われてもなー。今ここでリアルに感じるんだよ」と思って当然でしょう。

私たちは、自分が持っている記憶も、なぜか「正しい」と思い込んでいます。
そのようなことが起こったのだと。


映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」では、自分が誰かわからなくて、過去の記憶もなく、
どこにもつながっている感がない状態を主人公は感じます。肉体も脳以外が義体。
身体さえも自分でない。

そうなった時、何があなたを「あなた」として認識させるのか?

なんのために生きているのか? 存在しているのか?

自分が誰かわからずに生きているのは、宙に浮いた感覚に近いと思います。


”自分のことを「自分」と自覚しているその根拠は何?”

と聞かれたら、あなたはどう答えますか?


あなたをあなたたらしめているもの。

名前、外見、過去、人格、これらがあなたなのか?


「ゴースト・イン・ザ・シェル」では、記憶が塗り替えられて、
新しく植えつけられた記憶の人格や経験をそのまま信じている人物が登場します。

つい先日見たアメリカドラマの「ニキータ」でも、巧妙な心理作戦と脳への介入で、
新しい記憶を植え付けて、それがそれまでの自分の強い情動と重なり、
新たな人格と現実を作り出していくという話がありました。

自分にとっては確実に存在したと思える人物や経験が、実際は想像上の人物や経験で、
実際にはそれは起きていなかったとしても、あなたの意識の中で経験していたら、
それはあなたにとっての現実、本当にあった話です。

そして実際に、私たちが今持っている記憶はそのようなものです。
一緒に経験したはずの他の人は全く違う経験をしている可能性は大ですし、歴史はいい例です。起こっていなかったことが起こったとされ、起こったことが起こっていなかったとされていたり。

でも教育で「こうです」と教えられるので、それをそのまま事実として認識してしまいます。


もしあなたが違う記憶を植え付けられているとしたら、名前、外見、過去、人格などは、
あなたがあなたであると断言できるものではありません。

あなたが今記憶しているあなた自身、それは本当のあなたなのか?
それとも他の記憶の中で生きているのか? 自分が誰かわからずに生きているのか?

今、あなたをあなたと限定できるものは、
名前、性別、家族、出身地、生い立ち、経歴、仕事などなのではないでしょうか?

「ゴースト・イン・ザ・シェル」では主人公はその答えを見つけますが、
あなたはどうでしょう?


自分が誰かわからなくて悩む人、そこから逃げて何も考えなくなる人はこれからも増えるでしょうが、これからは「アイデンティティを持ちましょう」というより、その反対です。

記憶すら曖昧であり、私たちはホログラムの映像みたいなものですから、
アイデンティティからも自由になってしまっていいと考えましょう。

記憶も過去も自分もいらない。
というより、それらからも自由になっていい。
その方がなんでもできるし、何者にもなれます。

「アイデンティティを持つ」ことで、あなたは小さな枠に止まってしまいますから。

あなたが何者であるかは関係なく、あなたが何者であろうとするか、が大事です。

話が「ドクターストレンジ」から「ゴースト・イン・ザ・シェル」になっちゃいましたね。


次回もこの流れの話が続きます。


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「ドクター・ストレンジ」の映画から始まって、つらつらと書いています。

この映画では、「自然の摂理」と人間の関係についても問いかけがなされていました。

自然の摂理に反することはよくないか? と。

人間がどこまでそれに介入できるのか?

人間が手出しをすると、カルマを生み出し、悪を生み出すのではないか?

悪が生まれると、それを正す善や正義も生まれます。
それらは対なので、いい悪いの区別はつけられないのではないか?

その区別をつけるのは人間側の都合でしかない。

悪も善になれるし、善も悪になる。

それは見る側がどう受け取るかでしかない。

事象は事象。

何かを決めたり、選んだりすることは、エゴによる作用であるから、
どんなに善良と思われることであっても、エゴの作用である。

自然の摂理は、人間の善悪の範疇にはない。

人が行動する限り、自分のエゴによって動いているので、
いつまでたっても反抗勢力(ダークサイド)は現れる。

善側より、悪側の方がこのエゴの作用についてはわかっているので、
ある意味、自分に素直である。

善側は大義名分を掲げ、自分のエゴではないと思いたがる傾向にある。
エゴだと思った途端、悪と大差ないことを知るので、それを避けたがる。

エゴで行うことは、自然の摂理に沿っていることが大事。
自然の摂理に反したことをすると、それは必ず自分に返ってくる。

そのループ(カルマ)からは逃れられない。


人間が人間である限り、エゴを持っています。
そのエゴをどのように使うのか、自分のために使っても、人のために使っても、
善に使っても、悪に使っても、それによって生じるものは、いわば善悪の両方。

そのループからいかに抜け出すのか?
あるいは、抜けださずに解決法を見出すのか?


ここに書いたことは、あくまで問いかけであり、正しい答えなどありません。

その問いかけに、自らがどう答えを見つけていくか?
がこれからの世界に影響を与えていく、というスタンス。

今までの時代はどこかに正しい答えがあるように思われてきましたが、
各自が自分の答えを見つけていくことがそれぞれの未来を形成していきます。

答えを「探す」のではなく、答えは「作り出す」ことが大事になってきています。

クリエイティビティの時代ですね。


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扉絵
http://renote.jp/articles/9188


しばらく前の話ですが、「ドクター・ストレンジ」を見ました。
その時の観客は私一人!
一人貸切状態で、真ん中の席に座り、VIPな気分で3Dで堪能しました〜。
これは気分良かった^^

「ドクター・ストレンジ」を見て、一番いいと思ったのは「抽象度の高さ」でした。

抽象度高く俯瞰して物事を見ることは、これからますます重要になります。

この映画もいろんな視点から捉えているところがいいです。
いろんな角度から、登場人物の今までの価値観や信念を壊しています。

人としての生き方と、自然の摂理にどう関わっていくか?
というところがテーマとなっているように思いました。

善と悪をそのまま善悪とせず、善を行う者にはその信念が、
悪を行う者にもその信念があることを見せています。

両サイドの考え方、見方を見せているので、
どちらが正しい、悪いと言えなくなります。

善を行なっているはずの者が、実は悪からエネルギーを得ているとか、
悪と思われた者にはそちら側なりの信念があって、その人たちにとっては、
善側の方が悪であり、自分たちが善であり、正義であると信じっているとか。

勧善懲悪的なストーリー好みだったアメリカに、このような視点が加わってきたのは面白いです。
この映画、けっこう日本のアニメの影響を受けているように感じました。

以下、ネタバレになります。

善側から見ると、悪は悪です。
それを阻止するために戦います。

地球を守っているとされるエイシェント・ワンが「人のためであれ」と印象的に言います。
それを見ると「そうだよねー」と納得するのですが、映画では、あとでそれを覆しています。

彼女が長生きするためにダークサイドの力を使っているという事実が判明します。

彼女にしてみれば、ダークサイドの力が地球を侵食するのを止めるために、
自分が生きて阻止するしかないということになるのですが、

彼女がダークサイドからその力を得ているがために、
そういう事象が起きているという事実も現れます。
つまりそうなったきっかけが彼女だったと。

自分が作り出したカルマをなくすために、
ダークサイドと戦い続けるというカルマを生み出しています。

そしてその無限ループにはまり、生き続けます。

自分でも答えを見つけられなかったので、
それをドクターストレンジに託して、自分は死を選びます。


生きている間にカルマを作り出して、それを解消するために次の世に生まれる。
その生で、またカルマ解消をしながら、また新たなカルマを生み出している、
という無限ループに陥っている、私たちの意識の在り方。

「これが善」と「これが悪」という自分の中の定義に囚われてしまっているから
「悪を解消しなくては」と思ってしまいます。

どんなにいい人になろうとも、どこかで真逆の作用が起きて、
自分がいい人になればなるほど、悪い人や悪い行為も生まれてきていることに気づいた時、
あなたは何を思うでしょうか?

この映画は、いろんな角度からいろんな問いかけをしているところがいいなと思います。
かなり抽象度の高い映画です。

話は次回に続きます。


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5月はオープンシークレットです。

すでにたくさんの人が知っていること(でもいちいち認識していないこと)が
何(者)かによって、意識化されることにより、みんながそれに気付き出します。

言われてみれば、「すでに知ってるよ」ということなのですが、
言われてみて初めて「すでに知っていた」ことを思い出した、あるいは再認識した、
となるでしょう。

本当にオープンになっているのに、それに関心を払う人がほとんどいませんでした。

空気みたいなもので、いつも目の前にあるのに気づかずに過ごしています。
誰かに「空気があるでしょ」と言われたら、「そんなの知ってるよ」となりますが、
改めて「ああ、空気があるから息ができてるんだなあ」と思います。

隠し物のプロは、一番目立つところにそれを隠すと言います。
それはすっかり姿を見せているのに、人々の目にはその存在が映らないか、映っても
認識されないのです。

明るみに出るものが何なのか?

個人レベルでのそれもあるでしょう。周知のレベルでもあるでしょう。

また、気づく人もいれば、気づかない人もいます。

長い間、オープンに隠されてきた秘密が明らかになります。

言い換えれば、隠していたわけではなかったけど、今までの私たちには気づけなかった、
それそのものはずっとそこにあったけど、私たちに見る目がなかった、ということです。

正確に言えば、隠されていたというより、私たちに気づく力がなかったということになります。

それに関心がなかったんでしょうね。

それに気づき出す人には、近いうちに新しい扉が現れるでしょう。(比喩ですけど)

意識の進化は着々と進んでいて、いろんなもののサポートもあり、遠くない将来、
100匹目の猿現象のような劇的な変化(でも静かに密かに)が起こるでしょう。

それは今月でも来月でもありませんが、
その予兆として自然界から興味深いギフトがあるようです。

関心のある人にとっては、ものすごく興奮するようなことです。

でもあまりにも公然としているので、気づく人がそういないかもしれません。

なぞなぞのようですが、「目の前にあるのに見えないものはなあに?」

探すと見つからず、探さないとそこにある。
5月自体がそのような月となるでしょう。

では、楽しい5月をお過ごしください。

「和音」2017.5.2


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前回の記事、「あなたは人を幸せにできる人」の話の続きとなります。

春分あたりから「自我」の枠組みが変わる気配がありました。
それがどうなったかというと、

『他のために生きることが、自分を生きることになる』

という時代への突入です。

ただし自己犠牲や被害者意識はありません。
喜びと慈悲はあります。

前回の記事で、
他の人やものになくて、自分にあるもの、自分にできることをしましょう
という話を書きました。

そこにあなたの役割がある可能性が大。

今日はまた少し違う角度から書きます。


今までは、エゴが、「自分を認めて欲しい、愛して欲しい」と叫んでいる時代でした。
それが差別や競争を生みました。

これが「自分は他を幸せにするためにいる」という自己充足感に変わっていきます。

自分向きの矢印だったのが、他者向きの矢印に変わります。

今まだそうなれてなくても心配しないでください。
大半の人がまだです。

これを読んでいるあなたは、ぜひその先駆者になってください。

そのためには、エゴが手放したくない思い
「私を愛して、私を認めて」のこだわりが外せるといいです。

そうなるには、自分の存在価値を人に求めないことです。

自分で自分を認め、許すというプロセスが必要です。


「私を愛して、私を認めて」を手放した時に、孤独で惨めになるのではなく、
「求めなくてもすでにあるのだ」と気づけると素晴らしいですね。

あなた自身が愛であり、愛に包まれているのだから、
愛される必要も、認められる必要もありません。

愛の中にもともといるのだから、「愛されたい」という概念自体が変なのです。

「愛の中にもともといる」というより、そこに区別はないですから、
あなた自身が愛の結晶です。


そして、そこに気づいた暁には、すごくポジティブで、
誰からも好かれる魅力的ないい人になる・・・かというとそうでもありません。

やんちゃをするのもオッケーですし、すごく嫌な奴になるのもありです。

でもそれは、愛の中にいるからできる行為なのです。


・・・あれ?と思った人もいたかもしれません。

愛の中にいるからできる行為?

じゃあ、ネガティブになるのも、悪いことをするのも、愛の中にいるからできるの?

大きな意味ではそうです。
かなり抽象度の高い視点から見るとそういうことです。

・・・じゃあ、自分が愛だと気付いた時、世界は今の世界と変わらないの?


まあ、そんなところです。

でもこれに気づいた人は、全く違うレイヤーにいますから、
悪いことも嫌われることもできます。が、必要でなければしないでしょうけど。

今までの愛の概念がいかに一方向からだったか。
解釈の仕方の話ですけど。

それに苦しんだり、傷ついた人も多かったと思います。

報われない思いにこだわるよりも、もうそれを手放して、
次の段階に進むことにするなら、自然と大きな癒しが起こるでしょう。

それは「視点を変える」という作業により、可能になります。
価値観や信念を変えるということです。

もう一段階上のレベルの愛の表れです。


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人間には人間にしかできないことがある。

植物は動けないが、人は動ける。
ならば、動けない植物のためにできることがある。

植物は動けないが、二酸化炭素を酸素に変えることができる。
私たちはその恩恵を受けている。

鳥は飛べるから、植物の種をあちこちに運べる。
人間は農耕して、植物を育てることができる。

猫は毎日寝てばかりだけど、私たちの知らぬところで
あちらの世界で何かしてくれてるのかもしれない。

赤ちゃんと猫は見ているだけで癒しになるが、大人の人間はそうはいかない。

人間様は、自然界のすべてどころか、地球自体も自分たちのものと勘違いしている人も少なくないが、人間も地球の仕組みの中の一つであり、地球そのもの。

「私がやりたいことはなんだろう?」と思う時、
我(が)で考えると、自分が幸せになる、お金持ちになる、たくさん所有する
などが基準になりがち。

でも本来、「存在」は、自分を生かすためではなく、
全体の成長進化のための役割があるのではなかろうか?


動物にはできなくて、人間にできることはなんだろうか?と考えてみる。

思考する、笑う、未来について考える、道具を使う、などいろいろ出てくる。

ではその能力を使って、他のためになることはなんだろうか?と考えてみる。


もっと具体的にいうならば、「自分が何をやりたいか?」と探すのではなく、
「自分が他のためにできることはなんだろうか?」と問うてみる。

他の人やものになくて、自分にあるもの、自分にできること。

それはあなたが他のために活かせることなので、それを発揮しないという手はない。

対象は、人でも、自然でも、動物でも、物でも、会社でも、家族でも、
数式でも、アイデアでも、なんでもいい。

あなただからこそできること。

それはある。

何かは知らない。


「やりたいこと」を探す時、そんな風に探してはどうだろうか?

あなたが他のためにできること。
あなたならではのやり方で。


寝たきりの人は動けない、でも自分は動ける。
ならば、代わりにできることをしようか。

そんな発想でもいいだろう。


「自分」というリソースをどのように使うかは、あなた次第。


自分を満たそう、自分を幸せにしよう、と自分のことを考える段階も必要。
まずは自分を受け入れていなければ、他のために動くのは偽善になる。

でも、自分を幸福にしようと思うより、
「自分は他を幸福にする存在だ」と受け入れることができると、
根拠なく、自分っていいやつだと思えてしまう。

その場で自分のことが好きになれる。

ここで「他」と言っているのは、「自分以外」のこと。

人も物も動物も石も植物も空気も、自分以外のもの全てを含んでいるので、
「他人」のことではないです。

この世界が多種多様に満ちているのは、お互いがお互いの特質を生かして共存できるから。

弱肉強食ではなく、分かち合い、与え合い、譲り合い、共に生きる。
「共に生きる」には、「食いつ食われつ」も含まれる。


「ライオンがシマウマを捕まえて食べるのは自分のためじゃないですか?」
という人もいるだろう。

確かにそれもあるけれど、大きな流れで見たら、
ライオンは自分の中の微生物や細胞に食べ物を与えていて、
また自分の家族が生きられるように狩をしている、
ライオンという種の保存のために食べている、と考えると、
自分だけが生きながらえるために獲物を捕らえているわけではないのがわかる。

人間は、動物より自我が強いから「自分だけのために」と行動することもできるけど、
共存社会に生きているので、それで生きていくのは辛いものがある。

あなたという存在をあなたから切り離してみて、
「この人物(あなた)にどう活躍してもらおうか?」と考えてみよう。

人は、人から喜ばれたり、感謝されたり、尊敬されたり、
認められたりするとうれしい生き物。


あなたは人を幸せにできる人です。
それを自覚し始めると、あなた自身が幸せになれます。



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4月11日23時から一斉遠隔ヒーリング「グラウンド・サークル」でした。

「グラウンド・サークル」は増幅強化したいことに対しての働きかけとなります。

感想をいただいたのでシェアさせていただきします。
感想をありがとうございました!


******************

今年2月にはじめて参加させていただきました。
初めてだったのでとてもドキドキ緊張しながらの参加でした。

その時は自分じゃないような意思を感じました。
なにか重い感じもありました。
身体や手が動いたり、息を思いっきり吐いたり声がでたり。

その日からしばらく調子が悪く、疲れがどっと出た感じで
好転反応なのかなと思って気にせずいました。

不思議と心はしっかりしていました。

そしていつの間にか気のせいか頼りなく心細かった自分の心が
少し強く感じられるように思いました。

もっと、何て言うか自分の中の変化はあるのですが、言葉で上手く説明できない感じです。

ヒーリング� �色んな思いが沸き上がってきたのですが
自分を信じる心を何よりも強くもつ、という言葉が頭に浮かんだ時、
自分に大きな変化がありました。

この言葉が自分には大事なんだと思い、
ヒーリング中ずっとその言葉を頭の中で念じていました。
 
昨日の二度目のグラウンドサークルでは体には変化はありませんでしたが
心はゆったり落ち着いて参加できました。
何か気持ちを大きくゆったりもてるような感じです。

いつも不安に晒されていた自分の心が、いつの間にか気付かないうちに小さくなっていた感じです。
暖かい優しさを臆することなく、受け止められて共有しているような感覚です。

とても不思議な感覚の世界。

自分の変化は薄皮をはがすかのようで、
確かな事は言えませんが本来の姿に戻り変化していく感じなのでしょうか。

etsuki さんを始め、前向きな思いを共有してくれたみなさんのおかげなのだと思います。

etsuki さん、いつもありがとうございます。
特に最近今まで以上にメルマガが届くのを今かいまかと待ち望んでおります。
これからもメルマガ、ブログを楽しみにしています。

ありがとうございました。 (A.Iさま)

******************

その日の夕方、思わぬ外出があり、
外出先ですることのない待ち時間がぽっかりとありました。

せっかくなので、と呼吸法とイメージングをしてみたところ
これからの未来についてスルスルとイメージが出てきました。

そのまま、イメージを膨らませてみたところ、とても楽しいものになりました。

その時、「この未来ではもっと自由にできる!」と忽然と気づきました。
足についていた重りがひとつとれて、とてもからだが軽くなったように感じました。

不思議ですが、「今とは違う可能性」に気づいた時
これまで意識してなかった制限がありありと見えてくるんですね。

自分に同化していた制限がいきなり異物として見える、というか。

そこで初めて、「自分にはこんな制限があったんだな」と気づくんですね。

それをまじまじと体験しました。
未来へ進むことが楽しくなりました。

その後、帰宅して悦月さんから事前メールをいただき、
今日がヒーリングの日だったと思い出しました。

待ち時間に考えていたことが増幅したいこと、そのものだったので
そのタイミングに自分でもびっくりしてしまいました。

いつもありがとうございます。(J.Sさま)

******************


自分が作っている制限は、気づかない間は、「制限なんてないよ」と思いますが、
制限を課していることに気づいたら、すごくよくそれが見えるようになります。

そして今まで見えなかった可能性が見え始めます。

このような小さな変化に気付き、その変化を大切にしていると、
積立貯金のように小さな変化が起き始め、そのうち大きなシフトが起こります。

大きなシフトを起こすには、たくさんの小さな変化が必要です。

でも多くの人は、その小さな変化を軽んじてしまいがち。

自分には何も起きない
自分は変われない

と思ってしまいます。

「何が変わってないか?」を見るか、
「どんな変化が起こっているか?」を見るかによって、
その先に積み立てられるものは違ってきます。

前者は、変わっていないことの積み立て。
後者は、変化したことの積み立て。

この二つの貯金(貯心?)を見ると、
満期になった時、何が手に入るか、わかりますよね?

前者は、変わっていないこと。
後者は、変化し続けたこと。

つまり、
前者は今と変わらないままの未来、
後者は、今とは違う未来、

が手に入ることになります。

小さな変化を侮るなかれ、です!


遠隔ヒーリングを体験したい方はこちらをご覧ください。
遠隔ヒーリング「ワンポイントグラウンド」


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DM_bench&fog

4月は引き続き、混沌の中です。

混沌というと、「え?私はそんなことないよ」という人もいるでしょう。

3月の葛藤が続いている人はもうしばらく続きそうです。

混沌と言っても「混乱」ではありません。

新旧混ざり合って混沌としている、
古い秩序が壊れ、新しいオーダーになっていくプロセスの中での混沌です。

なんとなく物事が決まりきらず、漠然としている感じです。

決まったと思ったら修正を強いられたりと、
進んでは戻り、進んでは戻り、を繰り返すような流れです。

そうしながらも少しずつ物事は変わり始め、
気がついたらすっかり春になっているのと同じように、
気がついたらずいぶん進んだなあと感じるでしょう。

混沌の中で右往左往している間は、どのくらい進んでいるかがわかりません。
霧のなかでほとんど進んでいないように感じるでしょう。

でも霧が晴れてみたら、とても良い景色のところにすでに進んでいた、
なんてことが起こります。

今月はまだ霧の中を模索している感があります。

あなたがしっかりとたどり着きたいところを見ているのなら、
霧が晴れる頃は、はるか彼方まで進んでいることに気がつくでしょう。

今月はそんな月です。
では、お楽しみください。

「和音」2017.4.1


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先日の一斉遠隔ヒーリング「ワンポイント・グラウンド」の時、
ちょうどこんなイメージでした。
FullSizeRender-1
(「陰陽師/第7巻」岡野玲子)

「ワンポイント・グラウンド」は特に取り除きたいこと、手放したいことに対して有効です。
ブロック解除のようなものですが、滞りをフラットに調整する作用があります。

なので、ネガティブな思いや痛みに対してすることが多いです。
この日も、参加者の方々のそのような思いに対しての働きかけとなりました。

が、この日のヒーリングはまさにこのイラストのよう。
(ヒーリングをしている私の視点は外から見ている感じです。ちょうど今あなたがこれを眺めているように)

背後には、とても大きな慈悲のエネルギーが控えていて、守られてる感じを得ました。


実は、私たちはいつもこんな感じだと思います。
常に背後に、このような、人を超越した愛のエネルギーはあるのですが、
このイラスト下部の菅公のように、目の前のことに心を奪われていて気づきません。

まさに今の世界はこんな風だなあと思います。

私たちはいろんなことにストレスを感じて感情を揺さぶられます。
そこに思いを集中しますので、その後ろで見守っている存在
(というと人格化したもののようですが、形はありません)に気づくことができません。

目の前のこと、つまりエゴが重要視していることに取り組むことをやめたら、
後ろの存在を感じることもできるでしょう。

エゴが自分のことに一生懸命になって、自力でどうにかしなくては!と力んでいるがために
(菅公のように)、後ろの大きな存在に気づけません。

エゴのがんばりは、たいてい不安や恐れから来ています。
見捨てられる不安、認められないことへの恐れ、失敗する不安など。

不安や恐れから行動すると緊張感がありますから、なかなか自分の実力が出せず、
ウンウン言いながらそれに向かうことになります。

そんな自分の力でがんばるよりも、自分の背後に控えている大きな力を信じる方が
物事がスムーズにいきます。

「大丈夫。自分は守られているから。」と。

そのように思い、感じることができると、エゴの恐れが静まります。

エゴの恐れの思考が静まると、静けさが訪れます。
そうなって初めて、自分よりも大きな無限大の力に気づきます。

そのパワーは神様や高次元の存在というより、本来「あなたと同じもの」。
あなたもそういう存在なのに、すっかり忘れている状態。

この漫画では、この続きに、
「この世は幾層もの層が重なってできている」という話が出てきます。

上記のイラストの時に、上から下までの幾つかの層が開いたので、
女神が降りてきているような感覚を得たと。

そして「菅公もそれに気づけば、怨霊ではなくて、本当の北野の社の主になれるのだよ」と。
「それは、菅公は擁護されているということではないか?」と続きます。

これは誰に対しても言えます。

この幾つかの層をあなたの意識の話と思ってみてください。
最も表層のエゴに近い層(顕在意識)から自己を超えた層まで。

怒りまくっている菅公ではなく、「後ろの存在である自分」に気づけば、
怒る理由がなくなります。

その視点から今の状況を見下ろせます。

「その視点から今の状況を見下ろせます」と簡単に書いてますが、
「その視点から今の状況を見る」ということが何を示すかは、
一人一人がその人生で見出していくといいと思います。
人によって違う認識を得るでしょうから。

今、時代もその視点を問うべき時に来ているようで、今までの二元論的世界では、
今まで答えが出なかったことへの問いかけが起きているように思います。


今のあなたは、菅公の位置か、後ろの存在の視点に立っているか?

その視点を変えることができると、問題は問題ではなくなります。

自分の小さなエゴは目の前のことしか見えてないので、そこにこだわり、ウンウンと唸っていますが、ずーっとズームアウトすれば、大きな意識、人が仏とか神と呼ぶようなものが常に静かに控えています。

それに気づくことができれば、安心です。

大きな大仏さまを作ったのは、その偉大さや寺の権力を見せるためではなく、
背後に控え、見守っておられる慈悲の存在を表したかったのかもしれないですね。


今月はとくに自我が「今までの自分」から「新しい自分」へと
脱皮する変容の時期に入っているようです。

今までの信念(エゴが信じてきたこと)が崩れる出来事を体験している人が
少なくないようです。

「いったい今までの人生はなんだったんだー?」
「私がしてきたことはいったい、、、」みたいな。

信じきっていた価値観が変わるということは、新しい段階に移る前段階で、
視野が広がることなので悪いことではないです。

けれども、信じていたものが信じられなくなったり、今までの基盤になっていた価値観が崩れたりするので、その渦中にいる人はたいへんだと思います。

菅公がエゴだとすると、それを俯瞰するもう一人の自分が後ろの存在。

菅公から後ろの存在への移行は、菅公が冷静になり、
後ろの存在と同調できるぐらいの状態になることから始まります。

今の菅公の状態から冷めて、現状を俯瞰的に見て、今までの自分の思い込み、怒りの原因などを違う角度から見て、相手の事情もわかり、自分にとってこれは必要だったことと理解し、この恨みの想いにこだわるよりももっと違うことに目を向ける方がいいことに気づき、自分も相手も許し、過去のことにこだわるのはやめて、新たな人生に向かっていくことを決意し、、、

という過程を経て、安らかなる心を取り戻すことになるでしょう。

それなりのプロセスです。
一瞬で氷解することもあれば、このように順を経ていく場合もあります。

一瞬で氷解する時は、実は既にこのプロセスをある程度、経ています。

一足飛びに行くよりは、ちゃんとこのプロセスを一つ一つやって行く方が
経験豊かになるのでいいと思いますが、あまり時間をかけず、次の段階に進むがいいですね。

そのためには、俯瞰的に物事を見るクセをつけるようにするといいです。


この時期に合わせての一斉遠隔ヒーリング・プログラム
トランスフォーミング・ヒーリング」を行います。
自我が揺らいでいる方にオススメです。


    

20日春分の日、琵琶湖沿いでのセミナーをします。

日時は20日(月、祝)13:30~16:30
場所は、京阪石場駅下車徒歩5分のところです。
京都駅から20分、滋賀方面に行ったところです。
料金は8000円(税込)。

テーマは「俯瞰する視点 x 脱皮する自我」。

これからは俯瞰する視点が必要です。
俯瞰できたら抽象度の高いマインドになりますから、
自在に偏在する自分に気付きやすくなります。
俯瞰する視点が身につくと、多角的に物事を見ることができます。

とらわれやこだわりが減り、自我ががんばり過ぎるのをやめると、
いろんな可能性があることに気づきます。

琵琶湖のほとりでゆったりと自分の可能性空間を広げましょう。

お申し込みはこちらから。
(お申し込みフォームに「20日セミナー」とお書きください。)

    

3月27日(月)は久しぶりに東京で、
個人対面セッション「マインドアウェアネス・セッション」をします。
お申込みフォームに午前か、午後の希望をお書きください。
あと2名です。
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