いのちおり(旧:たまむすひ) - 本来の自分に還るために

新しい自分らしさを見つけよう!
人生をよりクリエイティブに生きたいあなたに贈る
   悦月(えつき)のブログ
                                    

person-1435541_640

今、本当のあなたが出たがっています。

「私はここよ。これが私なのよ。」

と遠くからあなたを呼んでいる声が聞こえます。

あなたの全神経は耳を傾け、その声を聴こうとしていますが、
あなた自身は目の前のことに追われ、そのことに気づいていません。

あなたの中にある火山はマグマを溜めて
今か今かと出番を待っています。


あなたは世間の声を聴きますか?
自分の内なる声に従いますか?


あなたの本当の幸せがどこにあるかを探りなさい。

あなたが本当の自分とつながった時、
それは必ずあなたに幸せをもたらすでしょう。

    (K.Sさまへのeメッセージ 110304)



メルマガ登録はこちら! → メルマガ登録

セッションメニューはこちら!


人気ブログランキングへ

あなたが「自分のことをどのように思っているか」
は必ずしも「他者があなたにみていること」と同じとは限りません。

あなたはあなたの作り出したあなたの世界に住んでいます。

その中にいるあなたは、あなたがそうだと思っている自分像であり、
一つの側面にすぎません。

あなたはあなたが持っている可能性のいくつかを選んで生きています。

「選んでいる」ということに気づいていないと、
今の状態のみが唯一の現実だと思ってしまいます。

ところがそれは唯一の現実ではありません。

あなたが選んでいる現実です。


私たちは、自分が作り出している自分のイメージに沿ってふるまいます。

セルフイメージを変えないままに自分を変えようとするのは、
目の前にニンジンをぶら下げて、それを懸命に食べようと走る馬のようなものです。


松の木が「平たい葉にしなければ日光を得られない」と思ったとしても、
松は松なんだから、あのつんつんとした葉でいいんです。

それで生きていけるようにできているので、平たい葉はいりません。

「平たい葉にならなくてもいい」と気づいた時、新しい展開が始まります。

もしあなたが「◯◯にならなければ(しなければ)・・・できない(得られない)」と
思っているのであれば、その前提を疑ってみましょう。

「負」と思っていることは裏返ると「強み」になります。
一番怖がっていることや苦手だと思うことの中に天命がある、という人もいます。

普段考え事をしている自分は自分の目のようなもので、自分の姿は見えません。
知らぬ間に独りよがりの世界に陥ってしまいます。

日常の忙しさに追われると、つい自分の目の前のことばかりを見て、
俯瞰的視野を忘れてしまいます。

自分視点と、もっと俯瞰的な全体視野の両方を持ち、
行ったり来たりできるといろんな角度から物事が見れます。

そうなると近視的な判断をしなくなり、自分軸もしっかりと定まってきます。
その視点を思い出したい人はぜひどうぞ!
 ↓ ↓ ↓

〜境界を越えて一なる世界に触れる〜 

日時:6/26 (日)13:30〜16:00
場所:長岡京市中央生涯学習センター バンビオ
 JR長岡京駅から徒歩2分

料金:5000円

お申し込みフォーム

今度の日曜日なのでもうすぐです。


前回、身体の一部の感覚が消えた話を書きました。

存在の感覚が消えてしまうと、存在を感じていた時と感じていない時と
どちらが本当で、どちらが幻想かわからなくなります。
消えている時は何もない感覚がリアルですから。

量子論的に言えば、「身体があるってのが幻想だよ」という話になりますが、
知識より体感で感じることが大事と思いますので、実際に想像してみてください。


ある日、私は布団に入って目を閉じて寝ようとしていました。
その時にふと思いました。

私は今、横になって布団の中に入っていて、私の身体は横たわっていると思っている。

これは本当だろうか?

 
私が「自分の体が横たわっている」と感じているのは、
私の記憶から作り出した幻想ではないだろうか?
本当は私の体はここに存在しないかもしれない、、と思いました。


目を閉じていると身体は見えないし、寝ているので、身体の感覚もほぼ失せています。

私が感じている身体感、、、
頭がここにあって身体が横たわって、手足がこの位置にあって、、、は
記憶から導き出されたことであり、私がそこに身体があると思っているから
そこにあるように感じているだけなのでは?


目を開けて明かりをつけたら、私は私の体を見るでしょう。

でも目を閉じて横たわっている今この瞬間、体も休まって感覚も薄れている時、
私の意識内にしか私の身体は存在してません。

これは「私の身体がある」と記憶が像を結んで、
あたかも私の身体があるかのように私に思わせているだけでしょう。

この時、横たわり、目を閉じて脱力しているこの瞬間に、
自分の身体があると証明できるものはありません。

身体がないとしたら意識はどこにあるのだろう?という疑問が湧いてきましたが、
この疑問の前提には「身体があるところに意識がある」という認識が見え隠れします。


通常、意識は自分の身体を認識しています。
あまりにもずっとそのように感じて過ごしてきているので、
その感覚から離れるのは難しいです。

ふとそのとらわれから解放された時に初めて、
いかにとらわれて制限の中にいたかに気がつきます。

 メルマガ「コンシャス・アウェアネス」2016.6.16 no.69より)


今夜、床に入った時にこの記事を思い出したら、寝入り端の身体の力が抜けた状態の時、
その身体感覚はどこから来ているの感じてみてください。

自分の境界は身体であり、意識はその中にある
という感覚を持っている人は多いのではないでしょうか?


私たちが自分のことを「個体としての生き物」と思う時は、生き残るための生存競争や、
自分と人とを比べたり、成功や幸せを得るためにがんばらなくてはと思ってしまいがちです。

その境界を越えて、一なる世界に触れてみたい方は下記セミナーにぜひご参加ください。
 ↓ ↓ ↓

〜境界を越えて一なる世界に触れる〜

日時:6/26 (日)13:30〜16:00
場所:長岡京市中央生涯学習センター バンビオ
 JR長岡京駅から徒歩2分

料金:5000円

お申し込みフォーム


何年も前の話ですが、私は半身の存在感が消え失せた経験があります。
左側だったと思いますが、しばらくの間、まったくその存在を感じられなくなったのです。

自分の身体は見えるし、動かせるので、そこにあるのはわかるのですが、存在を感じられない。
頭では自分の手だとわかっても、体感がないし、認識できない、存在がないという感覚。

身体が動かない、感覚を感じられないというのとは全然違う感覚でした。
存在自体が消滅しているのですから、動いても動かなくても私にとってはないんですね、半身が。
爆睡している時に私たちは自分を認識できないというのに似ています。

不思議な感覚でした。
私はおもしろがっていましたが、人に言ったら「脳の異常だから、病院に行け」と言われました。

自分の脳と身体感覚が切り離されて、半身が知覚できない状態だったのでしょうか?
反対側の半身は普通に感じている状態でした。


いったいその時、私の半身はあったのか、なかったのか?

視覚重視になると「ある」のですが、感覚重視になると「ない」となります。

その時は見えたし、動いたし、半身がある時の状態も覚えているので、
「感じるはずの半身が感じられない」というかたちで認識しました。


ところが昨日はほんのちょっとの間でしたが、椅子に座ったとたん、頭の上半分がお椀状にくりぬかれた感じで「消滅」しました。

「あ、これ、同じだ!」としばらく、その消えてしまった部分と普通に残っている身体の他の部分を観察してました。

それで思ったのは、私が感じている身体は、脳が認識しているからそこにあるんだなということ。
しばしの間でしたが、この時は頭上半分が「なかった」。

普段なにげなく知覚している自分の身体。
無意識にそれを自分と他を分ける境界としている人が多いと思います。
自分の身体や境界も消滅してしまうと、自分の領域が曖昧になります。


あなたの身体は本当に存在しているのでしょうか?
あなたは本当に存在しているのでしょうか?

それを証明するものはなんなのでしょうか?


自分という枠に縛られるとそれは制限になります。
それを守ろうとしたり、あるいはそれ以上のことを考えなかったり。
セルフイメージも一つの枠ですね。

それを作り出しているのはあなたの意識。
あなたの「枠」がゆるむと、もっと楽になり、世界も広がります。
そんなことを感じてみたい人はご参加ください。
 ↓ ↓ ↓

〜境界を越えて一なる世界に触れる〜

日時:6/26 (日)13:30〜16:00
場所:長岡京市中央生涯学習センター バンビオ
 JR長岡京駅から徒歩2分

料金:5000円

お申し込みフォーム
(「6/26WS参加」とお書きください)

メルマガ登録はこちら! → メルマガ登録

セッションメニューはこちら!


人気ブログランキングへ

あなたの名前は、親か名付け親からつけられたもの。
あなたの考えは、親のしつけや学校教育から教えられたもの。
あなたの教養は、人、本、テレビ、体験など、どれも後天的に身に付けたもの。

あなたが生まれてきてから身に付けたものを全部取り除いた時、あなたには何が残りますか?

あなたの身体?
あなたの心?魂?

それとも、、、?


では、言い方を変えましょう。

あなたの境界はどこにありますか?

皮膚ですか?
オーラ、気、エネルギー体と呼ばれる類のものですか?

それとも思考ですか?


どこまでがあなたの思考で、どこからがあなた以外のものですか?

あなたが吐く息は、どこまでがあなたが吐いた息だと言えますか?

あなたの記憶はどうですか?
あなたが思い出すものはすべてあなたの体験による記憶ですか?

あなたの未来は?
どこまでがあなたの未来で、どこからが人の未来ですか?


このように考えると、いったいどこが境界なのか、迷いますね。
自分の身体ですらどこを境界としていいのかわからなくなります。


私たちは「これが自分」と思って毎日を過ごしています。
そしてここまでが自分の領域、ここからは人の領域と区別して過ごしていますが、
よくよく考えてみれば、自分の境界すらはっきりしないのに、
どうして人と自分との区別がつけられるのでしょう?

自分の領域を守り、他の領域と競争する時代が長く続きましたが、
だんだんと自分の領域、境界があやふやになる時代になってきています。

領域があやふやになる時、自分がしっかりと構築されていれば、
境界が消えていくことは自分が広がっていくこと。

自分が曖昧なままだと、自分が消えてしまうのではないか?
という恐れや不安がでてきます。

エゴは存在が消えること、認められないことをとても嫌います。

でもその境界が消えたらもといたところに戻るだけ。
もともと一つだったところに還っていってひとつになるので、
自分がなくなるというより、区別がなくなるだけです。

ひとつになる、一なる世界ってどんな感じだろう?

その広大な世界の入り口を垣間見たい人は、どうぞおいでください。


〜境界を越えて一なる世界に触れるワークショップ〜 

日時:6/26 (日)13:30〜16:00
場所:長岡京市中央生涯学習センター バンビオ
   JR長岡京駅から徒歩2分

料金:5000円

お申し込みフォーム


メルマガ登録をぜひどうぞ! → メルマガ登録

セッションメニューはこちら!


人気ブログランキングへ

溝口さまのネームリーディングの続きです。
今、このような感じの方は多いのではないかと思います。

ーーーーーーーーーーー

自分で自分はこうだと思っている自分は多分、本当の自分とは違うと思います。
それは今までの経験と知識から得た情報で造り上げられている自分なのでしょう。

もし自分にはそのような面がないと思うのであれば、それは自分がそう思っているだけで
本当ではないと考えてみてください。

表に見せている自分、自分がそうだと思っている自分は表向きの自分。
いい人であろうと仮面をかぶった自分です。

本来は無邪気な宇宙人(笑)

その部分が出てくると収拾がつかなくなるとか、人に迷惑がかかると、子どもの頃にそれは閉じられたのかもしれませんが、また再び出てきてもよい時期なのでしょう。

そんなところのある子どものような自分を感じてみてください。

好奇心いっぱいで、いろんなことに首を突っ込んでいろんなことを知りたい、
経験したい、楽しみたいというエネルギーがいっぱいのあなた。

たくさんの夢を描いたりいろんなことを想像して楽しんでいるあなた。

まわりが「そんな非現実的なことを考えるな」「バカなことを言うんじゃない」
「常識をもて」といったとしても耳を貸さないでいいです。

自分がやりたいと思うこと、好きだと思うことをしてみてください。

常識的、理性的、模範的な自分は演じようと思えばいくらでも演じることができますので、
今度は普段はひっこんでいる反対の性質のところをあえて出していってみるようにしてみてください。
無理のないように、でいいです。

今まではどちらかというと、天真爛漫な自分の方は抑えられてきて、
神経質な自分の方が表に出ていたと思います。

そしてそれが自分自身だと思い込んでおられたと思いますが、
確かにそれも自分ですけど、本質はもっと自由なところにあります。

なので、いい人の自分を手放す勇気をもってもいいと思います。
そうするともっと力強い自分が出てきます。

その根っこはどこか地球の奥深くに根ざしているような、
まさかこんなパワフルな自分がいたのか!と思うほどかもしれません。


もともとそこにつながっているのですが、なかなかそれが見えないような
人生の仕組みになっていたようです。

自分がそこに気付き始め、そこにつながろうとして初めて、
もともとから自分はそうであったということに気付くみたいです。


その自分は、今までこれが自分だと思っていた自分と真逆ではなかろうか?
と思えるような自分ですので、最初は驚きと戸惑いがあるかと思いますが、慣れてしまうととても居心地が良くなり、以前の自分は過去の経験が造り上げた自分だったんだなーと気付かれることと思います。

そうなるまでは山あり谷ありで上り下がりしながら、人生の裏表を経験していくことになりますが、もう大きな山は超えていますので、あとは自分の本質をしっかりと知っていかれるといいと思います。

それには、今の自分のウソ、というか、自分だと思っている自分が仮の姿なのかもしれない?
と疑ってみることです。

「私は・・な性格だ」と思うところが本当にそうか?

いちいち疑ってかかってみてください。
とくにネガティブに感じる部分。

もし周りにイヤだと思う人がいれば、その人のイヤな部分を自分が持っていないか?
あるいは、その部分を自分が抑圧していないか?を見てみることも、自分の持っている隠された性質に気付くヒントとなります。

自分のいいところ悪いところをひっくるめて個性ですので、
どれがいいとか悪いとかではなく、みんなあってみんないいんです。

それをそれぞれ適した状況で用いることさえできれば、特に問題はありません。

そうやって自分自身の裏表を統合することにより、自分自身を丸ごと受け入れることができます。

そうなった時に自分の人生を振り返ると、ああ、そうだったのか、だから私はこのような人生を選んできたんだなーと納得されることと思います。

そう思うと、どんな人生でもいい人生ですね。

ーーーーーーーーーーー


(感想をいただきました)
  ↓
たった今、読ませていただきました。
感想は 後日また メールさせていただきます。
ありがとうございました。 読み終えて なぜか 涙がでてきました。
何の涙なのか わからないです。

リーディングお願いして 本当によかった。
ありがとうございました。

ーーーーーーーーーーー

ネームリーディングの詳細

メルマガ登録はこちら! → メルマガ登録


人気ブログランキングへ

人生には山あり谷あり、バイオリズムありで、調子のいい時期と悪い時期があります。

天体や自分の身体の作用で自然に起こる場合もあれば、
自分のブリーフシステムが起こす場合もあります。

自然の作用であれば、それに逆らおうとしないほうがうまくいきますが、
自分の観念が引き起こしていることであれば、自分で変えることができます。

溝口章江さまのネームリーディングの一部です。
ご本人の掲載許可は取ってあります。(省略部分あり)
 ↓ 
-----------------------------

プラスとマイナスが両方あるけど、足したらゼロになるというような人生で、
その流れには少々極端なところがあるかもしれません。

あるいは、幸せと不幸が交替でやってくるような感じ。

辛い思いをしたら、それをバネにしてきっといいことがあるだろう。
幸せな状態が続いたら、きっとどーんと突き落とされることがおこるだろう。

というような思いがあるかもしれませんね。

もしそのようなことが人生で起こっているようでしたら、
その考えを見直してみるといいと思います。

いいことがあったら悪いことが起こって帳尻を合わすような流れのことですね。

またその反対も。
春と秋をすっとばして、夏と冬しかないみたいな。


ふわふわと夢見がちな自分がいると地に足がついていないので、
ガツンと現実に引き戻されるようなことが起こるとか、
夢みたいなことばっかり考えてちゃダメという思いがあるとか、、、。

なにかしらふわふわしている状態をストップさせる潜在意識の作用があるみたいです。


ご自身ではあまり意識されてないかもしれませんが、
上がったら下がる、下がったら上がるというところで帳尻合わせをされているようなので、
安定しているようでしていない感じがするかもしれません。

精神的にも、とても開放的な時期があるかと思えば、
どっぷりと自分の内面に閉じこもり、いろいろと考える時期があったりしそうです。


裏表、強弱、柔剛、高低というように
反対になるものを経験しようとするところがあるようです。

それらを経験しながらも中庸を保つ、あるいはそれらを経験するからこそ
中庸を再確認するという作業なのか、両極を体験しては中心に戻る働きがあると思います。


両極と中庸、中心。
それを知ることとそのバランスをとること。

人になかなか理解してもらえないと、人中心の軸に立ってしまうと自分が苦しくなりますが、
「わからんならわからんでいい〜」ぐらいの開き直りというか厚かましさというか、
いい意味での自己中心的になると気楽になると思います。

「私はこんなんだからなんか文句あるの?」ぐらいの厚かましさを持っていてもいいと思います。
そうしたら人も「あの人はあんなんだし」と気にせず、そのように受け入れて接してくれることでしょう。
そうなると自分も楽になりますので、表が出ようが裏が出ようが、これが私なんで〜〜ですませることができます。


中庸な自分、中心軸の撮れた自分というものができあがってしまえば、アップダウンが起きてもあまり気にならず、不動の自分となれます。

そうなると今度は、その状態を人に教えていく役割になっていくのかもしれません。

教師や講師というかたちをとっていようがいまいが,それはあまり関係なく、自分が関わる人たちに対して、必要に応じて伝えていかれるとよいと思います。

(後編へつづく)


ネームリーディングの詳細

メルマガ登録をどうぞ! → メルマガ登録


人気ブログランキングへ

ホセ・ムヒカ氏来日の時の講演からの抜粋の最後。
以前の記事はこちら (

しっかり学ぶ必要があります。自分自身の考え方を、いろんな情報源を当たりながら、自分の考えを構築する必要があります。必ず疑いの目を持って、裏を取る必要があると思います。

一般の市民、一般の市井の人々というのはわりと無邪気で、何か言われたことを鵜呑みにして信じてしまいます。でも、みなさま方はもっと高い教養を持っている人だとすれば、さらに深い洞察をする義務があります。

もっと深く考えること。
ほかの人が表面的な部分しか見ていないことを、しっかりと見ていく。
そういったことをみなさま方がしなければいけません。
それが闘争の一部でもあると思います。

私たちは理性で考えなければいけません。しっかり物事を見なければいけません。それに基づいて、現在、社会に何が起きているのかを、深い洞察をすることによって分析し、それをほかの見えない人に伝えなければいけないと思います。

生きるということは、コンフリクトを持つことなんです。
コンフリクトがない人間は墓場にいる人だけでしょう。
生きてる人なら、誰でもコンフリクトは抱えています。

問題は、どうやってそのコンフリクトをマネジメントしていくのか。
コンフリクトを持つことは避けません。ですから、みなさんは家族のために、
例えば家族を守るために戦うというのは当然です。それはいいことです。

でも、だからといって、ほかの人のために何にもできない、ということではないですよね? 
ほかの人にも何かができたとすれば、自分と家族にとってもすごく幸せに感じるでしょう。
隔離されて、社会の中で生きていくことはできません。 logmi


コンフリクトと書かれているけれど、「葛藤」「対立」「戦い」「衝突」などのどの日本語訳にすればいいか、、と迷います。だからそのまま「コンフリクト」と英語をカタカナにされたのかもしれません。

とにかくはなにかしら対立することがあり、それをどうしようかといろいろと試行錯誤するわけですね。

私たちは常に選択をして過ごしていますから、そこに葛藤があるかないかで、ストレス度が違ってきます。


通常、葛藤がないほうがいいように思われがちですが、果たしてそうでしょうか?

葛藤がないということはとくに問題がないということでしょう。
問題がなければ楽ですが、成長もない。


『もっと深く考えること。
ほかの人が表面的な部分しか見ていないことを、しっかりと見ていく。』

そうすることでコンフリクトも生まれます。

「問題」というと悪いことのようですが、「課題」「改革」という言い方をすれば、今ある状態を変えていくことと言い換えられます。

そこには現状否定があるではないか?と言われそうですが、結局のところは青い鳥であり、それが見えてない状態です。
そこにたどり着くまでにいろんなことを経験するから葛藤のない状態にたどり着きます。

その状態に至るとまた新しい視点が見えますから、また新たなコンフリクトが現れ、それに対応していくことで、新しい気づきや経験を経て、また成長していきます。

それの繰り返しですね。
そうやって自分も世界も変化していきます。


メルマガ登録をぜひどうぞ! → メルマガ登録

セッションメニューはこちら!


人気ブログランキングへ

ホセ・ムヒカ氏来日の時の講演からの抜粋を書いていたが、途中で止まっていたので再開。
以前の記事はこちら (

どこかで私たちは自分の人生の総括をすることになると思います。たとえば「何かをやろうとしたけど失敗してしまった」「何度も失敗したけれど、やろうとした」「100やりたかったけれども、5ができた。もちろん完璧ではなかったけれど、有益な人生だった」。

別の場合には、「私は私の人生のなかで何もしなかった」「単純に私は浪費をした、消費をした」「誰に対しても手を差しのべることはなかった」「ほかの人のことなんて、一度も心配したことはなかった」「決して、誰かのために時間を費やすことはなかった」。

自分自身を鏡で見るとき、そこに映るものは自分のエゴイズムにすぎないのです。そのときにあなたは自分自身に対して失望するでしょう。

単純に世界を変えるため、勝つために戦うのではないのです。そうではなくて、自分自身の心のなかにあるもののために考えるのです。戦うのです。私たちは感じることができます。

私たちには頭があります。心があるのです。ある程度までではありますけれども、私たちは自分自身の人生を方向づけることを自分ですることができるのです。

もし音楽が好きならば、そこに自由を探してください。もし私のように絵が好きなのであれば、そこに自由を見出してください。私のように農業が好きな場合には、農業を営むことができるでしょう。それは単純にお金を稼ぐためだけではありません。
ですから、何かあなた自身を幸せにするものを探してください。ほかの人を幸せにすることを考えてください。

それは世界を変えるということではなくて、自分自身を変えるということになるのです。
例えば、私は世界を変えたかった。でも、現在、私は家のなかの掃除をしている。ということがあるかもしれない。世界を変革するのは、かなり複雑で難しいものなのです。

でも、長期的には何かが残るでしょう。大きな闘争、大きな敗北のあとで。そして、その闘争のあとで、世界は違うものになっているでしょう。前とまったく同じ、ということはないでしょう。 (logmi


大きなことをなし遂げる人に見られる特徴。

あきらめない。
希望を捨てない。
前向きである。

それを楽観的、ポジティブという言葉で表すこともできるけど、
そういう言葉を軽く使えないような重みがあります。

「不屈の精神」という言葉の方が似合っています。


「自分は無力である」と思い知った人が立ち上がり、
また世界を変えるために行動する。


私たちは世界を変えるためにここにいる。

世界を変えることは自分を変えること。

自分を変えるというと、
今の自分への否定を感じる人もいるから言いかえましょう。


自分が気づいていないことに気づくこと。
そして行動して、セルフイメージを変えること。

それが自分を変えることであり、世界を変えること。


前とちっとも変わってないじゃないか、、、
何をやっても変わらない、、、
まだこれだけしかできてないのか、、、
自分は何をやってもダメだ、、、

などと思うこともあるでしょう。

けれどもあなたがそれに対して考え、行動してるのなら、
前とまったく同じ、ということはないです。

だから、何も変わらないとは思わないでください。


絶望しながらも希望を捨てない。

なかなかたいへんなことですが、絶望も幻想ですから。

ならば「希望も幻想でしょ?」と言われそうですが、

はい、そうです。
どうせ幻想なら、自分にとってうれしい幻想を持つほうがいいでしょう。

自分が見ている世界は自分の心が作り出している世界です。

本当に自分が作り出したい世界は何か?を知り、
その世界が豊かになることを想像(創造)しつづけ、行動し続けましょう。

そうすることで、いつのまにか世界は
あなたが望んでいた情景を見せてくれるでしょう。



メルマガ登録をぜひどうぞ! → メルマガ登録

セッションメニューはこちら!


人気ブログランキングへ

5月のセミナーの感想です。
載せたつもりが保存したままになってました。

参加してくださった皆様、ありがとうございました。

-----------------------

先日のセミナーで書き留めたことを何度も見返しております。

たくさん教わった中で一番目からウロコだったのは、ネガティヴと思われる出来事が強く残っているのは生存していくための危険回避のためだということです。

わたし個人が、過去のネガティヴな出来事に影響を受け、過去がそうだったから、延長の未来に明るい希望を感じることが難しいと思っていました。

しかし、個人ではなく人間という生きものに備わった機能だと分かれば、ムダに自責したり落ち込むことなく、ただ理解して切り替えて進むことができるなあ〜と安堵感があります。

あと、エネルギーを足裏や下方にイメージしたり、揺らがないための練習をしています。
これからどんな風に自分が変わっていくのか楽しみです。

約2時間でしたが、たくさんのことを学ぶことが出来ました。ありがとうございました。
これからもブログやメルマガを楽しみにしています!(Uさま)


こちらこそ、先日は素敵なセミナーをありがとうございました!
とても参考になりましたし、これからにプラスになるに違いない!とワクワクしております。
セミナー後提出いたしましたアンケートにも記載致しましたが悦月さんは思っていた通りのとっても素敵な方で、お会い出来て嬉しかったです。
自分の希望をどんどん叶える、素敵な毎日を送って行きます。
本当に、ありがとうございました。(Tさま)


早速、揺るがない自分?ということで、電車の中でも、つり革につかまらず体の軸を意識して立ってみたり、(笑) 今の気持ちを色、形 で表すと〜なんてやっています。客観視の練習ですね。私は、何かあるとかなり穴に埋もれてしまう方なので、かなり教えて頂いたこと活かせそうです!
また、セミナーなどありましたら伺いたいと思います。(Kさま)


はじめに教えていただいて揺るがない自分の作り方、取り入れています。
まだまだ感情に揺れるほうが多いのですが知っていることはとても心強いです。体感ワークよかったです。
また折り合いつけてどこかのセミナーに参加したいと思っています。
ありがとうございました。(匿名希望)


解決したい内容を聞けてとてもすっきりしました。
盛りだくさんの内容でした。
毎回参加するたび、気持ちがすっきりします。
大切なスキルを教えていただいて感謝しております。
悦月さんに癒されています。ありがとうございました。(匿名希望)


わかりやすい内容で納得できました。
ブログを数年前から拝見してて、一度お会いしたいとの念願が叶い、うれしいです。
また機会あれば、セミナー等に参加したいです。ありがとうございました。(M.Uさま)


具体的に実践できるワークがあったので、今後に生かしたいと思えた。
自分の悩みを、色、形、匂いなどに抽象化すること、それをさらに遠くで眺めたりすることで、自分の見方の変化があったこと、またそういったことをする重要性を体感的に理解できた。(N.Kさま)


あともう少し時間があったらよかったです。(内容がもりもりすぎて)
いつも自分の考えていることに気づくことが大切。
そしてそれをコントロール内に変えること、イメージで小さくしてクリアにする。
いつも楽しみにブログetcを拝見しています。
もっと今回のようなワークショップを行っていただけると嬉しいです。(M.Nさま)


もっと時間があったらじっくり聞けたのに、と思いました。
体感できたのがすごくよかったです。
軸を大切にしていきたいです。ゴール設定もしていきたいです。(K.Kさま)


説明がたいへんわかりやすく、事例をあげてわかりやすく説明してくださった。
ずっとメルマガやブログを読ませていただき、ショートメッセージもいただいていたので、初めてお会いできてうれしかったです。すばらしいセミナー、ありがとうございました。(S.Kさま)


新しい考え方を学べ、また、自分でうすうす感じていたことの確認もできました。
今回滑り込みでしたが、参加できてよかったです。
今少しずつもとの自分に戻っている感覚がありますが、今、その確認もでき、さらにそれが進んだ気がします。(M.Uさま)


脳の仕組み、常に考えていることが大事ということが、脳の仕組みでわかりました。
ゴール設定をもう少しくわしく聞きたかったです。
言葉で使った意識以外で、イメージで考える(頭で考えてもどうしようもないことはイメージで考える)、アファメーションでもダメな場合、有効と思いました。(匿名希望)


コントロール内、コントロール外の概念を知れたこと。
わかりやすくイメージしやすかったです。
初めて参加しましたが、シンプルで具体的なお話は大変わかりやすかったです。(A.Aさま)


悩みをプラスの言葉に変えるのが難しかったです。
心理学や心のことを学んだりしてはいるので、今までにも聞いたことがあるものも含まれていましたが、また改めてその重要さを感じたりすることが色々ありました。
ネガティブなものをイメージして変えるワークもやろうと思います。(N.Tさま)


他の講座でブロック解除について学んだことがあるのですが、本日のお話を聞いて、その時に学んだこととリンクする点が多々あり、気づきを得ることができました。
セミナー冒頭の揺らがないワーク(?)はとても体感しやすくて納得のいくものでした。
また、力抜けて自然体でいることの強さは、古武術等の奥義にも通じるものがあって興味深かったです。(私は楽器を習っていて、「力を抜くことの大事さ」を教えられるので、その点でも納得しました。)
無理に力を込めて『自分を変えよう!』と思わなくてもいいのだなと思いました。
肩肘張らず、リラックスしながら ”いつのまに変わっている自分” に会えそうな気がします。
本日はありがとうございました。 (匿名希望)


メルマガ登録をぜひどうぞ! → メルマガ登録

セッションメニューはこちら!


人気ブログランキングへ

↑このページのトップヘ