いのちおりblog - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

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「自分に捧げる言葉」メッセージ受付始まりました!

  

白い画用紙を手渡され、
「好きなように描いていいよ」
と言われたら、

あなたは何を描きますか?

すでに何らかの線や形が書かれていれば、
そこから発想して続けて
何かを描いていけるでしょう。

けれども真っ白な紙を目の前にすると、

真っ白な状態を汚したくない
という思いと、

何を描いていいのかわからない
という思いが生じます。


汚したくないという思いの裏には
失敗したくないという思いがあり、

何を描いていいかわからないのは
きっかけや頼れるものを必要としているからです。


自分を解体していくと、
自分由来のものは何一つない。


そんなショッキングなことにも
気づきましょうが、

そうなって初めて
自分の本当の心に触れることができ、
肩の力が抜けていきます。

(M.Aさんへのメッセージ 161226)

~~~~~~~~~~~~~~


とくに日本人は真っ白な紙を渡されると、
どうしたらいいか困る人が多いですね。

マニュアルに慣れているってことです。
自由な自己表現に慣れてません。


「好きにしていいよ」
「自由にしたらいいよ」

と言われても戸惑います。

そして、まわりを眺めて人がやっていることに従います。

日本人に限らず、ですが、
多くの人がAと言えば、本当はBだと思っていてもAだと言ってしまう、
という人に合わせる傾向が人間にあることは研究で出ています。

多くの人と違う道を行くのは勇気のいることです。

無難な道を選ぶのか、
我が道を極めていくのか?


この記事を読んでくれているあなたには、
ぜひ我が道を極めていってほしいですね。

私ももっと自覚していきたいと思うこの頃です。


  


「自分に捧げる言葉」メッセージ受付始まりました!

悦月があなたの名前を見て、個別にメッセージを降ろします。
さて、どんなメッセージが出てくるか?
きっと今のあなたに必要なメッセージとなるでしょう。


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8月は思慮深い月です。
今まで深く刻まれていた溝がだんだんと埋まっていきます。

長年の間、溝、ギャップ、亀裂として、人々の心深くに
刻まれていたものが少しずつ氷解していきます。
これを癒しととる人もいれば、崩壊と受け取る人もいます。

今までの世の中は二元性で成り立っていました。
善悪、正誤、男女、というように。

そもそもこれらは順ぐり循環しているものですから、
どっちがどっちというより、本来一つのものです。

ぐるぐる循環するので、その動きを取り入れれば、ドーナツ型です。
それを二つに割って正反対のようにして、その間に大きな溝を作った構造は、
意図的に作られたものですが、もうその溝の効力は薄れてきています。

人々の心の中でもその区別をあまり必要としなくなっています。
なぜなら二つに分けるその価値観はもう古いものになっているからです。

「どちらの立場もわかるよー」という一段上の視点からその風潮が増していきます。
「あんたが悪い」「いやお前が悪い」と相手の非ばかり責めてる人は、
自分の非や弱点を認めたくないからしています。

でも本当はわかってます。
これを続けると罪悪感がたまってきます。

いまどきの人たちは心の中に重いものを抱えたくありません。
水に流してしまうほうが楽と思います。
争いよりうやむやに流す方を好みます。

が、根に持つわけではなく、流してもっと楽しいことに気持ちを向けます。
良く言えば、気楽に過ごせる、悪く言えば、物事を掘り下げない。

これは傾向の話なので、もちろん例外はあります。
深く追求するより、問題視しない方を好むわけです。

「問題にしなかったら問題じゃないでしょ」というスタンスです。

上の年代の人は、そこに突っ込みたくなるでしょうが、
若手は案外あっさりしている人が多いです。

良くも悪くもなんですが、どっちもありと思う人が増えます。
多様性の時代といえばそうですが、節操がないと思う人もいるでしょう。


例えば、日本は春夏秋冬のはっきりとした区別があります。
そのおかげで、夏は暑く、冬は寒いです。
極端でないほうがいいからと、一年中温暖な気候であればいいかというと、
それを好む人もいれば、そうでない人もいます。

同じであればいいというものでもありません。
違いがあることは「味がある」ということです。


最初の溝の話に戻りますが、溝がなくなっていくと基準や価値観は変わっていきます。
移り変わりゆくものという設定になっていけば、固定され、変わらないとされるほうが異質になっていきます。

8月の溝が埋まっていくのは、おのおのの心の中にある溝、区別、差別と言っていいでしょう。

いろんなことに対して、私たちは「これは良し」「あればダメ」とか、敵味方、わかりあえる、わかりあえない、好き嫌い、と言って線引きをしています。

その線引きの基準がゆらいでいくと思えばいいでしょう。
それにより価値観や世界観、人生観の変化が起こりやすくなります。
ガツンと来るわけではなく、じわじわと変わっていくでしょう。

溝が埋まると聞くと、いいことのように思いますが、
そのプロセスにおいては、溝を埋めたくない人も必ず存在します。
彼らにとっては埋まることが悪です。

自分の中にもこれは埋まったほうがいい、
この溝は残しておきたいというものが必ずあります。
悟っていない限りは。

葛藤や抵抗、ストレスを感じたり、感情がブレる時は、
この溝に対して摩擦が起きていないか、チェックしてください。

人は変化が起こるときには違和感を感じやすいです。

その違和感のもとを探ると、あなたの中の溝、ギャップが
何らかの刺激を受けているのでしょう。

その時は自分の価値基準を見直すチャンスです。

「和音」2019.8.1



7月のメッセージで、「8月の方がハードかも」となってましたが、
書き出した感じではそうでもないのかな?という気もしました。

しかし、8月のメッセージはどうとでもとれるように思います。
受け取り方次第なのでしょう。


溝といえば、自分と他者の間にあるのもとても大きな溝です。
本音と建前や、エゴの自分と自分の本当の気持ちの間の溝とか。
光と闇の境界とか。正義と悪、裏表。

それらが埋まっていくとしたら?

喜びを感じるのか?
脅威、恐怖を感じるのか?

言ってみれば、そういう月なのでしょう。

7月に起こっていた、本筋からずれてしまったものへの修正がもっと深いレベルで起こると考えれば、8月がもっとハードというのもわかる気がします。

でもまあ、8月のメッセージにあるように問題視しないということもできます。
深刻に考えれば深刻になり、気楽に考えれば気楽になるのでしょう。

ケ・セラ・セラですね。



ところで、毎月のメッセージは、自動書記的に書き出しているものです。
これは特別なことではなく、誰にでもできることです。

自分に必要なメッセージが自分で書き出せたら?
自分のインナーチャイルドやハイヤーセルフに話を聞けたら?
自分以外の存在と対話できたら?

自分の枠から出たい人はぜひどうぞ!
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話は遡ります。

この話(霊性の時代(4月のメッセージ 追記2))の続きがまだでした。

要約すると、

人間の意識が、自然界の霊的エネルギーとつながりやすくなって、
精霊的な存在とコミュニケーションが取りやすくなっていきそうだけど、
そういうことに関心のある人にだけ現れるだろう、、という話でした。

以下に載せる文章は、上記の「4月のメッセージ追記」を書いた後に書いたものなので、
しばらく前のものです。
日が経ったので、少々書き直した文章を載せます。

***********

今年3月の春分の日を機に、この感覚が広がったなーと感じています。
私には、草木が話すのが聞こえてるわけではないですが、そんな兆しを感じ始めています。

とその頃感じたのですが、今現在はそうでもないです。
これは勘違いや消えたとかではなく、慣れたんだろうなと思います。

「なぜそう思うか?」と聞かれても、「そう感じるから」としか言いようがありません。

妄信的に感覚を信じるのも問題ありですが、
理論的に説明できないことは信じないというのもどうかと思います。

私自身の経験から言うと、説明できなかったけど感じていたことが、
のちに学者さんが理論的に証明、実証したり、そういう証明がされていた
とあとから私が知ったり、ということがありました。

それで、「なんだ、やっぱりそうだったのか」と思いました。
間違ってるかも?と曖昧に過ごした数年がもったいなかったなー、と。

自分で証明できればいいのですが、それができないのが悲しいです。

けれどもそういうこと何度も経験すると、
もっと自分の感覚を信じた方がいいと思うようになりました。


自分なりの追求はしていきます。
自分なりにつじつま合わせをして物語を紡いでいきます。

一人一人がもっと積極的に、自分の世界の物語を紡いでいけば良いと思うようになりました。

一人一人が織りなす世界が縦横無尽に紡がれ、
巨大な一つの世界、この宇宙を作り出していっています。

一人一人が、自分の宇宙の創造に参加しています。


話を戻します。

今までの私は、自分以外の意識存在(幽霊、宇宙人、天使など)と
話をしたいとあまり思いませんでした。
チャネリングも興味なかったし。

神獣や自然の精霊的な存在とはそれなりの関わりはありましたが。

なぜ他存在とのチャネリングに興味なかったかというと、
一番の理由は、

「そうは言っても、それは自分の中の話では?」

という思いがあったからです。

しかし春分以降、もうそこは解禁していいかもなーと思いました。

人間以外のいろんな意識存在と共同創造していく。
その意識存在らが自分の意識内の話であったとしても。


私たちの体は無数の微生物で成り立っています。
一人だと思っている自分は、最初っから複合体、集合体です。

ひとりぼっちになったことはありません。
先祖や霊脈とのつながりもあります。

複数の、自分を構成するものたちや、
そこに関わるものたちとのコラボライフが私たちの人生です。

もちろん外の世界もです。
地球自体がそういう星です。


八百万の神々とは、微生物のことではないかと思ったりもしますが、

あらゆるものには魂が宿る。
言葉という言語だけでなく、エネルギーのやりとりでの対話が成り立つ世界。

昔話やおとぎ話、今なら異世界系のストーリー。
そういう感覚が普通になる世界が遠くない将来、やってくるんだろうなと感じています。

そういう流れで言えば、ポケモンGOはスマホを使って、
バーチャルをリアルの世界に持ってきて融合させたものと言えます。

妖怪などは、感覚の鋭い想像力に満ちた人が、
感じたエネルギーをあのように具現化してみせたのでしょうね。

その頃の時代や平安時代などは、異界と繋がりやすいエネルギー状態だったのでしょう。


令和時代の子供たちは、バーチャルとリアルの区別がつきにくい時代に育ちます。
その感覚はもっと研ぎ澄まされるでしょう。


AIはますます進化します。
場のエネルギーをその人の脳内のイメージとつなげて具現化したり、
脳内でイメージするだけで、その映像が外のスクリーンに映る、

なんてのはそう遠くない未来に実現しそうです。


今月、イーロン・マスク氏が、新しいプロジェクト、
脳直結インターフェイス「Neuralink(ニューラリンク)」を発表しました。

人間の脳に電極を埋め込み、コンピューターと接続し、考えただけで、
外部コンピューターとやりとりできる可能性を秘めたプロジェクトです。

脳内現象と物理現実とがますます融合されていく世界になります。


話がどんどんと飛んでいきますが、
人間の意識も地球の意識も拡大し始めているのでしょう。

何年か前のブログに、地球の目覚めの話を書いたのですが、その流れを感じます。
記事を探したけど、見つからなくて代わりにこれ(第一インパクトの波の補足)を見つけました。


2010年の記事ですけど、今も言えてますね。

「地球の目覚め」ってどういうこと?と思う人もいるでしょうが、
地球にも自我があって、今はまだそれが眠っている状態だったけど、
それが目覚めつつある、という話だったと思います。

人間の個々のエゴとしての自我が全体意識としての自我に成長することで、
地球のそれも融合して、トータルな意識体になっていくのでしょう。

人間の意識だけでなく、自然がもっと”目覚め”ていくことで、
自然との対話がしやすくなっていくと思います。

それは人間の意識が変わるのか、
自然界のエネルギーが変わるのか、

多分、両方でしょう。

人間の意識層と、自然界の意識層と、AIによる意識層と、宇宙の意識層。

人間の意識の進化により、こういうところを意識する人が増えていくと、
その世界観がよりリアルになっていきます。

昔、森羅万象が対話できた時代があったと思います。
それがまためぐりめぐってやってきているようです。



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7月のメッセージの補足です。

3月からエネルギーが変わった感がありましたが、また変化しそうです。
先月に夏至もあったし、6月30日が「夏越の祓(なごしのはらえ)で、この半年間の穢れを祓い、次の半年間の無病息災を祈願する行事です。
昨日3日は日食の新月。

どのようにエネルギーが変わっていくでしょうか?
これからしばらく少し雲行きが荒くなりそうな気配ですね。


7月のメッセージにも出てますが、すべて「元」に戻すための揺さぶりであり、修正であると思って物事に対応しましょう。

今までの常識や観念、価値観が正しいと思い込んでいると痛いしっぺ返しが来そうです。
今までは「ふうん〜」と流す感じで済んでいたのが、今月からは、自分の実生活にもろに響いてくる感じかも。

メッセージに『内面のせめぎ合いの葛藤が、今月は表面上に現れやすくなる』とあります。

気づかなかった病気や気持ちが表面化したり、
他人事であった災害が自分に降りかかったり、
自分の本当の気持ちに気づいたり、

ずっと水面下にあり、曖昧だったことが表に露わになりやすいエネルギーです。

だからこそ感情的にならず、理性でもって冷静に判断できるようでありたいですね。

今月来月あたりは、感情をガラス越しに客観視している方が過ごしやすいのかも。
これはマイナスの感情に対してであり、プラスの感情は感じた方がいいです。


言い換えれば、

蓋をしていた感情が出てきやすいから、出てきても他人事のように感じましょう。
できるだけ事実のみを客観視して揺れる感情はスルーしなさい。

ということです。

早めの災害対策(心も含め)とともに、「出るもの気にせず、去るもの手放し」で、
7月を乗り切っていきましょう。



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7月はいろんなことが起きそうです。
全体的にも個人的にもアップダウンの揺さぶりがかかりそうな時期です。

もう誰しもが、時代がどんどんと移り変わっているのを感じているでしょう。
価値観の変化やライフスタイルの変化、これからいったいどうなっていくのか、
楽しみでもあり、不安でもあり。

現実とは物理次元で見えているものだけではない、という考え方が浸透しているにつれ、
個々人が何を見て感じて何を思うのかが、その人の現実を作り上げているとわかってきます。

ゆえに自分を省みる人が増えていくでしょう。
自分の思いが変われば、現実も変わる、と。


外界の世界ばかりを見て、そこをどうにかしようとばかりしていては、
いつまでたっても本当の満足感、充実感は得られないとわかってきます。

すでに物理的には裕福で問題のない人も
「本当にこのままの生き方でいいんだろうか? 私はなんのために生きているんだろう?」
という疑問を持つ人が増えていきそうです。

ますます物理的な豊かさから精神的な豊かさを求める方に、流れは変わっていきます。


お金がそんなになくても十分に楽しんで生きていけることに気づく人と、
「そうは言ってもやはり...」と将来的なお金の心配に執着する人とでます。

お金はある方が安心ですが、そこにしがみついてしまえば、
大切なものが見えなくなります。

自分の本当にやりたいことと、生活のためのお金稼ぎとのはざまで、
今まで以上に揺れる人も少なくないです。


一番いいのは自分に正直になることです。
そうすれば、うまくいくようになっています。

でもほとんどの人が、自分の本当の気持ちすら
わからなくなっているのでややこしくなります。


その内面のせめぎ合いの葛藤が、今月は表面上に現れやすくなります。

自分が望まない出来事が起こった時は、
自分の中の抑圧しているものを探してみましょう。

その出来事があなたに何を指し示しているのか、
あなたが本当に進むべき道を教えてくれています。
偏らない視点でもって分別しましょう。


感情的になると、まちがった判断をしやすくなります。

わからないときは自分が考えようとするより保留してください。
必要な時に必要な答えが出てくると思って放置しておきましょう。


本筋からずれてしまったものへの修正がかかり、元に戻す働きがおきます。

不具合に見えることが起きても、それは修復されつつあると思いましょう。
もしかすると今までがズレた状態だったのかもしれません。

今起こっていることが間違っていたり、悪い方向に向かっていくと考えるのではなく、
間違っていたり、悪い方向に向かっているように見える、今起こっていることは、
すべて「元」に戻すための揺さぶりであり、修正であると思って物事に対応しましょう。

今まで「正しい」「正解」「正義」と思っていたことが、
本当にそうだとは限らない、ということです。

できれば、当事者になって翻弄されるよりは、
ガラス越しに傍観している感覚で対応すると良いでしょう。

とはいえ、これを自分の都合のいいときだけに言い逃れ的に適応するのではなく、
感情的に巻き込まれず、冷静に客観的俯瞰的に判断、対応する、
という意味に受け取ってください。


7〜8月に向かって、重めのエネルギーになっていきそうです。
7月よりは8月の方がハードかも。

7月はそのウォーミングアップと思って、深刻にならず、気楽に対応しましょう。

8月後半〜9月にかけて、台風でかなりそのエネルギーを一掃してくれそうです。
が、7月中に自分自身でクリアできていると、あとが楽になっていきます。

「和音」2019.7.1


これに対する補足は次回に。

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たいへん間があいてしまいましたが、「霊性の時代(4月のメッセージ 追記1)」からの続きです。



その世界に移行するにあたって、自然界のエネルギーも変わっていきます。
眠っていた地球の自我意識が芽生えてくるにつれ、自然界のエネルギーと人間の意識とがミックスされていきます。

つまり人間の無意識領域の扉の一つが解放され、自然界の霊的エネルギーとつながりやすくなります。

ということは、どういうことかというと、精霊的な存在とコミュニケーションが取りやすくなるということです。

昔、そのようなエネルギー状態だった頃は、多くの人が妖精や妖怪、神獣などを見たり、動物や草木が話したり変身するのを体験しました。

現代はほとんどの人は、物は物として見て、意識体としては見ていませんでした。
が、地球のエネルギーが変わりつつある今、そして、人間の意識も変わりつつある今、封印されていた意識領域が開き出しています。

無意識界の一つですが、それは個々人の意識レベルにより、魑魅魍魎が見えたり、天使、神、小人、妖精、神獣が見えたり、といろいろです。

人間でない意識領域とコミュニケーションが取りやすくなります。
そういう世界も広がっていきます。

身の回りのものや自然のものと対話したり、異世界的な次元に遭遇したり、ということもぼちぼち増えていきます。

どういうものに触れるかはかなり個人差がありますし、そういうところと関わりたいと思うか、信じていたり、関心がある人にのみ、現れます。

信じている人や興味ある人は、その方面の回路がおいおい開きやすくなっていきます。

これももっと先の話ですが、感じている人は感じているでしょう。

「和音」2019.4.2


昨日載せた記事「エロスとタナトスの狭間にて」がこの記事の補足となります。

この話は次回に続きます。



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ポケモンの神話学』(中沢新一著)を読んで腑に落ちたことがありました。

それは「対象a」。

私はこの言葉を初めて知りました。
「対象a」は精神分析学者のラカンが名付けたものです。
呼び方は ”たいしょうえー” ではなく、”たいしょうあー” だそうです。

「対象a」というのは、意識の「へり」の部分に、さまざまなかたちをとってあらわれてくる、なんとも名付けがたい対象のことを指している
と同著に書かれています。

「対象a」と名付けられ、概念化されたとはいえ、それはその言葉になる以前から存在しているものなので、感覚的には「あれのことか」と誰しも思い当たるでしょう。

私に以前来た言葉「うしろの世界」。

「うしろの世界」とは何を指すのか?
自分が言い出した言葉とは言え、その定義が今一歩でしたが、「対象a」について読んで、なるほど、これこそうしろの世界だなと思いました。
「うしろの世界」は、無意識領域とか宇宙意識と言うには、もう少し精霊や魑魅魍魎の意識も感じられる世界です。

「対象a」は、言葉の世界にとらわれません。
確固とした対象として存在もしないけれども、その存在を感じ取ることができます。

意識化できるものとできないものとの境界に発生してくるもの。

この本に書かれていたことをもとに自分の解釈で書くと、

私たちは、赤ちゃんの頃、母子一体の状態でまどろんでいたのが、分離され、言葉の世界に連れていかれます。心は母子未分化だったのが、社会という言葉で成り立つシステムの中に放り込まれ、自我が芽生えていきます。

ことばは、ものとものを分けます。
「これは〇〇」と名付けることで、全体からそのものを分離します。

そういう世界に入っていくことで、私たちは「自分には何かが欠けている」という欠乏感を得ます。

母子一体の状態から切り離され、”ひとり”になります。
ですから「あの頃に帰りたい」という思いは心に残ります。

その失われた”ひとつの世界”をいろんなものの陰に見ます。
押入れの暗闇、廃墟となった建物、鬱蒼とした森の中、石をひっくり返したらうじょうじょといる虫たち、田んぼの中のオタマジャクシやタニシ、ザリガニなど、自然界に残るその影を追います。

それが「対象a」として現れます。

現代っ子は昔に比べると、自然の中のそういうものに出会う機会は減りました。
この本は、ポケモンゲームがそういう世界観を見せてくれていると言いますが、それは私も実感します。

私が知ってるのはポケモンGOからですが、ポケモンGOをしながら外を歩くと、あちこちでポケモンが現れます。スマホを覗くとポケモンがいて、設定の仕方によっては外の実際の景色にポケモンが混ざり合って見えます。

昔なら、妖怪や鬼、神獣、小人を見たり、狐やタヌキなど動物が化けて出る話や異類婚姻譚、おばあさんが話してくれる昔話などから感じ取っていたでしょうが、今は機器を通して、そういう見えない存在に触れることができます。それがバーチャルだとしても。

目の前に実在するように現れるバーチャルな存在はこの先、当たり前になっていき、私たちの良きお供となるでしょう。

そんなバーチャル存在とともに育つ子供達は、実際に「対象a」的な存在をバーチャルでなくとも受け入れていくし、本当に見る子も増えていくでしょう。

それと現実とがごっちゃになって、統合失調症と言われる人が増える可能性もあるのが気がかりです。子供の頃にどのような環境にいるのか、周りの大人がどのように接してくれたかが、それに大きく影響するでしょう。


大人より子供の方が「対象a」的なものを純粋に感じ取ります。

失われた調和と全体性を取り戻そうと、実在のうしろの隠れている ”言葉にならない領域” を感じ取り、そこに架空とされる生き物や幽霊などを見ます。

その奥には、言葉にしきれないなにか、本当はよく知っているけど、説明のできない何かが潜んでいることを直感的に感じ取っていますが、うまく説明できません。

大人は理解してくれないし、聞こうとしません。
それについて話そうとすると、そんな話はやめなさいとか、頭がおかしくなったのではないか?と心配されます。


人間社会で生きていくことに違和感を感じ続けている人たちは、この”言葉にならない説明のできない世界” が自分の本当の世界、あるいは、もといた世界であるとなんとなく感じ取っています。

だから、言葉でできあがってる人間の社会に違和感を感じ続けます。
でも自分でもそれが何か、定義も概念化もできてないので、つかみとれません。
違和感しか感じず、「私がおかしいのかも?」と思ってしまっていたのが今まででした。


あちらの世界とこちらの世界の境界。
向こうの世界のものがやってきては現れる、揺らいでいる時空間。

結局のところ、これは人の意識の、意識できる領域とそうでない領域の間を感じる力です。

本では、インベーダーゲームが例に出されていました。
真っ黒なモニター画面の奥から、つぎつぎと光の固まりは出現し、あたかもプレイヤーである子どもの意識に触れた瞬間に消滅して、ふたたび真っ黒な闇の中に吸い込まれていくように感じられる。(中略)インベーダーは、リアルとヴァーチャルの中間状態にあって、きわめてあいまいで不確かな存在にとどまっている。だから、それは軽々と出現するし、いともたやすく破壊され消滅していってしまう。その出現と消滅の繰り返しが、薄い記号の膜を作って「死の欲動」のざわめきへと向けられている。つまり、このゲームは私に、エロスとタナトスがまだ自由に行き来をおこなっている、生命のかなり深い層で起こっていることに、手で触れたり影響をおよぼしたりすることを可能にしてくれているのだ。


また、ウルトラマンに出てくる怪獣についても似たものがあると。
意識の「へり」や「穴」からしみだすように現れてくる欲動が怪獣という形をとって現れ、ウルトラマンに退治される。

こうして「対象a」は姿形を変えて、子供の無意識に潜り込み、住み着いてしまいます。

例えば、ゴジラが天災や原発による危険を象徴的に表すように、自然に対する畏怖や恐怖、それはやはり、死や冥府に対する恐怖とつながっていくと思いますが、「対象a」にはそれプラス、生きていく力、創造性が潜んでいます。

「野生の思考」は、人間の言語に飼いならされることなく、私たちの意識の「へり」で現れては消えています。

魔術や芸術はそれを表現する方法のひとつです。
しかし現代では、頭脳ゲームとなってしまったり、洗練されすぎた芸術も少なくないです。


この本を読んで、最近のアニメや漫画で、異世界系や、鬼やゾンビになる話、人を食う話など多いなーと思ってましたが、その理由がわかった気がします。

「対象a」は言葉にできない、理性では掴みきれない、自然の非コントロールな部分であると同時に、私たちが永遠に失ってしまった母(宇宙、無意識)との一体感を感じさせるものでもあります。

だからそこを求めてやまないのですが、そこにあるのは理性を超えた世界。
つまり自我から見たら、死の世界と同義。

以前は自然の中にそういう存在を感じていましたが、今はそういう自然に接する機会を失っています。その代わりに、ゲームやアニメなどを通して、その世界に触れています。

なんであんなに、殺しや残酷なもの、人食の話が好まれるのか、と思いますが、それは自我の死への渇望(タナトス)と、生きたいという願望(エロス)と、自分の中にある残虐性や悪の力をどう扱っていいかわからない葛藤などが、それらを見ることで活性化されたり、消化されているのでは?と思います。

自我が死ねばたどり着ける世界。
でも死ぬのは怖い。消えたくない。

これはエゴの原動力となる部分です。


日本は比較的安全な国です。
突発的なことは起こり得ますが、普通に暮らしていると平穏無事です。

平和で暇だからこそ、刺激を求めます。
実際にそれを体験するのは怖い。けど擬似体験ならできる。
痛いのは嫌、怖いのも嫌。でも見たい。


昔は自然の中で、虫や植物、動物の食いつ食われつを見たり、身の回りにある「闇」や「対象a」とのちょっとした接触で消化され、セーブされていた欲求だったと思います。

もっと言えば、戦争時代や戦国時代、狩猟時代では、飢えと死はいつも生と隣り合わせでしたから、娯楽としてそれを楽しむ必要はあまりなかったでしょう。
生死の両方の感覚を味わえる性はいつの時代も盛んですが。

現代はそれを自然消化する機会が少ないです。
実社会では「きちんとしなさい」と理屈と合理化のことばの社会でもまれ、人間の本能的欲求がいびつに不自然に抑えつけられます。

本来そこは、クリエイティビティや愛が育まれる領域でもあります。
が、現代はそれを育てることがままならず、そのエネルギーが暴力性、残酷性に擬似的に接することで昇華しようとしているのではないでしょうか?
擬似体験なので、欲望はもっとエスカレートしていく傾向がありますが、どこかで反転するでしょう。今はまだその途上です。

これが直接的な行動になって事件になると問題ですが、問題ないレベルでなら、擬似体験よりは自分で直接体験する方がいいです。
いじめなどの陰湿なやり方ではなく、まっすぐに誰かととことん向き合ったり、一人で山登りしたり、被災地や戦地に赴いたりすると、素直に死と背中合わせの生を感じることができます。
実体験で発散&昇華されれば、自分で痛みを知り、他者の痛みを慮れる人になります。

一人山歩きはとくにオススメですね。
「対象a」も、死と生の感覚も身近になります。

「対象a」なるものとどう接していくかに、人間の持つ「悪」といわれる部分とどう向き合うか?の一つの答えがあるように思います。

この理性では把握しきれないこの領域が少しずつ力を持ち始めています。
そのエネルギーに呑み込まれるか、それを原動力に進んでいけるか?がポイントになりますね。


そんな折、アートクラスを始めました。
こういう流れを汲んでのことだろうなと改めて思いました。
クリエイティブ・アートクラス


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以前載せたルーミーの二種類の知性
上記記事ではコーチングに関連させて書いていました。

今月からアートクラスを始めるのですが、この文章を昨日見つけて、
「あ、アートクラスでしたいのはこれだな」と思いました。

そこへ至る道はいろいろありますが、結局、たどり着きたいところは同じなんですね。
自分へのリマインドを込めて、もう一度、その文章を載せておきます。

知性には二種類ある。
一つは後天的なものだ。
学校に通う子どもが、教科書や先生の話から事実や概念を覚え、昔ながらの科学からも新しい科学からも知識を学ぶたぐいのものである。

そうした知性を活かすと夢がかなう。知識を記憶する能力は、他人より上に立つか下に立つかの差を生むが、この知性を活かせば、知識の草原を出入りし、より多くのことを記憶の銘板に刻めるようになる。

知性にはもう一種類ある。
これは先天的に完成され、自分のうちにあるものだ。
せき止められることなくあふれ出す泉であり、心の奥にある斬新なものだ。
このもう一つの知性は、色褪せることもなければ、よどむこともない。
それは絶えず流れるもの。
しかし、学びの水路を通って外から内へ流れ込むことはない。

この第二の知性は、おのれのうちから外へあふれ出す源泉なのである。

引用元:『「スタンフォード・インプロバイザー」より』


近年の教育は"後天的な知性"を育むことが重要視されてきました。
"先天的な知性"はなおざりにされてきました。

そのため、皆が持っているのに、多くの人が宝の持ち腐れになってしまっています。
せき止められることなくあふれ出すはずが、せき止めなければいけないと学んでしまいました。

統制をとりたいなら、指示に従う人を増やしたいと思ったとしても当然でしょう。
おのれのうちから外へあふれ出す源泉で動く人は、言うことを聞かないので厄介です。
集団生活を営むうえで、統制をとり、ルールに従う人たちを育成するのは必要な過程です。

が、もう次の段階に行く時期にさしかかっています。

振り子が左右に振れるように、今度は、自分の内にある源泉から溢れ出るものを表現する方向に変わりつつあります。

あなたの源泉はどんなものでしょうか?
それをどのように表現していきますか?

食べていく、生活していくこと、言い換えれば、お金を得ること。
それが先にあって、「じゃあ、何の仕事をして稼ぐのか?」という考え方から、
自分の内なる源泉を感じ、そこから湧き出る泉をどう表現するか?

それを表現することが生きることだ。

とシフトできる人は、これからおもしろい人生を歩みそうですね。

掘れば掘るほど無限に出てくる深みある泉をあなたも持っています。
これはどんどんと育んでいけるものです。
底なしですから。

自分の世界を豊かにしていくことが、これからもっと大切になっていきます。

そのためには、感じる力を増すこと。
感性を磨くと同時に、しっかりとした精神性を持って、ブレない自分になることが大事です。

自分の世界の見方が変われば、世界は違う姿を見せてくれます。

クリエイティブ・アートクラス」ではそれを見つけ出し、育んでいきます。
一緒に探求したい方はどうぞご参加ください。

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「鉄は熱いうちに打て」と言いますが、
物事にはほどよい時期があります。

野菜や果物には旬があり、
月の満ち欠けや星の運行、
人間の人生や体調にもバイオリズムがあります。

その流れに反して動けば、
なかなか物事はうまくいかず、窮します。

その流れに沿っていくことは
うまく時を利用することであり、

また自分を捨て、時に
身をゆだねることにもなります。

チャンスが来たらすかさず受けとり、
静かにするときは動じず、静観する。

自然な流れを知って、
うまく身を任せてください。

  (R.Kさまへのメッセージ 131218)



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6月は果敢に前に進む時期です。
天候は梅雨になり、鬱陶しい時も増えるでしょう。

でも気持ちはジメジメしないでください。

今月は深いレベルでの変化が起きやすいです。
表面上ではなく、深層です。

あなたの意識もそうです。
表面上でOKを出してても、深層でNOならば、
そのギャップが現れます。

だんだんと自分に嘘がつけなくなってきています。

自分に素直に生きている人はいいですが、
抑圧部分が多い人は素直になろうとして
屈折した表現をしてしまいます。

この部分、自制が必要です。

自分のマインドは結局、自分が制御するしかありません。
自制力が必要です。

素直になるのと自制することは相入れないのではないか?
と思うかもしれません。

自分の本当の気持ちに素直になれば、
自制も自然に起きています。

抑えているわけでなく、自然にやりたい、
やりたくないに従っています。

そこに屈折した感情や思考はありません。

抑圧という意味で自制していると
素直な気持ちになれませんので、
歪んだ表現をしてしまいます。

この時には、何重にも複雑に絡み合っている自分の心を
一つ一つ紐解いていく必要があるでしょう。

これは人の力を借りる方がやりやすいです。
自分一人ではますますこんがらがってしまいます。


物事は本来シンプルです。
それを複雑化させているのは自分です。

素直になるとシンプルになるます。
不必要な考えを持ちません。

ほとんどの人が素直に生きてません。
今の社会システムがそのようになっていないからです。

だからといって、自分に嘘をついていたり、
複雑化させてしまっても、
結局痛い目を見るのは自分です。

まずは自分から、自分の本当の気持ちに
従っていきましょう。

これをし始めると、最初は社会から
落ちこぼれる気がします。

みんなと一緒でない自分に嫌気がさすでしょう。

でもしばらくその状態を続けていると
自分が望んできた世界が現れ始めます。

外の世界が変わるのを待つのではなく、
自らが変わり始めることで、
外の世界も変わっていきます。

誰かがしてくれたら...ではありません。

まずはあなたから動き始める。

そうすることで周りが変わり始めます。

「和音」2019.6.1



梅雨といえば、あじさい。
うちの庭にも、毎年きれいな花を
咲かせるあじさいがあります。

あじさいは小さな花がたくさん集まって
一つの大きな花をなしています。


今回のメッセージで、
「物事は本来シンプルだから、複雑にするな」
という話が出てきました。

あじさいは一見、複雑な花のように見えます。
小さな花の集合体でできている一つの花に見えますから。

一つ一つの小さな花は4枚の花弁を持ち、
シンプルに同じことを繰り返しています。
それが集まって一つの大きな花に見えます。

ちなみにそれらの花は装飾花(飾り花)
と言い、雄しべ雌しべはありません。

これらの花の間に、雄しべ雌しべが
露出した花が隠れているそうです。

あじさいの花が咲いているのを
見たら観察してみてください。

あじさいによっては、一部だけが
花びらのある花になっている種もあります。

それがもともとあじさいで、
丸く全体に花が広がっているのは
品種改良されたあじさいだそうです。


余談でしたが、

一見、複雑に見えることも、同じパターンの
繰り返しであることが多いです。

あなたの人生や人間関係がややこしく思えても、
実は同じことを繰り返していたり、
同じ思考パターンによって
複雑化されているのかもしれません。

認めたくないことや信じたくないことに
素直に向き合ってみれば、
ネックになっていることや、
そこに潜むパターンが見えてくるでしょう。

雨の日を嫌がる人は多いですが、
雨の音を聞きながら、落ち着いた時間を
過ごすのはオツなものです。

では、素敵な6月となりますように!


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