いのちおり - 本来の自分に還るために

人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ(旧ブログタイトル:たまむすひ)
                                    

7月のメッセージの補足です。

3月からエネルギーが変わった感がありましたが、また変化しそうです。
先月に夏至もあったし、6月30日が「夏越の祓(なごしのはらえ)で、この半年間の穢れを祓い、次の半年間の無病息災を祈願する行事です。
昨日3日は日食の新月。

どのようにエネルギーが変わっていくでしょうか?
これからしばらく少し雲行きが荒くなりそうな気配ですね。


7月のメッセージにも出てますが、すべて「元」に戻すための揺さぶりであり、修正であると思って物事に対応しましょう。

今までの常識や観念、価値観が正しいと思い込んでいると痛いしっぺ返しが来そうです。
今までは「ふうん〜」と流す感じで済んでいたのが、今月からは、自分の実生活にもろに響いてくる感じかも。

メッセージに『内面のせめぎ合いの葛藤が、今月は表面上に現れやすくなる』とあります。

気づかなかった病気や気持ちが表面化したり、
他人事であった災害が自分に降りかかったり、
自分の本当の気持ちに気づいたり、

ずっと水面下にあり、曖昧だったことが表に露わになりやすいエネルギーです。

だからこそ感情的にならず、理性でもって冷静に判断できるようでありたいですね。

今月来月あたりは、感情をガラス越しに客観視している方が過ごしやすいのかも。
これはマイナスの感情に対してであり、プラスの感情は感じた方がいいです。


言い換えれば、

蓋をしていた感情が出てきやすいから、出てきても他人事のように感じましょう。
できるだけ事実のみを客観視して揺れる感情はスルーしなさい。

ということです。

早めの災害対策(心も含め)とともに、「出るもの気にせず、去るもの手放し」で、
7月を乗り切っていきましょう。



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7月はいろんなことが起きそうです。
全体的にも個人的にもアップダウンの揺さぶりがかかりそうな時期です。

もう誰しもが、時代がどんどんと移り変わっているのを感じているでしょう。
価値観の変化やライフスタイルの変化、これからいったいどうなっていくのか、
楽しみでもあり、不安でもあり。

現実とは物理次元で見えているものだけではない、という考え方が浸透しているにつれ、
個々人が何を見て感じて何を思うのかが、その人の現実を作り上げているとわかってきます。

ゆえに自分を省みる人が増えていくでしょう。
自分の思いが変われば、現実も変わる、と。


外界の世界ばかりを見て、そこをどうにかしようとばかりしていては、
いつまでたっても本当の満足感、充実感は得られないとわかってきます。

すでに物理的には裕福で問題のない人も
「本当にこのままの生き方でいいんだろうか? 私はなんのために生きているんだろう?」
という疑問を持つ人が増えていきそうです。

ますます物理的な豊かさから精神的な豊かさを求める方に、流れは変わっていきます。


お金がそんなになくても十分に楽しんで生きていけることに気づく人と、
「そうは言ってもやはり...」と将来的なお金の心配に執着する人とでます。

お金はある方が安心ですが、そこにしがみついてしまえば、
大切なものが見えなくなります。

自分の本当にやりたいことと、生活のためのお金稼ぎとのはざまで、
今まで以上に揺れる人も少なくないです。


一番いいのは自分に正直になることです。
そうすれば、うまくいくようになっています。

でもほとんどの人が、自分の本当の気持ちすら
わからなくなっているのでややこしくなります。


その内面のせめぎ合いの葛藤が、今月は表面上に現れやすくなります。

自分が望まない出来事が起こった時は、
自分の中の抑圧しているものを探してみましょう。

その出来事があなたに何を指し示しているのか、
あなたが本当に進むべき道を教えてくれています。
偏らない視点でもって分別しましょう。


感情的になると、まちがった判断をしやすくなります。

わからないときは自分が考えようとするより保留してください。
必要な時に必要な答えが出てくると思って放置しておきましょう。


本筋からずれてしまったものへの修正がかかり、元に戻す働きがおきます。

不具合に見えることが起きても、それは修復されつつあると思いましょう。
もしかすると今までがズレた状態だったのかもしれません。

今起こっていることが間違っていたり、悪い方向に向かっていくと考えるのではなく、
間違っていたり、悪い方向に向かっているように見える、今起こっていることは、
すべて「元」に戻すための揺さぶりであり、修正であると思って物事に対応しましょう。

今まで「正しい」「正解」「正義」と思っていたことが、
本当にそうだとは限らない、ということです。

できれば、当事者になって翻弄されるよりは、
ガラス越しに傍観している感覚で対応すると良いでしょう。

とはいえ、これを自分の都合のいいときだけに言い逃れ的に適応するのではなく、
感情的に巻き込まれず、冷静に客観的俯瞰的に判断、対応する、
という意味に受け取ってください。


7〜8月に向かって、重めのエネルギーになっていきそうです。
7月よりは8月の方がハードかも。

7月はそのウォーミングアップと思って、深刻にならず、気楽に対応しましょう。

8月後半〜9月にかけて、台風でかなりそのエネルギーを一掃してくれそうです。
が、7月中に自分自身でクリアできていると、あとが楽になっていきます。

「和音」2019.7.1


これに対する補足は次回に。

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たいへん間があいてしまいましたが、「霊性の時代(4月のメッセージ 追記1)」からの続きです。



その世界に移行するにあたって、自然界のエネルギーも変わっていきます。
眠っていた地球の自我意識が芽生えてくるにつれ、自然界のエネルギーと人間の意識とがミックスされていきます。

つまり人間の無意識領域の扉の一つが解放され、自然界の霊的エネルギーとつながりやすくなります。

ということは、どういうことかというと、精霊的な存在とコミュニケーションが取りやすくなるということです。

昔、そのようなエネルギー状態だった頃は、多くの人が妖精や妖怪、神獣などを見たり、動物や草木が話したり変身するのを体験しました。

現代はほとんどの人は、物は物として見て、意識体としては見ていませんでした。
が、地球のエネルギーが変わりつつある今、そして、人間の意識も変わりつつある今、封印されていた意識領域が開き出しています。

無意識界の一つですが、それは個々人の意識レベルにより、魑魅魍魎が見えたり、天使、神、小人、妖精、神獣が見えたり、といろいろです。

人間でない意識領域とコミュニケーションが取りやすくなります。
そういう世界も広がっていきます。

身の回りのものや自然のものと対話したり、異世界的な次元に遭遇したり、ということもぼちぼち増えていきます。

どういうものに触れるかはかなり個人差がありますし、そういうところと関わりたいと思うか、信じていたり、関心がある人にのみ、現れます。

信じている人や興味ある人は、その方面の回路がおいおい開きやすくなっていきます。

これももっと先の話ですが、感じている人は感じているでしょう。

「和音」2019.4.2


昨日載せた記事「エロスとタナトスの狭間にて」がこの記事の補足となります。

この話は次回に続きます。



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ポケモンの神話学』(中沢新一著)を読んで腑に落ちたことがありました。

それは「対象a」。

私はこの言葉を初めて知りました。
「対象a」は精神分析学者のラカンが名付けたものです。
呼び方は ”たいしょうえー” ではなく、”たいしょうあー” だそうです。

「対象a」というのは、意識の「へり」の部分に、さまざまなかたちをとってあらわれてくる、なんとも名付けがたい対象のことを指している
と同著に書かれています。

「対象a」と名付けられ、概念化されたとはいえ、それはその言葉になる以前から存在しているものなので、感覚的には「あれのことか」と誰しも思い当たるでしょう。

私に以前来た言葉「うしろの世界」。

「うしろの世界」とは何を指すのか?
自分が言い出した言葉とは言え、その定義が今一歩でしたが、「対象a」について読んで、なるほど、これこそうしろの世界だなと思いました。
「うしろの世界」は、無意識領域とか宇宙意識と言うには、もう少し精霊や魑魅魍魎の意識も感じられる世界です。

「対象a」は、言葉の世界にとらわれません。
確固とした対象として存在もしないけれども、その存在を感じ取ることができます。

意識化できるものとできないものとの境界に発生してくるもの。

この本に書かれていたことをもとに自分の解釈で書くと、

私たちは、赤ちゃんの頃、母子一体の状態でまどろんでいたのが、分離され、言葉の世界に連れていかれます。心は母子未分化だったのが、社会という言葉で成り立つシステムの中に放り込まれ、自我が芽生えていきます。

ことばは、ものとものを分けます。
「これは〇〇」と名付けることで、全体からそのものを分離します。

そういう世界に入っていくことで、私たちは「自分には何かが欠けている」という欠乏感を得ます。

母子一体の状態から切り離され、”ひとり”になります。
ですから「あの頃に帰りたい」という思いは心に残ります。

その失われた”ひとつの世界”をいろんなものの陰に見ます。
押入れの暗闇、廃墟となった建物、鬱蒼とした森の中、石をひっくり返したらうじょうじょといる虫たち、田んぼの中のオタマジャクシやタニシ、ザリガニなど、自然界に残るその影を追います。

それが「対象a」として現れます。

現代っ子は昔に比べると、自然の中のそういうものに出会う機会は減りました。
この本は、ポケモンゲームがそういう世界観を見せてくれていると言いますが、それは私も実感します。

私が知ってるのはポケモンGOからですが、ポケモンGOをしながら外を歩くと、あちこちでポケモンが現れます。スマホを覗くとポケモンがいて、設定の仕方によっては外の実際の景色にポケモンが混ざり合って見えます。

昔なら、妖怪や鬼、神獣、小人を見たり、狐やタヌキなど動物が化けて出る話や異類婚姻譚、おばあさんが話してくれる昔話などから感じ取っていたでしょうが、今は機器を通して、そういう見えない存在に触れることができます。それがバーチャルだとしても。

目の前に実在するように現れるバーチャルな存在はこの先、当たり前になっていき、私たちの良きお供となるでしょう。

そんなバーチャル存在とともに育つ子供達は、実際に「対象a」的な存在をバーチャルでなくとも受け入れていくし、本当に見る子も増えていくでしょう。

それと現実とがごっちゃになって、統合失調症と言われる人が増える可能性もあるのが気がかりです。子供の頃にどのような環境にいるのか、周りの大人がどのように接してくれたかが、それに大きく影響するでしょう。


大人より子供の方が「対象a」的なものを純粋に感じ取ります。

失われた調和と全体性を取り戻そうと、実在のうしろの隠れている ”言葉にならない領域” を感じ取り、そこに架空とされる生き物や幽霊などを見ます。

その奥には、言葉にしきれないなにか、本当はよく知っているけど、説明のできない何かが潜んでいることを直感的に感じ取っていますが、うまく説明できません。

大人は理解してくれないし、聞こうとしません。
それについて話そうとすると、そんな話はやめなさいとか、頭がおかしくなったのではないか?と心配されます。


人間社会で生きていくことに違和感を感じ続けている人たちは、この”言葉にならない説明のできない世界” が自分の本当の世界、あるいは、もといた世界であるとなんとなく感じ取っています。

だから、言葉でできあがってる人間の社会に違和感を感じ続けます。
でも自分でもそれが何か、定義も概念化もできてないので、つかみとれません。
違和感しか感じず、「私がおかしいのかも?」と思ってしまっていたのが今まででした。


あちらの世界とこちらの世界の境界。
向こうの世界のものがやってきては現れる、揺らいでいる時空間。

結局のところ、これは人の意識の、意識できる領域とそうでない領域の間を感じる力です。

本では、インベーダーゲームが例に出されていました。
真っ黒なモニター画面の奥から、つぎつぎと光の固まりは出現し、あたかもプレイヤーである子どもの意識に触れた瞬間に消滅して、ふたたび真っ黒な闇の中に吸い込まれていくように感じられる。(中略)インベーダーは、リアルとヴァーチャルの中間状態にあって、きわめてあいまいで不確かな存在にとどまっている。だから、それは軽々と出現するし、いともたやすく破壊され消滅していってしまう。その出現と消滅の繰り返しが、薄い記号の膜を作って「死の欲動」のざわめきへと向けられている。つまり、このゲームは私に、エロスとタナトスがまだ自由に行き来をおこなっている、生命のかなり深い層で起こっていることに、手で触れたり影響をおよぼしたりすることを可能にしてくれているのだ。


また、ウルトラマンに出てくる怪獣についても似たものがあると。
意識の「へり」や「穴」からしみだすように現れてくる欲動が怪獣という形をとって現れ、ウルトラマンに退治される。

こうして「対象a」は姿形を変えて、子供の無意識に潜り込み、住み着いてしまいます。

例えば、ゴジラが天災や原発による危険を象徴的に表すように、自然に対する畏怖や恐怖、それはやはり、死や冥府に対する恐怖とつながっていくと思いますが、「対象a」にはそれプラス、生きていく力、創造性が潜んでいます。

「野生の思考」は、人間の言語に飼いならされることなく、私たちの意識の「へり」で現れては消えています。

魔術や芸術はそれを表現する方法のひとつです。
しかし現代では、頭脳ゲームとなってしまったり、洗練されすぎた芸術も少なくないです。


この本を読んで、最近のアニメや漫画で、異世界系や、鬼やゾンビになる話、人を食う話など多いなーと思ってましたが、その理由がわかった気がします。

「対象a」は言葉にできない、理性では掴みきれない、自然の非コントロールな部分であると同時に、私たちが永遠に失ってしまった母(宇宙、無意識)との一体感を感じさせるものでもあります。

だからそこを求めてやまないのですが、そこにあるのは理性を超えた世界。
つまり自我から見たら、死の世界と同義。

以前は自然の中にそういう存在を感じていましたが、今はそういう自然に接する機会を失っています。その代わりに、ゲームやアニメなどを通して、その世界に触れています。

なんであんなに、殺しや残酷なもの、人食の話が好まれるのか、と思いますが、それは自我の死への渇望(タナトス)と、生きたいという願望(エロス)と、自分の中にある残虐性や悪の力をどう扱っていいかわからない葛藤などが、それらを見ることで活性化されたり、消化されているのでは?と思います。

自我が死ねばたどり着ける世界。
でも死ぬのは怖い。消えたくない。

これはエゴの原動力となる部分です。


日本は比較的安全な国です。
突発的なことは起こり得ますが、普通に暮らしていると平穏無事です。

平和で暇だからこそ、刺激を求めます。
実際にそれを体験するのは怖い。けど擬似体験ならできる。
痛いのは嫌、怖いのも嫌。でも見たい。


昔は自然の中で、虫や植物、動物の食いつ食われつを見たり、身の回りにある「闇」や「対象a」とのちょっとした接触で消化され、セーブされていた欲求だったと思います。

もっと言えば、戦争時代や戦国時代、狩猟時代では、飢えと死はいつも生と隣り合わせでしたから、娯楽としてそれを楽しむ必要はあまりなかったでしょう。
生死の両方の感覚を味わえる性はいつの時代も盛んですが。

現代はそれを自然消化する機会が少ないです。
実社会では「きちんとしなさい」と理屈と合理化のことばの社会でもまれ、人間の本能的欲求がいびつに不自然に抑えつけられます。

本来そこは、クリエイティビティや愛が育まれる領域でもあります。
が、現代はそれを育てることがままならず、そのエネルギーが暴力性、残酷性に擬似的に接することで昇華しようとしているのではないでしょうか?
擬似体験なので、欲望はもっとエスカレートしていく傾向がありますが、どこかで反転するでしょう。今はまだその途上です。

これが直接的な行動になって事件になると問題ですが、問題ないレベルでなら、擬似体験よりは自分で直接体験する方がいいです。
いじめなどの陰湿なやり方ではなく、まっすぐに誰かととことん向き合ったり、一人で山登りしたり、被災地や戦地に赴いたりすると、素直に死と背中合わせの生を感じることができます。
実体験で発散&昇華されれば、自分で痛みを知り、他者の痛みを慮れる人になります。

一人山歩きはとくにオススメですね。
「対象a」も、死と生の感覚も身近になります。

「対象a」なるものとどう接していくかに、人間の持つ「悪」といわれる部分とどう向き合うか?の一つの答えがあるように思います。

この理性では把握しきれないこの領域が少しずつ力を持ち始めています。
そのエネルギーに呑み込まれるか、それを原動力に進んでいけるか?がポイントになりますね。


そんな折、アートクラスを始めました。
こういう流れを汲んでのことだろうなと改めて思いました。
クリエイティブ・アートクラス


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以前載せたルーミーの二種類の知性
上記記事ではコーチングに関連させて書いていました。

今月からアートクラスを始めるのですが、この文章を昨日見つけて、
「あ、アートクラスでしたいのはこれだな」と思いました。

そこへ至る道はいろいろありますが、結局、たどり着きたいところは同じなんですね。
自分へのリマインドを込めて、もう一度、その文章を載せておきます。

知性には二種類ある。
一つは後天的なものだ。
学校に通う子どもが、教科書や先生の話から事実や概念を覚え、昔ながらの科学からも新しい科学からも知識を学ぶたぐいのものである。

そうした知性を活かすと夢がかなう。知識を記憶する能力は、他人より上に立つか下に立つかの差を生むが、この知性を活かせば、知識の草原を出入りし、より多くのことを記憶の銘板に刻めるようになる。

知性にはもう一種類ある。
これは先天的に完成され、自分のうちにあるものだ。
せき止められることなくあふれ出す泉であり、心の奥にある斬新なものだ。
このもう一つの知性は、色褪せることもなければ、よどむこともない。
それは絶えず流れるもの。
しかし、学びの水路を通って外から内へ流れ込むことはない。

この第二の知性は、おのれのうちから外へあふれ出す源泉なのである。

引用元:『「スタンフォード・インプロバイザー」より』


近年の教育は"後天的な知性"を育むことが重要視されてきました。
"先天的な知性"はなおざりにされてきました。

そのため、皆が持っているのに、多くの人が宝の持ち腐れになってしまっています。
せき止められることなくあふれ出すはずが、せき止めなければいけないと学んでしまいました。

統制をとりたいなら、指示に従う人を増やしたいと思ったとしても当然でしょう。
おのれのうちから外へあふれ出す源泉で動く人は、言うことを聞かないので厄介です。
集団生活を営むうえで、統制をとり、ルールに従う人たちを育成するのは必要な過程です。

が、もう次の段階に行く時期にさしかかっています。

振り子が左右に振れるように、今度は、自分の内にある源泉から溢れ出るものを表現する方向に変わりつつあります。

あなたの源泉はどんなものでしょうか?
それをどのように表現していきますか?

食べていく、生活していくこと、言い換えれば、お金を得ること。
それが先にあって、「じゃあ、何の仕事をして稼ぐのか?」という考え方から、
自分の内なる源泉を感じ、そこから湧き出る泉をどう表現するか?

それを表現することが生きることだ。

とシフトできる人は、これからおもしろい人生を歩みそうですね。

掘れば掘るほど無限に出てくる深みある泉をあなたも持っています。
これはどんどんと育んでいけるものです。
底なしですから。

自分の世界を豊かにしていくことが、これからもっと大切になっていきます。

そのためには、感じる力を増すこと。
感性を磨くと同時に、しっかりとした精神性を持って、ブレない自分になることが大事です。

自分の世界の見方が変われば、世界は違う姿を見せてくれます。

クリエイティブ・アートクラス」ではそれを見つけ出し、育んでいきます。
一緒に探求したい方はどうぞご参加ください。

興味を惹かれた人はここをクリック!


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「鉄は熱いうちに打て」と言いますが、
物事にはほどよい時期があります。

野菜や果物には旬があり、
月の満ち欠けや星の運行、
人間の人生や体調にもバイオリズムがあります。

その流れに反して動けば、
なかなか物事はうまくいかず、窮します。

その流れに沿っていくことは
うまく時を利用することであり、

また自分を捨て、時に
身をゆだねることにもなります。

チャンスが来たらすかさず受けとり、
静かにするときは動じず、静観する。

自然な流れを知って、
うまく身を任せてください。

  (R.Kさまへのメッセージ 131218)



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6月は果敢に前に進む時期です。
天候は梅雨になり、鬱陶しい時も増えるでしょう。

でも気持ちはジメジメしないでください。

今月は深いレベルでの変化が起きやすいです。
表面上ではなく、深層です。

あなたの意識もそうです。
表面上でOKを出してても、深層でNOならば、
そのギャップが現れます。

だんだんと自分に嘘がつけなくなってきています。

自分に素直に生きている人はいいですが、
抑圧部分が多い人は素直になろうとして
屈折した表現をしてしまいます。

この部分、自制が必要です。

自分のマインドは結局、自分が制御するしかありません。
自制力が必要です。

素直になるのと自制することは相入れないのではないか?
と思うかもしれません。

自分の本当の気持ちに素直になれば、
自制も自然に起きています。

抑えているわけでなく、自然にやりたい、
やりたくないに従っています。

そこに屈折した感情や思考はありません。

抑圧という意味で自制していると
素直な気持ちになれませんので、
歪んだ表現をしてしまいます。

この時には、何重にも複雑に絡み合っている自分の心を
一つ一つ紐解いていく必要があるでしょう。

これは人の力を借りる方がやりやすいです。
自分一人ではますますこんがらがってしまいます。


物事は本来シンプルです。
それを複雑化させているのは自分です。

素直になるとシンプルになるます。
不必要な考えを持ちません。

ほとんどの人が素直に生きてません。
今の社会システムがそのようになっていないからです。

だからといって、自分に嘘をついていたり、
複雑化させてしまっても、
結局痛い目を見るのは自分です。

まずは自分から、自分の本当の気持ちに
従っていきましょう。

これをし始めると、最初は社会から
落ちこぼれる気がします。

みんなと一緒でない自分に嫌気がさすでしょう。

でもしばらくその状態を続けていると
自分が望んできた世界が現れ始めます。

外の世界が変わるのを待つのではなく、
自らが変わり始めることで、
外の世界も変わっていきます。

誰かがしてくれたら...ではありません。

まずはあなたから動き始める。

そうすることで周りが変わり始めます。

「和音」2019.6.1



梅雨といえば、あじさい。
うちの庭にも、毎年きれいな花を
咲かせるあじさいがあります。

あじさいは小さな花がたくさん集まって
一つの大きな花をなしています。


今回のメッセージで、
「物事は本来シンプルだから、複雑にするな」
という話が出てきました。

あじさいは一見、複雑な花のように見えます。
小さな花の集合体でできている一つの花に見えますから。

一つ一つの小さな花は4枚の花弁を持ち、
シンプルに同じことを繰り返しています。
それが集まって一つの大きな花に見えます。

ちなみにそれらの花は装飾花(飾り花)
と言い、雄しべ雌しべはありません。

これらの花の間に、雄しべ雌しべが
露出した花が隠れているそうです。

あじさいの花が咲いているのを
見たら観察してみてください。

あじさいによっては、一部だけが
花びらのある花になっている種もあります。

それがもともとあじさいで、
丸く全体に花が広がっているのは
品種改良されたあじさいだそうです。


余談でしたが、

一見、複雑に見えることも、同じパターンの
繰り返しであることが多いです。

あなたの人生や人間関係がややこしく思えても、
実は同じことを繰り返していたり、
同じ思考パターンによって
複雑化されているのかもしれません。

認めたくないことや信じたくないことに
素直に向き合ってみれば、
ネックになっていることや、
そこに潜むパターンが見えてくるでしょう。

雨の日を嫌がる人は多いですが、
雨の音を聞きながら、落ち着いた時間を
過ごすのはオツなものです。

では、素敵な6月となりますように!


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あなた自身が愛なのだから、
愛にこだわる必要はない。
  
あなたがあなたであるならば
それほど愛なことはない。
 
自分を愛することは、人を愛すること。
人を愛することは、自分を愛すること。
 
人に愛され、人を愛す。
人を愛し、人に愛される。
 
他者がいることで成り立つことだけど、
本当の愛は自他がない。
 
自分であろうと、他人であろうと、
そんなことは関係ない。
 
あなた自身が愛なのだから
愛する対象があろうとなかろうと、
あなた自身が愛になればいい。
 
自分を愛してあげましょう。
思いっきり愛したら、
そんな自分を解き放ちましょう。
 
愛の光を放つ人に愛はいらない。
愛は愛を必要としない。
 
なぜならそこには愛しかないから。
 
あなたは愛。
愛はあなた。
 
愛とあなたは同じもの。

    (I.Kさまへのメッセージ(編) 170814)


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令和元年5月1日、即位後朝見の儀の天皇陛下の初のおことばがありました。

即位後朝見の儀の天皇陛下のおことば(令和元年5月1日)

日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより,ここに皇位を継承しました。
この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。
顧みれば,上皇陛下には御即位より,三十年以上の長きにわたり,世界の平和と国民の幸せを願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その強い御み心を御自身のお姿でお示しになりつつ,一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに,皇位を継承するに当たり,上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,自己の研鑽に励むとともに,常に国民を思い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い,国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。  天皇陛下のおことば


私はこれを聞いた時、「象徴としての天皇とは?」と改めて思いました。
なぜなら、天皇陛下のおことばにその思いを見たからです。

象徴としての天皇とはどうあるべきか、具体的には決まってませんが、
おことばにあるように、上皇陛下と上皇后はまさに象徴としての生き方を体現されていました。

以前、天皇は「現人神」、つまり「この世に人間の姿で現れた神」でした。
明治憲法には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあります。

今は「象徴」です。
憲法第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の在する日本国民の総意に基く」とあります。

政治的な権力を持たないという意味も暗に含まれているでしょうが、
今回の天皇陛下のおことばには、象徴として生きる場合だけでなく、
「人としてのあり方」「どう生きるか?」の見本があると感じました。

・自己の研鑽に励む
・世界の平和と国民の幸せを願う
・いかなる時も国民と苦楽を共にする(常に国民を思い,国民に寄り添う)
・その強い御み心を御自身のお姿でお示しになる
・一つ一つのお務めに真摯に取り組む

研鑽(けんさん)は「学問などを深く究めること」です。
「自己の研鑽」となると、「学問などを深く究めるために、自らを磨いていくこと」になります。

自己の研鑽に励み、平和と幸せを願いながら、みんなと苦楽をともにし、
信念を持ち、やるべきことに真摯に取り組み、それらを身を以て表す。

簡単に言えば、「人の見本となれる人」ですね。

天皇は、日本国と日本国民を背負っているという重責がありますので、
一般人の比ではないですので、その覚悟が見てとれます。


以前よりは危険度は増したとは言え、
日本に来る外国人は、この国の安全さに驚きます。

財布や貴重品を落としても警察に届けられる。
自動販売機が壊されないまま町中にある。
災害時にも行儀よく並んでたり、暴動を起こさない、など。


「お天道様が見ている」という考えは今ではあまり通用しないですが、
私が子供の頃などはまだ生きてました。

人が見ていなくてもお天道様が見ている。

悪いことをするのはバチが当たりそうで気が引けました。

今から考えると、これは自分の良心との対話だったと言えます。
めぐりめぐって、自分がしたことは自分に返ってきます。

「自分を律する」とは、自分の中に
「お天道様」のような存在があることなのでしょう。
それが自分の「良心」だとしても。

キリスト教圏では、イエス・キリストがその役割を担っていますね。


昔は、ハレとケの境界がはっきりしていて、
人として超えてはいけない一線(タブー)がありました。

それを超えることは死よりも恐ろしいと思われていました。
つまり、鬼になるのは死よりも怖い、と。

この境界が消えてしまった今は、鬼のようになる人は増えたし、
漫画などでもその手のストーリーはわんさかありますね。

なぜこういう話をするかというと、天皇陛下の象徴としてのあり方が
日本人の「お天道様」になり得るからです。

今回の天皇陛下のおことばは、
言ってみれば「人のために生きる」という宣言です。
天皇たる存在が「民のために尽くす」と言っているようなものです。

上皇陛下と上皇后は象徴としてのそのお姿を見せてくださいました。

今回の天皇の真心のある利他心のお言葉は、ダイレクトに
日本国民の心に響いたのではないでしょうか?

天皇陛下のこのおことばをきいて、
「私もそのように生きていこう」と
心新たにされた方もいらしゃったでしょう。

こういうところは日本のすごいところだなと思います。

これを危ないと危険視する人もいますが、
日本の象徴たる存在がそのような姿勢で物事に取り組めば、国民も感じ取ります。
自分もそのようでありたいと自己の研鑽に励む人もいるでしょう。


また、上皇陛下が在位中、譲位の意思表示されたことは今までとは違う展開でした。

まわりに気を使って同じであろうとしがちな日本人ですが、
天皇が自分の思いをお伝えになられたことは新たな展開です。

「自分のやりたいようにしていいんだ」と
自己主張することを再認識した人もいたでしょう。

この先、天皇皇后両陛下がどのようなお姿を見せてくださるかはわかりません。

もし生きる指針に迷うようなら、生き方の見本として、
国の象徴として生きるお二人の姿を心に留めておくと、
元気が出るのではないでしょうか?

自己の研鑽に励むとともに,常に人のことを思い,人々に寄り添いながら,
倫理にのっとり、自分の責務を果たす

というところでしょうか。

自分がどういうゴール設定をしたらいいかわからなくて困っている人は、
このあり方を自分の仮ゴールにするのもありでしょう。

自分に恥じない自分でありたいです。
私も自己の研鑽に励みます。


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新しい天皇、新しい元号、令和の時代が始まりました。
日々の暮らしは急に大きく変わるわけではありませんが、
それでも吹く風は若干変わってきています。

新しい御代となり、そのお働きはこれから見えてくるでしょう。
国民と天皇がひとつとなって新しい時代を作っていってほしいものです。(*注1[後述])

天皇という立場になられる人は、幼少の頃から
いずれは天皇になるからと大切に育てられます。

まわりから丁寧に扱われ、小さな頃から、
自分はそういう存在になるんだと認識し始めます。

ダライ・ラマや他国の王となるべき人たちも、
まわりからそのようになるからと教育を受けてきます。

環境がその人を形成していく良い例です。

皇后のように、一般人からそのような存在になるのと、
幼少の頃からそのように育てられるのでは、
そこに生じる葛藤は同じものではありません。

どちらにしろそのプレッシャーおよび責任感は計り知れません。

まわりから大切に育てられる人は、同じように
まわりの人を大切にしますし、自分をも大切にします。
それが当然だと思います。

しかし世の中にはそうでない場面が多々ありますので、
心痛め、どうにかできないものだろうかと考えます。

自分を大切にする自己尊厳の気持ちは、今の日本人の多くに欠けています。
自己肯定感が低い人が多いです。

しかし言い換えれば、それは自分のことばかり見ているからです。

もちろん環境の影響は大きいです。
自己肯定感の低い人たちの中で育てば、同じようにそうなってしまいます。

それが当たり前の基準となるので、その後の人生で
そこから抜け出すにはかなりの努力が必要となります。

しかし大義があれば、「自分は、、、」とは言ってられません。

「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」
天皇にならざるを得なくなったら、覚悟をして天皇という立場をとります。
そこに「でも、だって」は通用しません。

つまり「私」が入る余地がなくなります。
多くの人々は往々にして立場を取りませんので曖昧に過ごします。

「自分は何者だ」というのを、
会社員、母親、教師、学生、という立場においています。

それはそれで構いませんが、自己肯定感が増すような、
自己尊厳が得られるような立場になることを考えてみませんか?

「私はそうなる」と決めることでシャキッと自己尊厳が増すような。

漫画のワンピースで「海賊王に、オレはなる!」とルフィが言っています。
「オレは、海賊王になる!」ではない。

海賊王というゴールがあり、それに自分はなっていく。
自分がだんだんとその器になっていく。


「自分が何者であるのか?」

天皇はそれを自分では選べません。
その運命に抗わなければ、早いうちからその自覚が目覚めます。
そしてそのように振舞います。

ただ、「どのような天皇になるのか?」は自分で選ぶことができます。


あなたは何になりますか?

大半の人は、親や先生に言われたように、
大学行って会社に入って、みんな結婚するから自分も結婚して、
子供持って、老後は...と思ってますし、そのように生きています。

あなたが本当にそれを望んでいるのならいいですが、
与えられたからそれに甘んじるのだとしたら、

それでいいんですか?

この機会に考えてみてください。


「自分が何者であるか?」

今の時点でもあなたはそれを決めています。
まさに今のあなたのあり方がそうです。

バイトにがんばっている学生、子育てしているお母さん、
会社勤めをがんばっている君、スタッフを抱えている経営者、
自由をモットーに生きている人、いろんな人がいますが、
何かしら「自分はこういう人です」というものを持っています。

今月は今一度、それを見直してみてはいかがですか?


天皇陛下は「こういう天皇になる」と決められたことで、
これからそれに向かって自己研鑽に励まれるでしょう。

天皇の最初のお言葉には、象徴としての天皇のあるべき姿が書かれています。

あなた自身も今一度、自分を大切に思い、家族を大切に思い、
日本国及び世界のことを思った時、
自分は「何者になるのか」考えてみてください。

「自分は何者なのか」ではなく、「何者になるのか?」です。(*注2)


「自分はこれになる」とまず決める。
それに向かって進んでいると、「何になるか?」は向こうからやってきます。
そうなった時、「〇〇に、自分はなる」となります。

そうなったら、その〇〇を見て進めばいいのです。
どうやってそこにたどり着くかはちゃんと見えてきます。

が、その〇〇を見つけるまでは、いろんな人にあったり、
いろんな経験を積んだりする方がいいです。


今月は自己尊厳を高める工夫をしてみましょう。
自分を大切にするエネルギーはまわりの人をも魅了します。

もっと自己尊厳を持って、自分を見つめ直してみる良い機会です。

「和音(+悦月)」2019.5.1


令和になってから5月のメッセージを書き出しましたが、
最初に書き出したのを載せるのをちょい躊躇しまして、もう一回、書き出しました。
でも似たような内容だったので、ブレンドして一つにまとめました。

その編集時に自分の編集(自動でない書き方)も加わっています。1割程度ですが。


(*注1)

> 国民と天皇がひとつとなって新しい時代を作っていってほしいものです。

と書いてますが、上記文章は出てくるままを書き出したもので、他者視線です。
私としては「作っていってほしい」より「自ら動きましょう」としたいところです。

「誰かしてくれたらいいや」と人ごとのようにつぶやくのではなく、
自分は自分で向き合わねば、自分の世界は変わりません。

生き方の一つとして、

国や国民、あるいは家族、知人に対して、
象徴や見本になれる生き方をする、存在になる

というのもいいのではないかと。

この件については、また後日書こうと思います。


(*注2)

> 「自分は何者なのか」ではなく、「何者になるのか?」です。

最後は同じところにたどり着くのですが、最初はズレが生じます。

既存のセルフイメージから抜け出るために
「何者になるのか?」の設定が必要となります。


自分が本当にやりたいこと、なりたいものを見つけるには、
自己肯定感がそれなりに高くないと現れてきません。

自分の器を小さく見積もっていると、無意識に可能性をはじいてしまいます。

「自分が何になるのか?」を最初っからわかっている人は少ないです。

意識しようとしまいと、それを求めている人は、
人生歩んでいるうちにどこかで出会います。
「あー、これなんだな」と。

わからないうちは見当つけて、それに向かっていけばいいです。
その方向性は多分、まちがってないでしょうから。

「自分はこうなっていこう、これをしよう」と決めた時、
自己尊厳が増すのか、自己肯定感が下がるのか?

気持ちが下がる場合は、まちがった設定をしているのでしょう。
「本当はそれじゃないんだけど...」と心のどこかで思っているのでは?

「やる」と決めた後、できるかどうか怖くてびびったり、緊張するのはありですが、
本当にやりたいのかどうかで気持ちが下がる場合は再検討しましょう。

それはちょっとしたボタンの掛け違えで、
少し視点をずらせばOKになることもあります。


自己尊厳、自己肯定感を高めていきましょう。

そうすると、人に言われたからとか、人に認められたいとか、
そういう思いなしで、自分をどうすれば生かせるのか?だんだんと見えてきます。


自分を大切にする、人を大切にする。

両方はあんがいできてなかったりします><


偉そうなこと書いてますが、
自分にもすごく言えることなんで、襟を正す思いです。

では、新元号初月、素敵な5月となりますように!


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